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今日のまーし #88 無駄

隔離生活が今日で終わったわけなんだけれど、今になって思うといろいろ勉強になった10日間だったような気がする。
自分のことをよく知れたような気がしたのだ。
自分のことなんてまだまだわかっていないけれど、少なくともいくつか「続けられそうなこと」「続けられなさそうなこと」なんてものがわかってきたような気がする。

仙人のような生活はできなかったなあ。
自分のことをモニタリングしてみると、「こいつ本当に何もしようとしていないな」とみんな思ってしまうだろう。
本当に暇だったから、読みたい本を買って、結構読んでいた。
これからもずっと継続してやってられることは、読書なんだと改めて確認できた。
それから、気晴らしにこうやって何かを書くこともボクの中で大事なことなんだと再確認。
いろいろと書きたいことはあったんだけど、だいたいボツになっていった。

やっぱり精神衛生的上、ボクにとって家に篭ることはちょっと辛いようだ。
仕事だけでもいいから、外に出て気持ちを外に向けないと、心がフレッシュな気持ちになれない。
YouTubeにしても、アニメにしても、映画にしてもずっと続けられないことなんだろう。

いろいろムダにしてしまったと感じた場面もあったし、そうでない部分もあった。

「過去は変えられない」なんていう人がいる。
起こってきた事実を変えられない。
そういう意味で言っている。
「変えられないのだから、もうウジウジ言わずに前向いて頑張って行こうぜ」というのが、「過去はかえられない派」の意見だ。
彼らの潔さは、素晴らしいものだ。
決めたら、そのまま突き進んでいくのだから。

一方で誰かは、「過去は変えられる」なんていう人がいる。
こういう人は、「事実は変えられないけど、続けていれば、「あの時あんなことがあったから」と言って、ネガティブな内容がポジティブに変わっていく可能性あるよね。」という意見だ。
そういう意味で、「過去は変えられる」らしい。

結局はどっちにしても、事実をネガティブなのかポジティブなのかはさておいて「意味づけ」を行っているのだろう。
前者は、「そういう結果になったんだ。だから、どうしていくの?」と
後者は、「そういう結果にはなったんだけど、未来の展開次第またそれはフラグになっているかも知れないよね」という

ボクは、保険をかけたがる人間だし、どこか弱い人間だから「過去は変えられるんじゃないか」と思っている派だ。
後悔を後悔で終わらせたくない。
「ダメなやつほど、ダメじゃない」と言いたいし、
「ムダなことほど、ムダなじゃない」と言いたいのだ。


ボクは、たぶんこの隔離の10日間ムダなことをたくさんした。
ムダな時間をたくさん過ごした。
ムダなことをして、「ムダ」をたくさん勉強した。
たぶんこれからも勉強し続ける。
いろんな自分に触れ合ったような気がする。

今日も読んでくださってありがとうございました。

いい10日間でした。
本当にいろんなことがあったけど、これから年度末に向けて頑張ってみよう。


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