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今日のまーし #84 やりもらい
「ちょっと聞いてよ」
そう言って、ボクに相談をしてくれる人が少なからずいる。
ボクは、どういうわけか、自分の話を聞いてもらうことが苦手だ。
相談をあんまり人にできない。
「今の置かれている状況」なのか「自分の気持ち」がうまくまとめられず、表現できない。
どっちにしても、「お前の主観だろ」とか「見方を変えればいいじゃないか」なんて言われるのが怖いのだろう。
実際そうだし、悩んでいる時に、自分自身でもそんなことをどこか考えているのだ。
本当にめんどくさい性格だよね。
そういうわけで、ボクに相談をしてくれる人に対してボクは、ボクみたいなモヤモヤした思いをしてほしくない。
そして、たくさん話して、できれば少しでも多くスッキリしてもらえると嬉しい。
かなりネガティブなのかもしれないけど、こんなボクにでも人に役に立つことがあれば少しでも役に立ちたいのだ。(笑)
せめてもの自分なりの社会貢献だ。
いつもそんなふうにして、人の話を聞くように心掛けている。
そんなボクになりふり構わず「ちょっと聞いてくださいよ」と相談を持ちかけてくれる人がいた。
気軽にしてくれる感じがボクにとっては何より嬉しい。
内容を言うならば、その人が貸したお金を、元恋人がなかなか返してくれない。
ざっくり言えばそんな内容だった。
ボクはお金を持っていないし、別段何かほしいものがあったことなんてほとんどないから、経験したことのない話だった。
その具体的な内容は、特にここで話す必要のない話だからしないけど、ボクはその話を聞いていて、いろいろ考えることがあった。
幼稚園でも保育所でも、子供たちの中でのいざこざに多いのが「おもちゃの貸し借り」だと思う。
実際に甥っ子姪っ子を見ていても、そんな喧嘩が多いような気がする。
人間が幼い時から起こってくる自然現象なんだから、たぶんこういう問題は人間の宿命みたいなもんなんだろう。
人間生きていれば、そういうことに誰しもが直面することなんだろうな。
ボクはものやお金の貸し借りは苦手だけど、ボクにも少なからずそう言うことってあるし。
そう言えば、コロンビアでは上司が「貸したら「あげた」と思え」ってボクに教えてくれたことがあった。
ボクはコロンビア人にお金を貸したことが一度もなかったけど、確かに貸したら返ってこなかったって言う話は結構数多く聞いたような気がする。
ま、ここはコロンビアじゃなくて日本だから、ボクはそんな言い方をその相談してくれた人に言わないし、第一思わない。
貸したら返してもらうべきだし、借りたら返すべきだとやっぱり思う。
今の話は、「モノのやりもらい」だけど、日本語にはそれだけじゃない「やりもらい」というものがあるような気がする。
「恩」というものがある。
どこの国にでもあるのだろうけど、日本語は顕著に存在しているように感じる。
「してあげる」とか「してもらう」とか、そういった言葉だ。
「してあげる」は、どこか上から目線で、恩着せがましい部分がどこか感じられる。
それに対して「してもらう」というのは恩を感じている表現だ。
「する」と「あげる」
「する」と「もらう」
同じ「する」と言う動詞には変わりないんだけど、ニュアンスが偉く変わるのだ。
やはり日本人は無意識に誰かしらから、何かしらから「恩」を感じているのだろう。
日本語教師は、この表現を外国人に教えるのにかなり苦労をする。
説明しても、理解されにくい価値観だからだ。
ちなみに外国人に説明する時に最も簡潔に説明できる方法もある。
「ありがとうの気持ちを「あげる」のか「もらう」のか」だ。
ちょっと違うかもしれないが、とっかかりとしては、そんな風にして教えている。
見えてはいないけど、やはりここにも「恩」のやりとりみたいなものがあって、何かしら見返りみたいなものが発生しているのだろうね。
話は少し戻るけど、もののやりとりにしても、いわゆる恩のやりとりにしても、そういう関わりができてしまえば「〇〇してやっているのに」というような不満が起こってしまいがちだ。
貸している(与えている)方はどういうわけかしっかりと覚えているし、重く捉えいている。
一方で、借りている(もらう)方は忘れていたり、軽く考えていることが多い。
ホントにお互いに気をつけていきたものですね。お互いに。
今日も読んでくださってありがとうございました。
ボクにいろんなものを貸してくれている方々、今も多めに見ていてくれてありがとうございます。
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