今日のまーし #91 看護師さん
ボクは、親が丈夫な体で産んでくれたお陰で、あんまり病院にお世話になることはない。
ちっさい時、つまりは小学生から高校生にかけても、保健室の先生って、なんだか「関係のない人」みたいな認識があった。
ま、そこまで体を悪くしたことなんてなかったし、怪我したこともない。
今みたいに少し何かがあったら心に傷を追うような繊細な人間じゃなかったから、お世話になることなんてなかったのだ。
今でも、あんまり病院にお世話になることはない。
こんなよくわからない生き方をしている自分が、こうやって好き勝手やっていて心も身体も健康でいられるのは、親とか周りの仲間のお陰なんだと思う。
そう考えるとやっぱりいろんなことに感謝できるね。
ボクの働いている施設には、看護師さんが毎日来られている。
ボク自身、今もそんなお世話になることなんてないけど、看護師さんは、やっぱり利用者さんにとってなくてはならない存在だ。
あんまりお世話になっていないボクだけど、さすがにコロナのワクチンの時にはお薬をいただいた。(笑)
利用者さんの中には、外傷の治療はもちろん、アトピーのケアなんかもあるし、他にも精神的なケアなんかも必要としている人がいる。あんまり詳しくはわからないけれど、先天的な障害もあれば、後天的な障害もあったりなんかして、その人たちを毎日一人でお世話どりをされている。
ボク自身は組織の歯車的なところがあって、いくらでも代えがきくんだろうけれど、看護師さんの場合は一人いなければ、もうどうにもならないのだ。
ボクが去年の4月に働きだした時に、お二人の看護師さんが職場に勤務されていた。
一人の方は週に1回で、もう一人は週に4回来られていた。
今日はその週に4回来られてた看護師さんのお話だ。
仮にその人を「ヒカルさん」とでも呼んでみよう。
この記事はそのヒカルさんに読まれるであろうものだから、ちょっと恥ずかしいし、「褒めすぎじゃない?」と思われるかもしれないが、そんなことは全くない、とボク思っている。
本当に普段から素直に思っていたことだから、そのまま書きますね。
ボクが配属されている部署は、医療的なケアを必要としてい人が比較的多い。
だから、ボクは看護師さんと関わる機会が他の職員と比べてかなり多いのだった。
去年度は、ボクが右も左もわからない中で、いろんな先輩から指導されている最中、ヒカルさんは直接ボクに何かいうわけでもなく、いろいろアシストしてくれていた。
と、今はっきりと感じている。
たぶんボクが気付いていないところでもそういうことがたくさんあっただろうし、今もそうかもしれない。
ひいては、看護師に関係のない「支援」なんかにも入ってくれたりなんかして、ボクたちの部署からすれば頭があがらない場面が何度もあった。
「今日ヒカルさんがいなかったら、オワリでしたね」なんて部署の先輩と話す時もあったりなんかするのだ。
陰で話していたから、ちょっと後悔している。
やっぱり、感謝するときは陰で言わずに直接口にすべきだなあと感じる。
そういうわけで、少なくともボクの中でヒカルさんは、かなり大きな存在感があったのだった。
ヒカルさんは、いつ会っても愛想がいい。
「女は一に愛想」なんていう家訓みたいなものがボクの実家にあったけど、それを見事に形に現したような方だ。
そんな彼女は、言葉の端々に柔らかさみたいなものがあって、キリキリした場面を和ませるような雰囲気がある。
そういうところが人気者の秘訣なんだろう。
家から離れてから、家訓みたいなものの重要性に気づかされるのだった。
ボクは男だから、彼女と同じようにマネをすると、変なことのなっちゃうからできないのだけれど、それでもヒカルさんの言葉の使い方はには学ぶことが多いように思う。
そんなヒカルさんは、もうすぐ職場をやめるらしい。
とても残念なことなんだけど、「辞める」ということは、それだけの理由があるのだろう。
あんまり他の職員にも言えることじゃないから、心の中で激震が走った。
ボクはたかが30年ぐらいしか生きていなけれど、どんな環境でも、どういうわけか「いいやつ」とか「いいひと」なんかは、早くいなくなってしまうことが多い。
見方にとっては、「いなくなる時は寂しくなる時だから、いいところしか見えないんだ」なんて捉え方もあるのだろうけれど、でも、やっぱりボクはそれは違うような気がするなあ。
いつも「いい人だ」って思っていたわけだし。
そしてそういうことが世の中のよくわからないことだし、一番納得のいかないことだし、辛いことでもある。
最近ではせっかくいろいろわかってきたからこそ、聞きたいことだってたくさんあるのに。
話はざっくりとしているけれど、「同期さん」や「年下の先輩さん」と話していて、「ヒカルさんとご飯食べたいよね」なんて話になった。
もともと「行きたいよね」なんて話になっていたけど、ヒカルさんが「辞めてしまう」なんてことになってしまえば、躊躇する暇なんてない。
「看護師さんを誘う」なんて、そんなことできるのかどうかもわからなかったけれど。。。
「看護師さん」って、ボクたちとはちょっと徳が違うようにも感じるのはボクだけ何だろうか。
とにかく「勢い」だし、「ノリ」だし、とにかく「ワクワクすることはやってみよう」ってことで、お誘いをしてみた。
なんだかよくわからないけれど、ヒカルさんは快く受け入れてくれて、晩ご飯を一緒に食べてもらうことになった。
そんな中で、ヒカルさんは、ボクたちにいろんな話をしてしてくれた。
職場が好きだいうことはもちろん、家族のこと、好きなこと、納得いっていないこと、おかしいと思うこと、愚痴なんかもしかりだ。
まあ、食事に行くって、そういうもんなんだろうけど、やっぱりいろんなことが話できて、楽しかったなあ。
悩みなんかもそうだけど、愚痴とか嫌いなことを言ってもらえることは、本当にありがたいことなんだとボクは思っている。
ネガティブなことを発言するのは良くないことなのかもしれない。
だけど、それを言ってもらえるってことは、それだけ心を開いてくれていることなんだとも受けることができる。
信頼がないと言えないことだからね。
やっぱり、自分の身の周りの人が少しでも気が楽になったり、喜んでもらうことが、一番楽しいことだってやってみてわかったことだ。
ヒカルさん、いつもありがとうございます^^
「ありがとうございました」なんて言いませんからね。
言えば悲しくなっちゃいますし、いろいろ切れてしまいそうになりますから。
そんなことはしたくありません。
これからもどうかよろしくお願いしますね。
今日も読んでくださってありがとうございました。
そういえば、「ナースのお仕事」っていうドラマ、小さい時に結構見ていたなあー。
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