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スポータ

蓮の花をこんなに間近で見つめたことはなかった。
厚みのある花びらは、大胆に開くと透きとおっていて、縦に薄く入る線が凜々しく見える。朝露がみずみずしく光り潤う。

蓮からは自然と仏陀が連想されるし、つぼみを見れば私の無意識の思考はスポータ、という抽象概念にすこんと飛んでいく。
目から入った情報が、神経をとおり、瞬時に脳内でスパークして、たくさんの記憶や情報が浮かぶ。
それ自体は皆そうなのかもしれない。そして引っ張り出されてくる情報はそのひとの経験や人生や嗜好や状況によって違うのだろう。

書きたいことは身体のなかにいっぱいある気がする。
でも出てこない。いや、追いつかない。
先に先に行きたくなる。
まだ胆力がない。
気にしてられない。
正しい書き方を、わかりやすい説明を、気にしていられないので、感覚が走る。ただ、その感覚を掴まえようとしたいので、吟味は後回しになる。
他人にストップをかけられたくない。
だが耳を傾けようとしていた人にとっては、伝わらない情報の提示は失礼であって、理解できずもどかしく苛立たしく、ことばを大切にしていないということになるのかもしれない。


スポータとは、サンスクリット語でつぼみのこと。
ことばはスポータであり、意味を内包していて、発することで本質の意味が顕現する。
いつかしっかり書きたい。

PCに向かいながら、付けっぱなしのTVの画面のなかで歌っているCreepy Nutsの歌がきこえる。
ことばのリズムと意味が小気味よく解放されていく。次に次に連れ立って重なって先に行く。疾走感が好きだ。



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