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ワクワクする学びの力:孔子の教えに学ぶ『楽習』の精神


楽しむ心を持って学ぶ:「不憤不啓 不悱不發」の教え

孔子の『論語』にある言葉「不憤不啓 不悱不發」は、教育や学習において重要な意味を持っています。この言葉は、「発憤」する気持ち、つまりワクワクするような学習意欲がなければ、教えることはできないという考えを示しています。この教えは、現代の教育理論であるインストラクショナルデザインにも通じるものがあり、学習意欲の重要性を強調しています。

「不憤不啓 不悱不發」とは?

「不憤不啓 不悱不發」の「憤」とは、発憤、すなわち強い意欲や決意を意味します。孔子は、学習者がワクワクするような強い学習意欲を持っていなければ、教えを与える意味がないと考えていました。これは、単に知識を与えるのではなく、学習者が自ら学びたいという気持ちを持つことが、学びを深めるために必要であるという考え方です。

この教えは、現代の教育でも非常に重要な指針となります。学習者が興味や関心を持って学ぶことができれば、学びの効果は飛躍的に高まります。逆に、興味や意欲がない状態では、どんなに優れた教えでも、その効果は限られてしまいます。

学習意欲とインストラクショナルデザイン

インストラクショナルデザイン(ID)においても、学習者の意欲を高めることが重要視されています。特に、学習者が自ら学びたいと思う気持ちを引き出すための工夫が求められます。これは、学習者が自らの興味や関心に基づいて学ぶことで、より深い理解や長期的な知識の定着が期待できるからです。

例えば、ARCSモデルなどの動機づけ理論では、学習者の注意を引き、学習内容の関連性を示し、自信を持たせ、満足感を提供することで、学習意欲を高めることが提案されています。これらのアプローチは、孔子の教えと同様に、学習者がワクワクしながら学ぶ環境を作ることが、学びの質を向上させる鍵であることを示しています。

「好きこそものの上手なれ」と「これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」

日本にも「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。この言葉は、何かを学ぶ際に、それを好きであることが上達の秘訣であるという意味です。孔子の教えと共通する点は、学びに対して前向きな感情を持つことが、上達や成功につながるという考え方です。

また、同じく『論語』には「これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という言葉もあります。これは、学問を好む人でさえ、それを楽しんでいる人には敵わないという意味です。つまり、学びを楽しむ心が、さらなる学びの深さや成果につながることを示しています。

「楽習」の精神を持つことの大切さ

私たちが学習支援を行う際にも、「楽習」の精神を大切にしたいと考えています。単に知識を伝えるのではなく、学習者が学びを楽しみ、ワクワクするような環境を提供することが、学びの効果を高めるために重要です。学びが楽しいものであれば、学習者は自ら進んで学ぶようになり、その結果としてより深い理解や実践力を身につけることができます。

「楽習」とは、単なる学習の一歩先を行くものであり、学びを楽しむことで得られる喜びや達成感が、次の学びへの意欲を高める要因となります。この精神を持って学習支援を行うことで、学習者の成長をより効果的にサポートできるでしょう。

まとめ

「不憤不啓 不悱不發」の教えは、学習意欲の重要性を示すものであり、現代の教育にも通じる普遍的な考え方です。学習者がワクワクするような意欲を持ち、学びを楽しむことが、学習効果を最大限に引き出す鍵となります。私たちも「楽習」の精神を大切にし、学びの場をより豊かで実りあるものにしていきたいと考えています。

学びを楽しむ心を育て、深い理解と実践力を持った学習者を育てることが、私たちの目指すべきゴールです。次回も、この「楽習」の精神をどのように実践に生かすかについて探っていきます。ぜひお楽しみにしてください。

(この記事は、2016年12月22日にオフィスKojoのブログ「伝刻の詞」にエントリーしたものを再編集したものです。)

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