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pretenderって歌詞が良いんだね

今更だけどOfficial髭男dismのpretenderを最近、繰り返し聴いている。素敵な映画を一本観た後のような気分になれる、それくらい複雑で素敵な曲であることにやっと気づいた。

”誰かが偉そうに 語る恋愛の論理 何ひとつピンとこなくて 飛行機の窓から見下ろした 知らない街の夜景みたいだ”

とある通り、人が人を好きだと思う気持ちや状況は、人の数だけある、ということを、はっきりと示してくれている。

流行り出した頃から断続的に聴いていたけど、それはどちらかというと強烈に魅力的なメロディーとアレンジと歌唱力に惹かれていたから。

こんなに歌詞が良いなんて!(敢えていろんなシチュエーション解釈を許す歌詞設計だから、ぼーっと聴いてるだけでは、綺麗に頭を滑っていってしまっていたのかもしれない)

気づいた今、なんとなく惹かれていたこの曲に、のめり込んでいる。

難しい言葉を使ってるわけじゃないのに、言葉の組み合わせが秀逸でよく聞くと全然ありふれてない。だから多くの人に届く言葉なのに、全然陳腐じゃない。

さらっと聴いていた頃は、好きな人に、その他大勢の友人の一人としか見られていなくて、今後も逆転劇はなさそうで、辛いな〜くらいなストーリーの歌だと思っていた(ほんとごめんなさい)。

”君とのラブストーリー それは予想通り いざ始まればひとり芝居だ
ずっとそばにいたって 結局ただの観客だ”

歌の入り部分だけ聴いてるとそんな感じなのだけど、最初のサビが終わった後半、聴いていると、「あれ?これ、完全脈なしの話じゃないな?」という気がしてくる(「ただの観客」が、「ずっとそばにいる」ことはあんまりないしね)。

”もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える世界線 選べたらよかった
いたって純な心で 叶った恋を抱きしめて 「好きだ」とか無責任に言えたらいいな そう願っても虚しいのさ”

「叶った恋」なんて、完全脈なしな相手に(妄想でも)思うか?
しかも「好きだ」と告白することが、当たって砕けろ!的な感じではなく、「無責任」と表現する??

”グッバイ 繋いだ手の向こうにエンドライン 引き伸ばすたびに 疼きだす未来には 君はいない その事実に Cry... そりゃ苦しいよな”

好きな人と手を繋ぎながら、そのさきの幸せな毎日じゃなくて、「エンドライン」を想像するだろうか?
しかも、そのエンドラインを取っ払うでもなく、苦し紛れに「引き伸ばして」、その結果、やってくるのは、なくなりはしないけど、その代わり矛盾をはらんで苦しい「疼き出す未来」。

”それもこれもロマンスの定めなら 悪くないよな 永遠も約束もないけれど
「とても綺麗だ」”

「永遠も約束もない」けど、一緒にいることはできる。好きなんて言えないけど、「とても綺麗だ」とは言える。

脈なしの憧れの相手を歌ってるんじゃない。ちゃんと最後まで聴くとわかる(再びほんとごめんなさい)。

pretenderのすごいところの一つは、さまざまな解釈を許すところだから、「こういうストーリーを描いた曲なんだ!」と断定するつもりはさらさらないが(なのに無個性に埋もれないのがほんとにすごいよね)、
どういう解釈をするにせよ、人の心のままならさをこんなに浮き彫りにしてくる曲にはそう出会えない。

「グッバイ」って明確に別れをつげていて、でも後ろ髪を引かれてるんだなんて単純な構図じゃない。

どうしたって「君」に惹かれる気持ちを片付けられないことをちゃんとどこかで受け入れている、だけど、一方で「グッバイ」と言うしかないことをきちんと分かってる。

「あなたが好き」「こちらも好き」、そしてハッピーエンド。

そんな関係だけじゃないもんね。辛い片思いも、辛い両思いも、辛い偏りのある両思いも、情熱の薄らいだ両思いもある。人の気持ちは白黒はっきりしないことの方が多いし、ましてやその上に成り立つ人の関係なんて、不安定で曖昧だったとしても当然だ。

相手とのハッピーエンドが望めなくて、ぷっつりそこで、自分の気持ちが切れたらどれだけ生きやすくなるだろう。

そして改めて、運命の人って、どういう人なんだろう。









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