見出し画像

「生き方」のコンパス Vol.88

幸せは遠回り。


みなさん、こんにちは!ペーパーカウンセラーよしゆきです。

まず最初に。
きしゃこく先生に記事を取り上げていただきました。

いつもいつも、本当にありがとうございます!
毎週のように紹介いただき、ただただ感謝です!


さて今回は、幸せは遠回りということについてのお話となります。

タイトルだけ聞くと、「え~っ!幸せになりたいのに遠回りなんか嫌だ!」って思うかもしれませんね。私もそう思います。(笑)

みなさんが今まで生きてきた中で、辛かったり苦しかったり、あるいは泣きたくなるようなこと、逃げ出したくなったりするようなことって、きっとあったのではないでしょうか。

しかも人は、ネガティブなことを拡大解釈してしまうので、必要以上に生きていくことが苦しく思えてしまうような思いをした方もいるのではないかと思います。

みなさんはいかがでしょうか?今、生きていくことが楽しいと感じますか?それとも辛いと感じますか?

もしも辛いと感じている場合、一生このままなのでしょうか?

あのね、前の記事にも書いたのかな?
幸せを「白」、不幸せを「黒」でイメージしてみようか。

白い紙にね。白いペンで絵や文字を書いたって、何も見えないの。
それってね、いつも幸せなことばかりだと、「幸せ」って感じることができなくなってきてもおかしくないの。

「そんなことない!」って思うかな?

でもね、私たちは食べものや住むところ、着るものなんかに困ることって、あんまりないんじゃないのかな。

それってね。本当は幸せに囲まれているんだけど、「幸せ」って感じることができずに、「当たり前」になっていたりするんだよね。
それと似たようなことなのかな。

それからね。黒い紙に白いペンで書くと、はっきり見えるよね。

例えば極端な話、災害や遭難、事故なんかで、死ぬか生きるかっていうような思いをした時にね、温かい飲み物や食事、毛布なんかを与えてもらったりしたら、本当にありがたいよね。
でもそういったものって、何でもない時は「当たり前」のように思うよね。

どうかな?
もしかしたら人ってね。すごく苦しい思いをした時に、本当のありがたみが分かるようになっているのかもしれないよね。
失った時にしか、ありがたさが分からないのかもしれない。

でも、誰が好き好んで苦しい思いをしたい!って思うかな。
誰でも嫌だよね。もちろん私もそう。

でもね、さっきの事例のように、ずっと幸せに囲まれていたら、「幸せだなぁ」って感じる力が備わっていないと「当たり前」になってしまいやすいのかな。

そんな「幸せだなぁ」ってことを感じる力ってね。
もしかしたら色んな苦労を乗り越えた人が身に付けている力なのかもしれないよね。

筋トレと同じように、短期間で身に付くようなものではないのかな。
ある程度の期間を経て、思いやりや感謝、優しさや慈悲、こういったものを包括する「愛」と、苦労するような体験が融合して身に付いていくものなのかもしれないよね。

幸せを感じる力。
人が生きていく上で大切なものの一つなの。
まずはそういったものがあると「気づく」ことが前提なの。
気づいていないと、幸せは遠くに行ってしまうのかなぁ・・・。

どうかな?
こんなことを考えた時に、幸せになるってことに近道なんかないのかもしれないよね。

苦しいこと、辛いことを、いかに幸せを感じる力の栄養に転換できるか・・・。
それって遠回りしないと得られないものなのかもしれないよね。

今回は、幸せは遠回りについてのお話でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?