見出し画像

正しく絶望する

こんばんは。夜分にどうもshotaでございます。

※このnoteは、ひたすらネガティブな感情を撒き散らす、多分結構えぐめの内容です。果てしなくネガティブな内容を伴います。気分に振れ幅のある方はここでブラウザバックすることを推奨します。脅しとかではなく、マジです。読んで何も思わなくても、多分後々効いてきます。気分を落として仕事やプライベートに支障をきたしたくない方は、本当にここまでにしてください。それくらいエネルギーのある言葉を使うので。断りは入れました。あとはお好きにどうぞ。

---

最近、とても絶望することが多いです。この絶望というのは、ネタとか冗談などではなく、確実に僕の脳内に強烈なネガティブな感情を持って、思考を完全にぶっこわす超強力なマダンテなみのやつです。完全に人生の淵です。

ここ数日、毎日生きた心地がしません。理由は、直接的には書きませんが、多分読んでいるとわかるかと思います。

ことが起きてから数日、僕の頭の中は…中は…数日後の今振り返ってもよくわかりません。とにかく絶望しています。そこからさらに追い討ちをかけるように、昨日新たな絶望が生まれました。そしてさらに、今日の夕方に、また新たな絶望が生まれました。

もうどう生きて良いのか分からなくなりました。僕にはもう何もないのか。とも一瞬思うレベルに。親は健在です。仕事も失っていません。でもここまで絶望する理由はなんだろうか。なんなんだろうか。

絶望はターニングポイントにやってくる


僕は今、果てしなく絶望しています。多分、縋っていたんだと思う。いやどうだろう。全てがそうかと言われるとそうではないと思う。けど、縋っていた部分が多かったのではないか。

僕は今、家を失おうとしている。いや、別に住み続ければ良いだけ。住み続けても良いか。でもそれは無理だ。心がもたない。というか、別れるわけでもない。別の住まいにそれぞれが移るだけだ。ただ、この住まい分けには非常に重たい理由がある。

別れるわけではないと言ってみたけど、まぁもうぶっちゃけそれと同義でもある。たまに会う。仕事の話をする。猫に会いに行く。一匹引き取る。お互いの家の様子を見に行く。そういった話はしたものの、本質ではない。離れるきっかけは、僕の性格。

なんだかんだ一貫している僕の性格


僕と関わる人が見る可能性があるのにこんなことをここに書き残すのもおかしな話ですが、多分ね。僕、だいぶサイコパスです。目先の自分の充実を非常に優先する傾向にあるようです。そして何より、僕はどうも「自分が良ければなんでも良い」という思考が根底にあります。

彼女はなんのために作るのか、寂しさを埋めるためか?
友達はなんのために作るのか、ひとりぼっちだと思われないために?
パソコンはなんのために買うのか、見栄を張るためか?
SNSはなんのために伸ばすのか、お金を稼いで欲を満たすため?
一つ一つの行動にはどんな理由が、少しでもよく思われようとしてる?

どれもこれも、自分ベース。自分が良ければそれで良い。良くないことが起きてもそのまま凌げばなんとかなる。ダメなら誰かに頼れば良い。できないならやらなければ良い。できないことは他人に任せる。自分は楽なことだけ。もらうのは自分だけ。お返しもしない。ひたすらに奪う。もらう。自分のものにする。

世界の中心にいる実感はないが、全てが手に入れば良いような気がしているのかもしれない。そんなことを考えるのすらどうでも良い。今の自分が良ければ。

自分の性格によって、周りが距離を置く


こういった性格を持っていることに気づいたのは極々最近。もうマジで数日前レベル。いや、薄々は気づいていた。本能的に今の自分が気持ちよくなるように行動してきた。ある程度戦略的にその気持ちよさに辿り着いたこともあった。そのために今の気持ちよさを犠牲にすることもあった。

その結果、そういった僕の根源に気づいた人から、僕の元を離れたんだと思う。元カノ然り、友達しかり、同級生しかり職場の同僚しかり、僕以外の人は、僕のそういう奪う気質に気付いたんだと思う。

その気質に気づいた人たちは、僕に絶望を与えてくれた。今の僕が絶望しているのは、僕の性格に対して「NO」を突きつけてくれた人たち。彼女もそう。通い始めたマッサージの人もそう。研究者の先生もそう。ただこの方々は、僕に 「NO」と言っているのではなく、僕の性格、気質、性質、そういった中身の部分に「NO」を突きつけている。

ただ、その事実が辛い。中身とは言ったものの、それは僕を構成するものの一つだ。広義的に入ればそれは僕が「NO」と言われているということも出来る。でも現実そうではない。

お前の全てが悪い。いらない。消えろ。そう言っているのではない。そうではなくて、あなたの性格のここが、今の私たちには合わない。と言ってくれている。僕は絶望しているが、この絶望は意味のある絶望だと思った。

そうは言っても前は真っ暗


「今の君の性格は、私たちとは合わない」は、オブラートに包まなくても明確な拒絶だ。それをここ数日のうちに3つの世界から突きつけられた。それも、ある意味僕の世界の全てだと言っても良い。これはもうお先真っ暗だ。

先ほどシャワーを浴びてきたが、現実が分からなくてしばらく口が空いていた。普段気がつくといつでも口を閉じている僕でも、ここまで絶望すると空いた口が塞がなくなるのか、というのにも気づいた。そして絶望した。

でもなぜか涙が出ない。確実に辛い状況のはず。そしてそれは脳も理解しているように感じる。でも涙が出ない。全く反応しないわけではない。事実を受け入れようとした時に、ふと自分の奥から込み上げてくるものを感じる。でもすぐさまそれを俯瞰する自分がいて、その自分に対してさまざまな評価を下す。または下した自分を想像してさらに色々な嫌味を言われる想像をしている。

ふっと感情が込み上げてきた時に「男って泣くもんじゃないよな」とか「こいつ全裸で泣いてるよ」とか「ほんとに泣いてるの?演技?」などの言葉たちが一瞬にして頭を駆け巡る。そして一瞬で消え去る。そしてまた出る。また消える。また出る。そうしているうちに消えて、それらを俯瞰してみて、感情が冷めていく。

これが根源にあるから、僕はいつでも自分を優先してしまうのかもしれない。今書いていて思った。僕の大元はだいぶビビりで、非常に闇が深い。そんでもって、これが治らないと一緒には入れないと言われているんだ。これが絶望以外のなんという。

それでも今日を生きるしかない


ここまで絶望しているけど、不思議と「じゃあ死ぬか」とはなってない。なんなら最近見ている大愚和尚の動画で知った「出家」をしてみようかなとも思っている。そのためには120万円が必要だけど、一人暮らしになったら多分勝手に溜まる。毎月何十万も稼いでいるけど、自分の欲望のために使っているし、二人で生活しているから出ていく部分も多い。多分勝手に溜まると思う。と言う話はさておき。

こんだけ絶望してるけど、結局やるしかないんだよな。という気持ちではある。実家へ帰ろうかと思うけど、荷物が増えすぎて実家には置けない。あと実家に戻るという選択肢を今の自分が取ることが何を意味するのかもわかっている。それは停滞だから。そしてもう親には頼りたくないという自我も芽生えてきた。これを手放すわけにはいかない。

あと、今の絶望をくれた方たちに、報いたい気持ちもある。絶望を与える側には大変な労力がいると聞いた。正直その気持ちは僕には分からない。意図して絶望を与えたことはないし、多分僕が与える絶望は優越からくるものだから。

今までの僕は「shotaって、結構変わったね」と言われても、変わった気がしなかった。多分元の部分が変わってないと思う。僕自身、保育園の頃、土曜日に園内のブランコから空を見上げて、飛んでいる飛行機と、地上に反響する音を聞きながら虚無感を感じた頃から、変化していない気がする。人への対応は変わった。テクニックとして。でも、根本に変化がない。

こうしたら相手が喜ぶ、怒る、円満に行く、その場を凌げる、などのテクニックは多少身についた。でも、それを身につけても僕の核の部分が揺れたことはない。もしかしたら揺れたことはあるのかもしれないけど、結果的にその頃から変わっていないと自分が言うんだから、事実としてそうなんだろうなと。

今さらながら、25歳の壁にぶち当たったのかも


はい。というわけで色々書いてきましたが、ここまで読んだ人は多分いないと思うので、まぁ最後も好き勝手書いていきます。

あのー。こんなことを書いてると対して絶望してないように捉えられるかもしれませんが、正直もう一杯一杯です。こうすれば良いんじゃないか、という行動が全て裏目に出てます。何しても逆効果。ここまで歯が立たない現実は初めてかもしれません。マジで何も上手くいかない。

ブログのタイトルに「25歳の壁」とつけました。これにはその当時言われていた「25歳になったらぶつかる壁」を元に、その壁に自分がぶち当たっていると感じて、その悩みを同世代が抱えるものの少しでも役に立てば良いなと思ってタイトルを選んでいました。

今は29歳。なんやかんや25歳は過ぎました。前の僕は25歳の壁を乗り越えたということにしていたみたいですが、振り返るとまだ乗り越えていない気がしてきました。だって、乗り越えたと言うよりも、勝手に時間が過ぎただけですもの。もちろん心と向き合っていましたが、壁を越えたと言うよりは、壁とともにこの年まできた、と言う方が正しいような気がします。だから29歳の壁というよりも「25歳(と48ヶ月)の壁」みたいな感じ。

で、まぁ結果的に書いて心は多少落ち着きましたが、相変わらずお先真っ暗ですし、一緒に仕事しよう!となっていたところも断られてしまいましたし、やはり果てしない絶望が今の僕を支配しています。

とはいえとはいえとはいえ。この先、僕が誰かと共に生活したいのであれば、この絶望は乗り越えなければいけないんだと思います。でも正直分からん。根本の、根源の部分だから。でもそこを治したい。人と生活したいから。でも分からん。

そんな絶望を抱えている29歳です。来月30歳。僕もこんだけ辛いんで、絶望している人がいたら、一緒に絶望しましょう。落ちるところまで落ちないと、絶望は絶望と言えないです。そこから這い上がるからこそ、人間として成長できるはずです。正しく絶望して、成長しましょう。ってなわけで。ここまでお読みいただきありがとうございます。そいではバイバイ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?