9月の初め。つらつらと。

9月。気づけば9月。毎日、1日1日をがむしゃらに過ごしていたら、すでに9月。9月。そして3日目。もうすでに2日が過ぎている。先の予定も決まっている。途中までは二人と3匹で。途中からは一人で。

生活を共にする人がいなくなる恐怖。
今まで誰かと共に分かち合っていた時間が、一人になる不安。

色んな感情に襲われているのが今。

初めての一人暮らしに、なんだかんだ楽しみな自分もいる。とりあえず新居に早く荷物を置いて、どんな雰囲気になるのかみたい。

自分の理想とする部屋作りをするために、何をすればいいのかを早く判断したい。その空間で過ごしてみたい。その空間で仕事をしたい。人を呼びたい。

そういった欲がたくさん生まれる。今までであれば、その欲を共有する人がいた。今後はいない。これが寂しい。これが悲しい。これが恋しい。

とはいえ。この、自分の一部が失われる感覚。この感覚に身を置いた状態で、今はまだ彼女という程を保つ彼女と話す。するとどうだろう。感傷に浸る暇もないほどに現実を突きつけてくる。少し、いや大いに脚色されたであろう、自分の一部。これが、現像であったと理解させてくれる。

彼女はとても現実主義だ。妄想の中に生きない。夢の中に身を置かない。必ず手にいれるという野心を持って、想像を現実にする力がある。

今回の場合は、僕が抱えている過去を、新しい未来。いや、今を見せつけるべく活動している。嫌味ではない。マジだ。ガチだ。真実だ。本物だ。

楽しかったよ。ありがとう。と思う心すら、すぐに消し去ってくるほどの現実。

あーはいはい。わかったわかった。と、つい身構えてしまうほどの強烈な現実。

悲しいことは確かなんだけど、彼女がこうして現実を見せてくれるおかげで、前向きに慣れてる感覚はある。正直居心地が悪い。めっちゃうざい。いちいち言わなくてよくね?最後くらい仲良くしませんか?その言葉今言う必要ある?性格わっる。みたいな、すんごいネガティブな感情に襲われる。

でも、そのおかげで今が見れる。過去に浸って気持ちよくなろうとする自分を、強制的に現実に戻してくれる。うざいけど、それがありがたいと思う。

ただ、ここまで色々言ったけど、僕は彼女を知っている。強い言葉を吐けば吐くほど実感してしまう。彼女の不安を。恐怖を。新たな道へと挑む楽しさを。強い言葉は弱い自分の裏返しのように。その裏に隠される、彼女の弱さを感じてしまう。

だからこそ、強烈な言葉を離れても自我を保っていられる。その自我を持って、今の彼女へと向き合う。今までの感謝を込めて。

僕も前に進もう。

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