お前の話が聞きたい。って人になりたい

ちゃっちゃちゃーっす。shotaでござる。

今日は絶賛お仕事中なんですけど、しょうもない思考の欠片をこの世に生み出すべく時間を浪費したいなと思い、筆を取っている次第でありんす。

・いいから俺の話を聞け
・この人の話が聞きたいって人になりたい
・あなたの意見が聞きたい

これらは、今回のnoteのタイトルに悩んだ言葉たちです。

というのもですね、僕は最近「加藤純一」のYouTubeだったりTwitchだったりをひったすら垂れ流して聞いているんです。が、ね。この人の話がまぁ面白い。めちゃくちゃ面白い。ずるい。羨ましい。あぁなりたい。こういうふうに生きたい。いいな。すごいな。っていう感情がめっちゃくちゃに流れてくるんです。

でも何がいいんだろうか?はよくわかりません。面白いからとか、かっこいいからとか、子供みたいにはしゃげててすごいとか、とにかく色んな感情が頭に浮かんできます。

昨日なんか「なんでも良いから加藤純一だけは死なないでくれ、身の回りの人と家族以外は良いから、とにかく加藤純一だけは生かしてくれ」って、そもそも殺される前提で、そんなことを考えるくらいにどっぷりでした。

「何にそこまで惹きつけられるんだろうか」と思考を巡らせた時に「この人みたいにひたすら自分に正直に生きたい」んだろうなと思いました。

僕は結構自分の考えとかを隠すタイプで、もうそれが習慣化してしまってるので手放すのがまぁ難しいんです。基本は何も言わない。でも思ってることや感じてることは沢山ある。でもそれを放出する選択をしないから出し方がわからなくなってる。そのうちその感覚すらも鈍ってくる。そして鈍った。そう。僕の場合はアウトプットを控えすぎて、アウトプットの仕方を学ばずに大人になってしまったためにアウトプットに関する感性が軒並み衰えてしまいました。

僕にとって加藤純一は真逆なんだと思います。そりゃ全てを出しているわけではないでしょう。でも僕が出せないところを出しているところに、すごく惹かれてるんだろうなぁと思います。羨ましい。仕事の話とかめっちゃくちゃオープンに話たい。収入の話もズバズバ言ってしまいたい。ブスとかバカとか言っちゃいたい。でも言えない。言いたくない。

そりゃぁ言わないことがいい時もありますよ。でも言ってみないと。言ってみて失敗してみないとわからんのですよ。言って良いことと悪いことの区別がついていないから、全部言わないを無意識に選んでるわけです。

同居人に言われました。あなたは言わなさすぎる。と。言えないんだから仕方ないじゃん。と。僕は思ってしまいます。でも、2〜3年前と比べるとだいぶ出せるようになったとは思います。でもまだ足りない。もっと出したいことがいっぱいある。話したいことが沢山ある。でも「これを言ったらどうなるんだろう…」と不安になってしまう。幼少期の体験から僕は自分のアウトプットを制限するようにしてしまった。

おっとだいぶ脱線しましたが、自分を隠す癖があるために、自分の意見をアウトプットできる人が羨ましいなと思ったって話でした。っていうのを加藤純一を見て思いました。

その先にあるアウトプットのセンスもまぁ重要ではあるんですが、やっぱりまずは自分をアウトプットするってところが重要なんじゃねぇのってところです。僕はそのアウトプットの部分が心底苦手。

なんかさ、こう、色々と背負うものというか、色々持ってくると、この情報は出さないでおこうとか、これは出してもいいよなとか。そんな感じで情報を選ぶのがそもそもめんどくさい。持ちすぎてる。抱えすぎてる。定期的に出す習慣がないから、しんどくなるんだろうなと思います。思いました。

そういう意味では、ブログの毎日更新はなんだかんだで良かったんじゃないかなと。でもブログは稼ぐ目的の方が強くなってしまったので、僕のしたいアウトプットは今のブログではできない。YouTubeはどうだろうか。そっちも発信する内容を決めてるし目的も稼ぐことなのでできない。

ってなわけで、今後のなんとなくの目標として、素直な自分をアウトプットできるようになりたいなってのと、そういう場所を作りたいなってのの2つが出来上がりました。

我慢ってのは、つまり自分を隠すってことで、我慢の限界ってのは隠した自分が溢れ出すことを指すのではないかなと。思いますね。はい。

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