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#48 the monogatary | カレー名人

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私にとって…。父親とはどんな存在なのだろう…。


父親との想い出。私が物心付いた時に、父親はいなかった。父親がいない生活。それが私にとっての全てだった。

父親がいない生活。それは地獄の日々。中学までは順調だった。しかしながら。高校生になって私の日常は崩れ始める。

<1 自宅での日々>

もしも私が自宅での日々を一言で形容するのであれば。そこは戦場だった。罵声なんて当たり前。暴力なんて当たり前。それが私にとっての常識であった。それが私にとっての日常であった。

<2 学生生活(高校時代)>

硬式野球部。それが高校時代の部活。その練習は常軌を逸する。それほどまでに。高校野球は過酷なのである。それでも。私はその毎日が楽しくて仕方なかった。野球をしている間は、嫌なことを忘れることが出来た。時には泣きながら練習をした。それでも。私にとっての幸福がそこにはあった。


幸福とは。人によってそれぞれ。精神科医の樺沢さんは説く。

趣味を持つこと。それが幸福への近道である。

樺沢

そうかもしれない。樺沢さんの調査によれば。昨今では趣味を持たない方が一定数存在するらしい。娯楽に溢れたこの世界。私たちは必然的に。取捨選択を行う。

最近。中国語の勉強を始めた。大学時代。私の第二外国語は中国語であった。その日々は激動。私の心は既に崩壊していた。ゆえに。毎日が不幸の連続であった。私が培ってきたもの。それは。次々と失われていく運命。努力をしても。叶わぬ夢がそこにはあった。

<3 学生生活(大学時代)>

大学生としての日々。それは苦悶の毎日。本来。高校時代に蓄積されるべき知識。それを私は。有していなかった。ゆえに。私を待ち受けていたのは。日々勉強。そんな毎日。しかしながら。その時点で私の心は崩壊していた。

<3-1 不調>

メンタル疾患。私は高校生の時点で詰んでいた。それでも。カーネギーの言葉を信じて。私は忙しさに身を埋没させた。それが私にとっての光なのだと信じて。それが私にとっての希望なのだと信じて。しかしながら。それは単なる幻想であった。

不登校。大学時代の私はこの問題に直面する。家を出ることが出来ない。必死に思考する。それでも。私の身体は思うように動かない。このままでは。その想いが私をこころのクリニックへと誘う。

<3-2 通院生活>

大学1年の冬。それが私の主治医との出逢い。淡白。そんな言葉がお似合いの先生。今に至るまで。私はこの主治医にお世話になっている。10年近く。私はこの先生と向き合っている。


練習は不可能を可能にする

小泉

この言葉を胸に。私は精進を続ける。いつの日か。極上のカレーを食べることが出来るのだと信じて。