母の葬儀の打ち合わせ。帰りの雨がすごかった

自分でもなんでだろうと思うけど、涙が止まらないとか、落ちこんで精神状態が最低に、ということにはなっていない。

何回か母の様子を見ていて、現実を受け入れつつあるのか、それとも私のメンタルが、ダメージを受けないようにしてくれているのか。

それより、人生で初めてのことばかりで。
それをひとつひとつ対処しないといけないことに気が向いているような。

兄弟がいたら、2人で分担したりできるのになーと思う。

おばと2人で、業者の人と打ち合わせ。

お金ないので、とにかく最低限のものにしてもらう。
無い袖は振れない。業者の人がいないときに、おばと、「わかってくれてるよね」と話す。苦笑

安置されている母を見る。
横になっている母を後頭部から見るような形で、顔は完全には見えない。

こんなに白髪あったんだな、と初めて知った。

病院の集中治療室にいたときの、機械につながれて痛々しかった状態とは違い、いつもリビングの座いすに横になって昼寝しているときのような、
穏やかな雰囲気があった。

いろいろ話しかけたら、泣けてきた。
おばが肩に手をのせてくれた。

打ち合わせが終わり、帰りはすごい雨が降っていた。

私はあまり涙が出ていない。
もっとわんわん大泣きするんじゃないかと思っていたけど、いまのところ、そこまででもない。

空が代わりに大量に泣いてくれたらいい。

帰宅。

祖母に「綾ちゃんと〇〇(おばの名前)がいて助かった。私ひとりじゃ何もできないよ」と言われる。
最近の祖母は、こんな風に、年老いた自分のことを否定的に言うことがあるのが気になる。

おばが、父親(私から見て祖父)が亡くなったときの話をした。
火葬のときが一番つらかった、と。姿かたちがなくなるから。

建物の出入り口の前で、4、5歳ぐらいの兄弟らしき男の子2人がいて、
傘を降ってはしゃいでいた。その男の子たちの母親らしき、黒い着物を着た女性もいた。

これから葬儀で、亡くなったのは父親だろうか。
あれぐらいの年齢なら、まだ、人が死ぬということがよくわからないから、ダメージも少ないだろう。

私はもう大人だ。
あの男の子たちのように、よくわからないままではいられない。

つらいのは、これからだな。


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