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余命2ヶ月の父が教えてくれたこと

1年前、父にガンが見つかり、余命8ヶ月を告げられた。

余命宣告というものが、どれほどの真実味を帯びたものかわからなかった私は、ネットで検索したり、本を読んだり、知人に聞きまくった。

「余命宣告なんて当てにならない」

というのが、私がたどり着いた答えだった。

実際に、余命8ヶ月と言われてから、1年が過ぎた。

父は抗がん剤治療を受けていて、最初のうちは順調に薬が効いてるように思えたけど、病状は安定せず、快方に向かっているのか、悪くなっているのか、側から見ていてもよくわからなかった。

父の病気を知ったのは、去年の緊急事態宣言が出てすぐの頃。

これまでは年に3回は帰省していたけど、父の病気がわかってからはまだ一度しか帰れていない。

そして先日、母から連絡があり、改めて医師から余命2ヶ月を宣告されたとのこと。

リビングニーズで保険を請求するなら、診断書を書くよ、と。

いよいよ、最期の時が迫って来ているようだ。

世の中には、余命数ヶ月から生還した人も沢山いる。

「余命宣告なんて当てにならない」

そう思っていたけれど、時々、母から送られてくる父の写真を見ると、もう長くないだろうなと素人の私でも思ってしまうくらいに衰弱している。

現在の父は、まだ意識もあるし、話せるし、LINEもできるし、ご飯も食べることができる。

でも、もう来年の今頃は、この世からいなくなっているんだろうな。

十分時間もあったし、心構えはできているつもりでいた。

それなのに、いざカウントダウンが始まると、ものすごく動揺して落ち着かなくて、仕事でもミスを連発して、周りに心配されるくらい揺れ動く自分がいた。

正直、父のことなんて好きじゃなかった。こんな人になりたくないって思いながら生きてきた。

親が死んでも泣くことはないだろうと思っていたぐらいだったのに。

この数週間でいろんなことを考えた。人生でこの上ないだろうというくらいに。

父のガンが見つかってから、なんとなくSNSからも離れていたのだけど、改めて発信しようと思う。

本当に愚かだけど、死を間近に感じて、有限の生がどれほど貴重で輝くものなのか、自分の生きている世界がどれほど美しいのかを知った。

美しい世界は変わりなく存在するのに、得体の知れない不安や、顔も知らない誰かの意見に翻弄されて、本質を見失っている。

豊かさを感じるには、心の底から幸せを実感するには、「知性と心を育むこと」が必要だ。

そして、何の肩書きも持たない普通の人々が、知性と心を磨いていけば、世の中はもっともっと良くなる。

そのことに気づいた時、私の中で忘れていた情熱が込み上げてきたのです。

ちょっと重めの話を書いてしまったけど、今は落ち着いています。

私の経験はきっと誰かを救えるはずと信じて、自分の学びや想いを綴っていくことにしました。


学びは人生を向上させる。

だけど、知識を蓄えただけでは、人は幸せになれない。

同時に心の柔らかさ、良識ある判断力、倫理観が備わっていなければ、人は幸せを感じられないものだ。

本質に触れよう。広く、深く。

知性と心を育もう。

世界はもっともっと優しく、美しい。





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