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埋まらない隙間(1)

 何かが足りない。  

 満たされない。  

 隙間が空いている。  

 それは物心ついた頃からそうだったのだろう。  

 何が足りないのか深く考えもせず、小学生の私はただ食べ続けた。  

 学校から帰ると塩むすびを食べ、父の帰宅に合わせて他所の家庭より遅めの夕食ではご飯を何杯もおかわりした。おかわりをするたびに「おまえどんだけ食うんや」「あっと驚く為五郎!」「関取になるんか」「いつまで食っとるんや」と父に繰り返し言われた。夕食の後にも自分の手から溢れるほどの大きさの塩むすびを食べていた。  

 ただ詰め込むように食べた。今考えると、本当にご飯(白米)が美味しくて食べていたのか疑問だ。  

 でも、自分の胃が限界を訴えると何かが満たされた気分になっていた。    

 一学年上の姉はやんちゃな人で、よく物を隠されたり悪戯されたり、プロレスの技を掛けられたりした。つまり泣かされていた。それでも友達の少なかった私は姉について回って邪険にされていた。姉は運動神経が抜群で小・中・高とバレーボールに打ち込んでいた。反抗期は幾度となく母が学校へ呼び出され、両親ともお手上げなほど激しいものだった。  

 4歳下の妹は生まれつき病を患っていて手術を受け、その後随分長い間定期的に母と通院していた。病気を患っていた弱者であること、そして末っ子であるがゆえの親からの惜しみない愛情を当然の権利として手にしていた。私から見れば強者だ。同じことをしても私だけ父から叱られ、妹には何のお咎めも無しなんていうことは日常茶飯事だった。  

 妹もそれを理解していた。姉にはべったりだったが、私のことは姉とは思っていない言動を取っていた。都合の良いときだけの「お姉ちゃん」だった。  


 こうして両親の時間が姉妹に消費され、私に与えられたのは「祖父母の面倒をみること」だった。 

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