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心の扉をたたく291の質問①

立川志の輔師匠がまくらで紹介していたグレゴリーストック師匠の質問だけ書かれた本が気になって、本なんてほとんど読めないのだけど、珍しく購入してみました。
これは、1987年に発行された170個くらいの質問の本に、追加質問を載っけた新書版となっています。
まず、質問だけ書いて本にするっていうフォーマットがスゴイですよね。
電子書籍とかにもなく、新品すらもあまりないので、プレミアが付いてるのかこの本はAmazonで4千円もしました。

せっかくなので、全部みんなでやってみよう。

001. 10代の時から現在までで、自分がもっとも成長し、変化した時期はいつですか?
もう一度そんな時期を過ごしたいなら、何をすればいいですか?
あるいは、どうすればもう一度、奮起できますか?

長い。一問目にこれを持ってきたのはあまり良くない。自己啓発本みたいになっちゃってる。
一問と言ってはてな3つもあるのはどうだろうか。
でも全部に回答したいので真面目に答えてみよう。
まず、自分が最も変わったと思うのはどこだろうか。おそらく、猫を飼った前後が一番変わったと思う。
単に可愛いからとかそんな話ではなく、多分話の通じない相手の事を考えるという他では味わえない事態に陥ったからだと思う。

日常生活や仕事において、話が噛み合わなかったり、通じなかったりすることは間々あると思う。しかし、そんな時はしっかりと心理的ディスタンスをとって来た。と言うよりは自然な事で、距離が生まれた。
もちろん、少しは理解を試みただろうが、そこまでの根気を消費することはしていなかったはずだ。
ところが、同じ屋根の下、気を抜くとうっかり弱ってしまう様なか弱い生物が、恐らくどちらかが死ぬまで一緒になると確約されたあの日から、僕は彼と向き合わなければならなくなった。
人生のモットーは楽しく流されよう。だった僕にとって能動性が求められた初めての経験だったかもしれない。
そんなわけで、父性や母性なんてカッコいいものでは無いが、一方的なコミュニケーションを知ってから人間相手でも表面化しない要望や感情をなんとか捉えるという能力が磨かれていったような気がしてならない。
もし僕の伝記みたいなものが手違いで誕生した場合、確実に章はその前後で分かれるだろうと思う。
あの時の発見をそれとするならば、もう一度そんな時期を経験したいかと言われるとしたくない。成長や変化は楽しいが、それを再度経験することには魅力を感じない。
であればむしろ、もっと小さいサイズでいいから僕は猫からまた次の学びや経験を貰ったほうが嬉しい。
ただ、確定している成長要素というものもある。死別だ。
生物学的、いや統計学的だろうか、おそらく僕のほうが残される側だろう。
何か魔法のようなもので、我々から死の概念を取っ払ってやろうかと提案されてもまず間違いなく断る。ゴールのない人生という名のウォーキングは張り合いがないし、死に変る恐怖が生まれるだけで解決などしないからだ。
けれどももちろんその別れは来てほしくない。
避けれない、忌むべきそんな恐怖の象徴である死別はそれと同時に僕に確実に何かしらの成長を促すだろうとも思っている。
もしその時に、出会った頃以上に何かを学べるように準備できることといえば、それは愛することしかないに違いない。

002. 6歳になるあなたの娘のお気に入りは、おしゃべり人形です。もしその人形が、同じメーカーの別の人形を友だちに欲しい、と娘を説得しはじめたらどうしますか?

むすめとやらは、人形の説得に信頼しているようだ。ならば、その人形に友達が欲しい理由を説明させると思う。
まずおしゃべり人形とやらに、どれほどの自我があるのか気になるところだ。
でもまあ寂しいから、いたら楽しいから。この辺が無難な回答パターンだろう。
おしゃべり人形と言うからには結局喋ることしかできないと思う。
もし、動けるのであれば「おしゃべり人形」ではなく「動く人形」と呼ばれているはずだ。
人形で遊ぶ娘がいるということは今から十年以内、遠くとも15年くらいでないとならず、そうなると、技術レベルとしては今とあまり変わらないので、一般家庭が手に入る人形のスペックなど、喋れるが限界だと思う。

そうなると別にもう一体くらい増やしてやってもよいのだが、人形風情にプレゼンされ、しかも現場のクライアントレベルにしか通ってない話を、決裁者である僕が二つ返事で買うなんてことは、企業イメージを守る意味でもやってはいけない。
やはり友だちが欲しい理由を話させるしかない。
この人形も友達が欲しいというあたり、精神年齢的に大きくてもまだ高校生くらいだろう。
じゃなければ友だちが欲しいなんて言わない。
例えば〇〇の趣味を持つ仲間が欲しいとかはおじさんになっても思うだろう。
しかしスペックや特色に指定のないピュアな友達というカテゴリの同族を欲しがっているということは、精神的にはまだ未熟だ。
人形で遊ぶ年齢の娘と会話して、願いを説得できるレベルの信頼を勝ち取っているのだから、年上ではあるが、そう離れていない。
思考レベルが離れすぎている相手と飽きずに喋り続けるなど無理な話で、僕なんかも例え友達の子供だとしても数分で飽きる。

寂しいから、いたら楽しいから。そう言われたら、「この草花はどうだい?」と既存のオブジェクトを勧めてみる。
いわばこいつもそのメーカーの回しもんであるのだから、単に売上を伸ばすよう教育されている可能性が高い。

と、ここまで考えて、遠く離れた海の向こうのおじさんが考えた質問に対し、貴重な昼休みを削ってまで考え、回答し、あまつさえそれをインターネットに公開し、閲覧をして欲しいと願っている僕は、
命の宿らない悲しきおしゃべり人形にほだされて別個体の購入を僕におねだりしてきているこの空想上の娘と何が違うのだろうか。

すこし赤面して考えるのを辞めた。

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