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生き死にについて ~三浦春馬さんの訃報で感じたこと~

どうも。うぇい。です。

この記事を書き始めたのは2020年7月19日(日)

前日にあたる2020年7月18日(土)、人気俳優の三浦春馬さんの突然の訃報。
うちは夜に友達とLINEでやり取りしていた時に友達から聞いて知ったんだけど、その時にめちゃくちゃ動揺して、ものすごく胸がざわざわして、ちょっとした動悸に近い感覚があった。
しかもその時にちょうどテレビでは映画コンフィデンスマンの放送をしていて、まさに三浦春馬さんが思いっきり出ていたシーンで、何とも言えない気持ちになりながらも、眺めてた。普段テレビも映画も全然見ないし、途中からだったから話の内容も全然わからなかったんだけど、最後まで見てしまった。
それまで全然何とも思ってなかったけど、笑顔がめちゃくちゃ優しい笑顔するんだな、って見惚れちゃったわ…。
突然死による喪失感が余計そうさせたんだと思うんだけど。

って書くと、めちゃくちゃファンだったように思われるかもしれないけど、実は全くそんなことはなく。
むしろ、この訃報を聞くまでは、「イケメン俳優さんの一人」くらいの認識でしかなかった。

そんなほぼ自分の興味関心の範囲にすら入っていなかったような方の訃報で、なんでこんなにも動揺して胸がざわついてしまったのか。現時点でまとまっていることを綴ってみようと思う。

(※全然内容は深くないです)

考察① 「亡くなるわけない」という思い込み

動揺した原因の一つは、「自分よりも若い子が亡くなるわけない」という思い込みがあったからだと思う。
要は、「亡くなるだろうな」っていう心の準備が出来ていなかったことにあるんだと。

三浦春馬さんの享年は30歳。うちよりも5つ以上年下。
特に病気があったという話を聞いたことがあったわけでもないし、
「何もない≒元気でしょ」
っていう思い込みと、
「若い人≒よっぽどのことがない限り亡くならない」
っていう思い込みがあった。

「死なないでしょ」って、自分が勝手に思っているだけど、だからこそ、ショックが大きかった。

人の死なんていつ訪れるかわからない。

そういう意味では、新型コロナウィルスで亡くなられた志村けんさんの訃報も衝撃で、それに近いものがあった。
逆に、近年祖母が亡くなったけれども、そんな衝撃はなかった。それは前々から「心の準備をしておいて」と言われていたから。

考察② 「日本中が暗く重たい空気に包まれていくのではないか」という不安

動揺に関しては、突然の死で衝撃を受けた、っていう、考察①で説明がつくんだけど、その後の動機に近い胸のざわつきが起こったことは、それでは説明がつかない類のものなんよね。
なんというか、いわゆる「嫌な予感がする」に近い感覚だったから。
"もう起こってしまったこと"に対するものではなく、"これから起こる何か"に対して感じていたことのように思う。

自分の周りで猛烈な三浦春馬ファンがいたわけでもないし、身近な人で何かが起こる、ってことはないとは思うんだけど、それでも、「何かが起こりそうな」そんなざわざわがあって。(身近、身近じゃない問わず)

なんか、ベストな表現が現時点で出てきてないんだけど、感覚として一番近いのは
「後追いをする人が出てくるのではないか」
「それによって、日本全体に暗く重たい空気が流れるのではないか」
ということだと思う。

いや、一個人が何をそんな風に思ってるねん、って話やねんけどね。
それを思ったから、だから何やねん、っていう話なんやけどね。

今年入ってコロナで世界中で色んな当たり前が変わり、それをきっかけに病死、自死問わず多くの方々が命を落とし、混沌としている状況で、色んな不安とか恐れが出ている中で、まだまだこれから前途有望だと思われていた人が自ら命を絶った、というニュースは、なんかまた新しい流れを生み出しそうだな・と。

死因に関しては、自殺って言われているけど、実際のところはわからない。でも、「自殺か」と報道されるだけで、多くの人は真実がどうであれ「自殺なんか!」ってなっちゃうわけで。良くも悪くもマスコミの力ってやっぱりすごいと思う。
情報操作しようと思ったらどうとでもできちゃうよな、って改めて今回の報道を見ながら思ってる。

話は逸れたけど、有名人の自死に関しては、三浦春馬さんに限ったことではないし、何なら、ちょっと前から誹謗中傷で自死を選んだ方々は韓国でも日本でもいるわけで。
でも、今回みたいなざわつきはなくて。
一例、二例だったから、単なる点にしか感じてなかったんだと思う。三例目・しかも自分の中で結構認知度が高い人…ってなったから、なんか流れが生まれているのでは?というのを感じているのかもしれない。

考察③(最有力) 「生きていることは当たり前じゃないから、想いは伝えられる時に伝えないと」という衝動

と、まぁ、結局何を言いたいねん、っていうと、なんか書いておかないとあかんような衝動にかられたので書いてるんだけど、今回の訃報を聞いて動揺とざわつきがあって、その後強く感じたことは

「あ。生きてるのって当たり前じゃないんやな」

ってこと。

いや。言葉にしてしまうと当たり前のこと過ぎて何をいまさら?って感じやけど、自分が元気だとその感覚ってやっぱり薄れちゃうわけで。
そして、それを自分にだけでなく、他人にも当てはめてしまうわけで。
だから、生きているのが当たり前じゃないと思うと同時に

「大切な人にはちゃんと好きだよってことと、感謝の気持ちを伝えておこう」

って思った。
一番最初に頭をよぎったのはやっぱり両親だったね。だからめちゃくちゃ恥ずかしかったけど、電話した。
電話したら電話したで、「この子大丈夫か?!」って心配されそうな気がしたんだけど、なんか「やっとかないと!」って、めっちゃそんな衝動にかられたよね。

自分がいつどうなるかわからないし、相手もそうだから。

改まってありがとうと言うことは出来んかったけど、電話した経緯はお伝えしつつ楽しく電話した。
父の日とか母の日とか誕生日とかなんかイベントの時には電話するけど、何もない時に電話するって新鮮やったなぁ。些細なことやけど普段してないからめっちゃ恥ずかしかった^^;

書きながら、考察③が一番最有力な理由だな・って思った。

感じるだけでなく、行動しよう。全力で生きよう。

なんか、偉そうに色々書いたけど、普段、何かしらの感じて終わり・ってことが多いけど、言うからにはちゃんと行動しよう、って、結果、行動するきっかけになった。

本とか読むときとかも一緒やけどさ。

そして、いつ何があっても後悔ないようにそういうのも含めて日々を全力で生きようと思った、そんな三浦春馬さんの訃報でした。

ご冥福をお祈りいたします。

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