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きっと誰にでもある、結果の話。

陽陰です。

突然だが、これを読んでいる皆さん。

結果的に救われていたことって、ないですか。
「思い返してみれば、あの時ああしてなかったら今生きていないな」的な。

そんな体験を思い出して、ふと書きたくなった。
今日のは、そんな、思い出とも言えないそんな話。


当時小学生だった2020年。
みなさんご存知だろう、「鬼滅の刃」が流行っていた。
2019年の紅白で、鬼滅の刃、アニメ主題歌の「紅蓮華」をLiSAさんが歌っていた。当時、流行に触れる媒体がテレビしかなかった僕は、こう思った。
「グロ。」
と。LiSAさんが歌っている後ろに、アニメのシーンが流れるという、今考えたら最高の演出なのだけど。まあ、何も知らない僕だったから、鬼の頸を切っていくシーンを見て、「怖。」と思ったのを覚えている。
でも、漫画のノベライズが未来館から発売されたのを知り、買った。
そして、見事にハマった。
それまで、漫画といえば「ブラック・ジャック」や「ちびまる子ちゃん」、「ママはテンパリスト」とか、伝記の本くらいでしかみなかった僕は、その空気感にあっという間に飲み込まれてしまったのだ。

閑話休題。

YOASOBIの「夜にかける」がバズっていた。
雨の日は、小学校のpcルームを使っていいという謎ルールがあったうちの小学校。
親が好きで、自分もよく聞いていたクラムボンというバンドの曲を聞くために、YouTubeを開いて、聞いていた。
すると、隣の席の友達が、夜に駆けるを聞いていた。
まず、MVが綺麗だった。
タイトルを聞いて、自分でも聞いた。
最初、いくらさんの歌声を助長するように入ってくるメロディー。
そこからのイントロの音の心地よさ。
これまで聞いたことのなかったJ-popの世界に圧倒的に魅了されたのだった。
そして、当然「夜に駆ける」にもハマった。

その後。
突然のコロナウイルスによって、僕らの小学5年生は開ける幕を無くされた。
宿題は、学校も休業になる日に渡されたプリント。
授業はしばらくなし。
お家で待機。
それは、───僕の先輩の言葉を借りるなら───正真正銘の、猶予期間、だった。
日にある程度のプリントをこなせば、もうやることはなかった。
本を読んで、毎日を過ごしていた。
ある日、あの「夜に駆ける」が聴きたくなって、母親に勇気を振り絞って聞いた。
「ねえ、やること終わったから、パソコンで音楽聴いてもいい?」
と。
「本当に終わったの?」
「うん。」
「そう。じゃあ、いいよ。」
僕は、音楽を聴き始めた。

その後も、宿題をやっては音楽を聴く日々を繰り返していた。
夜に駆ける以外も聞いていた。
703号室さんの「偽物勇者」。
ボカロが好きな友達から教えてもらった「千本桜」や、「六兆年と一夜物語」。
ヨルシカさんが好きな友達がおすすめしていた「だから僕は音楽を辞めた」。
YOASOBIさんの曲もよく聞いていた。「ハルジオン」とか「アンコール」、
「たぶん」とか。
音楽を聴くだけじゃなくて。
鬼滅のキャラクターが描きたくてミニキャラを練習したり、キャラを調べたり、描き方を解説しているサイトを見たりもしていたっけ。

僕のインターネット・ライフが始まりだった。

鬼滅が好きになったことによって、J-popを聞くようになって、僕の人生は交友関係においても随分と変わったと思う。鬼滅が好きな子と話をできるようにもなったし、J-popの話でひとしきり盛り上がって、あーだのこーだの言う時間は楽しかった。

そして、2020年といえば皆さんご存知であろう、adoさんがバズった。「うっせぇわ」と言う曲で。
初めて聞いた時の衝撃は今でも忘れられない。
あんなにロックな、言いたいことを言っている曲に出会ったのは、あれが初めてだったと思う。
あの時、音楽には確かに、人を動かす力があって、言いたいことを製作者自身が表現できると知った。

しばらく経って、2020年の2月ごろ。
電子媒体が学校から配布された。
比較的自由にそれを使って良かったため、壁紙を変えて遊んでいたのだけど、しばらくしてから、友達がYouTubeでマイクラの実況を見ているのを見て、それでYouTubeを見るようになってしまった。
正直いけないことだと思うけど、ちょっと良かったな、と今になって思う。
小学校6年の私は、今よりも不安定だった。交友関係もあちこちに自分では感じ得ない棘があってしまった。
でも、そこに寄り添ってくれたのは、本と音楽だった。
電子媒体の導入によって音楽は、すぐ隣にいられる存在になったのだ。
おそろしく、ばかばかしいと思う。
思春期の逃げ場所が本と音楽、次元の違うこの二つだ、なんて。と。

でも実際、僕は今、この二つによって生かされていると断言できる。
あの時泣きながら聞いたあれも、これも、受験前に元気を出させてくれたあの曲も、そして中学生になってからの自分を落ち着かせて、時には昂らせて来たのは音楽だったって。
だから、今になって思うのだ。
逃げ場所って必要だな、と。
小学生のあの頃、「小学生、中学生のうちはやっぱ、世界狭かったよね。」なんてしゃべっている小説の登場人物を、動画でしゃべっている人を、見てもあまりわからなかった。わからないほど、取り巻く環境は狭かった。
人にも頼れない。
自分でもどうしたら良いかわからない。
だから、そこから一歩踏み出したところにあるインターネットや音楽に、あの時触れることができて良かったと本当に思う。
少なくとも、1人じゃないと思えるから。
死にたい、消えたい、辛い、と思っている人はこの世界にたくさんいると。
生憎、1人じゃないから解決する悩みは持ち合わせてはいなかったけれど、マシになるものはやっぱりあった。

今は、こうやってnoteとかTwitterで、たくさんの考えに触れられる。
中高一貫校に進学したから、年齢が上の先輩とも関われる。
し、音楽という逃げ場所も、逃げるためのコミュニティも、小さいながらもあるし、同じように死にたい、消えたいと思う友達も知っている。

だから、やっばり逃げ場所って必要なのだ。
それが何でありいい。音楽は今の僕の逃げ場所だし、そうそう、お絵描きも逃げ場所になっている。
これを読んでいる、今辛い人と、昔の僕、へ。
僕がいえた話ではないけど、逃げ場所って必要です。
一つ、好きな曲を見つけてみてください。
探すのが面倒なら、YouTubeを開いて一番上に出てきたおすすめの曲でもいいと思う。何か起点があれば、きっと、そこから何か始まってくれるのだ。


いつも以上に駄文でした。
創作ってやっぱり偉大だよね。
以上、陽陰でした。