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遠くの家族より近くの他人

障害者が何かあったときに、頼る場所って案外少ない。わたしもそのひとり。正直に友だちは少ないし、いつも連絡取ってる人は遠方だったり、海外だったりする。たまに会う友だちに、べったり頼る気にはなれない。だから、お店の人とつい仲良くなるなるのは、価値観が似てたり、同じ世界感をもっていたりするところが、すでに共有してるからかもしれない。わたしはつきあいが楽。もちろん、お客さんなんだけど。だから、頼るわけにはいかない。


何かしらあったときに、ひとりきりになってしまったとき、遠くの家族に連絡も大事だけど、すぐに駈けつけてくれるのは、福祉の人。もう、一度経験があるからわかってる。父母不在のとき、階段から落ちてしまい、夜中にひとりで救急センターに行き、朝になって福祉の人がきてくれた。こんなときに、遠くの家族も友だちもあてにならない。それが現実だ。精神障害者は孤立してる場合が多いから、余計なんだけど、友だちが少ない人が多い。コミュニケーション取るのが苦手な障害だから、自然にそうなる。だから、いざとなったときに、どこも頼れない。一人暮らしで年に3回も救急車を呼ぶ人もいる。結局、具合悪くなったときに、車で病院に連れてってくれる人がいないから。


「遠くの家族より近くの他人」
とは、よくいったもんだ。そのとおり。その現実は、受け入れている。一般的な人生ではないから、余計なんだけど。寂しいというより、突然起きる危機に対して、どう対応できるかにかかっている。わたしがいつもおもうのは、そんな危機がやってきたとき、対応できる、柔軟な頭と瞬発力をもっていたい。それは、日頃の鍛え方ともかかわってくる。心も体も衰えていたら、たいへんだから。やはり、日々の過ごし方にかかわってくる。


そんな心構えが、心のどこかに危機感としてあるけれど、それくらいでいいんじゃないかな。そういう、立場なんです。諦念みたいなものがあるというか、そうとしか言えない。全てのことに対してというわけではない。はっきり言ってまわりに期待してない。何かしてもらおうとかもおもわない。障害者には障害者のやり方がある。そんな人生もある。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。


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