ナオコライフ35 写真と庭

20代になったばかりの頃、8ミリフィルムでショートムービーを撮っていた。まだ、大手カメラ屋でフィルムは売っていて、現像所でも現像を受け付けてくれる時代だった。

撮影をする際に、その場所で撮影しない時間を長く過ごすことが大事だということをおそわった。その場において、何を感じるのか、どう感じるのか、まずはその場に身を置くことがどれだけ大事か。それは人物撮影をする際に、いきなり撮り始めるのではなく、事前に対面し話をする時間、育む時間が撮ることに生きてくるのと同じだとおもう。

それから、わたしは写真に転向していった。それは、ムービーは向かないと判断したからで、写真のフットワークの軽さを生かせるところに魅力を感じた。より直感的で反射による、写真は身体性の表現だ。画家でも惹かれるのは、アメリカのジャクソン•ポロック。彼は体ごとキャンバスの中に入っていた、アクションペインティング。

スマートフォンで写真は撮るけど動画は一切撮らない。不思議なもので、偏っている。偏っているという表現があっているのかわからないけど、動画を撮影している自分が見えない。

最近の異変は写真を撮ることに、執着していないこと。といっても、わたしはずっとアマチュアでやってきて、今はnoteのためにだけ撮っているのだけど、それでも記事に写真を入れることにたいして、自由なスタンスでいられる。それがとても気に入っている。写真を入れたり入れなかったりする。

庭の写真を撮ることが多いけれど、身近で親しみがあって、自分でも庭に手を入れることがあり、時間を過ごす場だから。常に季節の変化を感じている。庭からおしえてもらっている。今のところ、一番の観察場所、美を感じる場所、反対に美を感じないときもある。目が豊かになる、心が潤う。そんな場所が庭だ。この庭があるおかげで、わたしのnoteは成り立っているのかもしれないとおもうことがある。

そんなとき、この庭を作った大家さんに感謝せずにはいられない。もし、我が家の庭が和の庭ではなく、イングリッシュガーデンだったら、それはわけがちがう。前の家で、自分で植えていた植物がここにもたくさん植わってる事実に驚嘆する。ご縁としか、いいようがない。



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