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草を生ける

朝から喉が渇き、麦茶を飲む量が多い。朝ごはん作るまえに時間があったから、少し庭へ出る。草をぬき、剪定してたら、あまり見覚えのない草が生えている。雑草だ。おもわず抜いて、ガラスの一輪挿しに生け、もう少し大きめの花器にも生けたものは、たんすの上に置く。一輪挿しはいつものテーブルの上に置き、今も眺めながら書いている。どこに習ったわけでもなく、習うのもむいてないから、勝手気ままにやっている。見ての通り上手とは言えない。


雑草好きで雑草生けていて、生け花は習いにいけない。投げ入れというところ。正直なところです。何気なく、素朴なのがいい。こんなふうにやってると、庭の草花の命をいただきながら、ささやかとおもいながら、本当はそんな軽はずみではないことのようにおもう。それでも、命をいただいたことで、わたしのこのテーブルでの時間がどれだけ豊かに感じられるか、名前のわからない草にありがとう、とする。


なんでこんなに草が好きなんだろう。農場で働くまえもたしかに好きだったけど、草取りが仕事になってから、それまで生けていた草もガツガツとぬいていて、生けるような心になれなくなってしまった。そうやって一度は遠ざかってしまったけれど、農場辞めてからは、草へのおもいが以前よりももっと深くなったようだ。四年間草と過ごした記憶は体に残っていて、今でも草に囲まれたイメージが湧く。染み込んでいる。人から見たらなんでもない草も、わたしには宝だ。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

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