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<座談会>「ルンペンブルジョワジー」の行動と論理 前編

(本座談会は、令和4年12月17日に収録したものを文字起こししたものです)

「ルンペンブルジョワジー」の誕生

雁琳
皆様、本日はお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。私は、NPO法人Civil Collegeむすびらき副理事長を務めております、山内翔太こと雁琳と申します。よろしくお願いします。今日はお集まりいただきましたのは、ほかでもない、本NPO法人で新しくシンクタンクを建てようとしている件に関わります。その理由についてはこの対談の中でまた折々明かされていくことかと思いますけれども、やはりコロナに入ってからこの2年ぐらいの間に言論状況が非常に大きく変化したわけです。そして、どちらかというと状況は悪化した。もっと言えば閉塞化したと言ってもいいと思うのです。あるいは何かが限界を迎えたと言ってもいいのかもしれませんが、とにかく大きな変化を迎えた。その中で、いわゆる既存のメディアなりアカデミアなりの中だけで活動していくことにもう限界を感じているわけです。それをどうにかして再起動するために私はNPOというこの組織形態を利用しようとしております。ただし、この話もまた後で話題になるかと思いますけれども、外でもないこの組織形態が今、問題の渦中になっていて物議を醸しております。しかし、私としてはこの活動形態を何とかうまく活かせていけないかなというふうに考えておりまして、このシンクタンクを設立するという案を思いついた次第です。そこでいろんな記事をさまざまな有志の方々に書いていただこうと思っているわけでございますけれども、この度は記念すべき第1回として、先ほどちょっとお話ししたような状況、背景状況を振り返るということを行っておきたいのです。それも、一人の知見でそれをやるというよりは、複数人の知見を生かしてやっておきたいという意思がございまして、この対談を開かせていただいた次第でございます。


まずは、対談テーマとして、一つの言葉を切り口としたいと思います。ちょっと前に、「ルンペンブルジョワジー」という言葉が大きな話題になりました。ルンペンブルジョワジーというのは、普通に考えたらすごく変な言葉でございますね。ルンペンプロレタリアートという言葉は、マルクス主義の用語として昔からありまして、いわゆる超下層労働者のことを指します。彼らは確かに労働者なんだけど、下層すぎて反動とかの見方をしてしまって、革命の主体になってくれない。その種のプロレタリアートのことを「ルンペンプロレタリアート」と呼びます。ルンペンというのは差別用語として言われたりすることもあるけど、浮浪者とかね、ホームレスとか、そういう日雇い労働者のことを指す言葉です。それがルンペンプロレタリアートという言葉では、なんとブルジョワジーという言葉と組み合わされている。このアイロニカルな呼称は、生産性は低いんだけど、高級と社会的尊敬が得られる職に就いている、大卒の社会人あたりを指す意味合いで使われています。これは要するに、市場競争で有利に働くようなスキルを持っていないのに、学歴なり文化的な資本なりが高いということです。とりわけこの類の層は人文系に集中していると言われているわけですけども、そうすると、人文系の出自を持つ人間が多くを占めるという理由で、先程申し上げたいわゆる言論人というのがこのルンペンブルジョワジーに当たるということになる。そういう訳で、大まかに言えば、言論人の主流派と言われている人たちがまさにそれに当たるのだ、という話が世間を駆け巡ったわけです。それを鑑みてこの対談では、それぞれ異なる立場に属する方々を集めまして、このルンペンブルジョワジーというものの生態学をやってみようと考えているのです。先程申し上げた言論状況を総括するということは、すなわちこのルンペンブルジョアジー問題の輪郭を描いておくことにほかならないだろうというそういう意図でこのテーマを選定いたしました。それでは、皆様、よろしくお願い申し上げます。

猿女君
一同、よろしくお願いします。

雁琳
早速なんですけど、自己紹介をお願いいたします。簡単にどういう来歴、お二人とも匿名で参加されておられますから差し支えない限りで結構ですけれども、簡単にプロフィールをお話しいただければと思います。

倉持哲夫
今は会社員として、経済、国際情勢の分析をしています。選挙のボランティアに参加した経験もあり、政治活動家が本業ではないかという方もいます。(笑)
政治的立ち位置は左翼の反緊縮というスタンス。さらに発達障害やLGBTなどの当事者運動に関わったこともあります。こうした政治的経験の中で、ポリコレへの違和感や、官から民へを柱とした新しい公共の無責任についていろいろ考えることが多くなりまして、保守派とも対話したいと考え、参加しています。

雁琳
よろしくお願いします。

猿女君
今回「猿女君」という形で出演しているものです。ある大学に在籍している若手研究者ぐらいにしておきましょうとですね。そんなにアクチュアリティがある分野の研究者ではないんですが、まあアクチュアルなことも扱えなくもないくらいのことをやっています。今回はみんな仮面舞踏会ということで、このぐらいにしておきましょう。今回はこの会談については聞き手に近いと思いますが、私主導の会とかも今後させていただけたらと思っております。よろしくお願いします。

高井
よろしくお願いします。NPO法人 Civil College むすびらきの理事長を務めております高井と申します。来歴としては大学の学部卒の人間なので、インテリ層のことはあまりわからないので、今回お話を聞けたらなと思います。

雁琳
よろしくお願いします。先程申し上げたように、この2年間、いわゆる言論界というものをメインで構成している、文系の学者や知識人の世界の権威というものが大きく揺らぎました。特にコロナ禍に入って以後、そうなったことは明白です。これらに対する対応であったりとか、あるいは提言だったりとか、それからこれはまた後でお話ししますけれども、「オープンレター女性差別的文化を脱するために」というものが出されて大きな話題を呼んだりとか。あるいは、これはコロナ禍の後というか、発端としてはその前に当たるんですかね。あの草津町の一件ですね。皆さん御存じ草津温泉のある群馬県の草津町町長に対して、元町議の女性がレイプ告発を行った。その後調査した結果、この告発は冤罪だということが判ったんですけれども、町長どころか草津町を丸ごと女性差別的であると非常に強く非難する女性の学者なり知識人なり活動家なりが沢山いたんです。それに対し告発された側の草津町長の黒岩さんという方が、法的措置を辞さないという姿勢に出たのです。つい最近の出来事ですが、これは非常に話題になりました。このように、どちらかというとリベラル左派が主流派を占めるいわゆる知識階級というものが大きく信頼を落とすような出来事が続いている訳です。直近ですとこれはホット過ぎる話題なんですけども、家出少女の支援などを行っていると称するcolaboという団体、また、その関係団体であるBONDプロジェクトや若草プロジェクト、あるいはAV被害救済の団体であり、かつAVの存在そのものにかなり反対しているという団体であるぱっぷす、これらの団体に関して数々の暴露が暇空茜氏によって行われています。ついには訴訟へと発展しておりまして、これは今、非常にホットな話題になっております。メディアには全然取り上げられてないんですけども、東京都の福祉行政をめぐる巨大な問題になっている。colaboの代表理事である仁藤夢乃氏がそもそも非常に代表的なフェミニスト活動家として、そして社会事業家としても著名であったこともあり、話題になっているわけですね。ざっとこんなことが色々起こっているんですけども、そうですね、先ずは先程最初に申し上げた。草津町のことから入っていきますか。草津町の事件について、皆さん御存じですか。

倉持哲夫
新聞記事で見た程度です。

猿女君
本当に新聞記事ネットニュース程度ぐらいですね。

雁琳
ちょうど3年前ですよね。はい。2019年だったと思います。その時、黒岩信忠町長が、町長室でわいせつ行為を行なったかどで、被害者を称する新井祥子元町議から訴えられた。そして、その新井元町議が逆に虚偽申告罪を犯したということで在宅起訴された、という出来事が今年にやってきたわけですね。先程申し上げたように、最初の世論の誘導というのは−この案件はもう海外のニューヨークタイムズとかメディアまでそれが波及した訳ですけども−推定有罪に基づいて町長と草津町への非難を行っていたということですね。このことが非常に話題になった。そして結局、性的被害を受けた者に対する追及そのものがセカンドレイプであると称して、「セカンドレイプの町草津」というプラカードをフェミニストと称する学者なり活動家なりが持ってきて盛んに推定有罪で現職の町長ないしは草津町そのものを非難した。それを受けて、草津町では一昨年12月に解職請求に関して住民投票を行なっています。それで、かの新井元町議が実際どうなのかと問いているんですけども、失職してるわけですね。訴えた側の町議が失職している。ところが、結局は訴えた側の活動家、フェミニストの側がそれでヒートアップして更に炎上させ、彼らの言い分が欧米メディアにまで波及していったという事実がある。このことをどう考えるかっていうことですよね。問わなければならないのは、活動家やフェミニストたちがこの推定有罪という理屈をなぜ、どのように主張したのかということです。そしてそのことについて彼ら彼女らは未だ省みる様子もありません。この辺のことをついてちょっと、皆様が考えていることがあればお話いただきたいです。

猿女君
これは倉持哲夫さんのほうがいいかな。

倉持哲夫
性暴力の問題でなぜ推定有罪が出てくるかということが重要だと考えています。欧米では、性犯罪がもみ消されてきた歴史があります。社会的地位の高い男性が、昇進と引き換えに性的行為を迫るといった例も聞いたことがあります。

雁琳
はい、はい。

倉持哲夫
例えば#Me Too運動では、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが数十年に渡るセクシャルハラスメントが告発され、多くの女性が性的暴力に声をあげました。性的暴力を受けた人の9割が仕事を失うという状況があるため、訴訟ではなくSNSで告発する社会運動になりました。ただこうしたフェミニズム運動が盛り上がる背景には、長年に渡る隠れた男尊女卑体質、「進んだ欧米、遅れた日本」と言い切れないような部分があるとみています。例えば1950〜60年代のオランダでは、プロテスタンティズムを要因に、「家庭は女」という文化が色濃く、農村で女性が性的暴行を受けるという事件もありました。色濃い男尊女卑文化の反動で、フェミニズムが隆盛し大規模な社会運動として性犯罪の告発が行われたと考えることもできるでしょう。同様に、日本のお隣の韓国でフェミニズムが活発な背景にも、儒教的な文化があると指摘されています。特に韓国のフェミニズムでは、日本よりも前からキャンセルカルチャーが流行しました。2004年4月に出された「北朝鮮化する韓国」では、職場でミスやミスターと呼ぶとセクハラだと告発されるという話が例として挙げられています。ちなみに「北朝鮮化する韓国」の著者は、朝鮮戦争での従軍経験もある保守派の元ジャーナリストのイ・ドヒョンです。ある日、大学のゼミで中国の漢族の学生、朝鮮族の学生さんがいました。中国の漢族の家庭では男女共働きが多いのに対し、中国朝鮮族では専業主婦が多いという話が出てきました。中国の漢族から見ると、朝鮮族の女性の地位の低さ、性的分業の徹底は不思議に映るそうです。韓国の現状に話を戻します。伝統的な儒教文化や、かつての軍事政権、保守派への批判とフェミニズム運動が合流することで、保守派の糾弾が活発化しています。近年では、2016年のソウル江南トイレ殺人事件でも、フェミニズムが盛り上がりました。この事件では、江南駅近くのカラオケバーのトイレで面識のない女性が男性に殺害されました。男性が犯行動機として、女性に声をかけたが無視されたことによる女性嫌悪を主張し、女性嫌悪は社会問題として大きく取り上げられました。


雁琳
はい、存じております。

倉持哲夫
男性側の女性嫌悪という犯行動機に対し、警察側は精神病院の入院歴などから統合失調症が原因ではないかと主張しました。判決では、犯人はあくまでも女性嫌悪ではなく統合失調症による被害妄想が原因と結論付けました。この判決そのものが、女性嫌悪によるものではないかと抗議運動が盛り上がったそうです。その時に女性嫌悪によるものではないという判決に対する抗議運動というのか盛り上がったんですよ。江南トイレ殺人事件では、韓国社会の男性特有の女性嫌悪、ミソジニーが糾弾され、さらに警察や裁判所、官公庁などでも蔓延していることが批判されました。韓国のエスタブリッシュメント、伝統文化が持つ独特な男尊女卑への反動と言えるかもしれませんね。

雁琳
なるほどなあ。やはりその最初に申し上げたように、いわゆる日本の言論人とかアカデミアとか知識階級と呼ばれるものがあり得ない失態を犯しつつあるということが、どうしてこのフェミニズムに関する話になるのかということについて、更にお二人の御意見を聞きたいんですけど、倉持哲夫さんとしてはその反動という側面というのが一番強いとお考えですか。

倉持哲夫
そう考えています。

雁琳
なるほど。

倉持哲夫
フェミニズムは伝統文化、エスタブリッシュメントの持つミソジニーへの批判があり、その反動が特徴的です。例えば、Twitterを賑わせた草津町議会のリコール問題では、草津という場所で炎上したことがポイントだと僕は思っています。

雁琳
それはどういうことですか。

倉持哲夫
草津は古い歴史を持つ温泉街ですね。日本武尊が発見したという伝承があります。この伝統こそ、読み解くカギだと思いますね。

雁琳
なるほど、ハイ。

猿女君
かつ、人によっては温泉街というと、ある種の連想が働きますよね。

雁琳
そういうことでしょう。

倉持哲夫
温泉地での女性の接待文化なども考える必要があるでしょうねえ。

雁琳
なるほどね。やはり先程の話を伺うに、フェミニズムというものが……何て言うんでしょうね、要するに、既成の秩序というか「伝統」的に−これはカギ括弧付けの伝統になりますけども−伝統によって形成されてきた秩序というものに対する反動として、ある種の強烈な暴力性みたいなものを孕んでいるというか。

猿女君
学生運動50周年の時にはやりましたけど、1968年の思想みたいなものが多分最初から内包しているような話でもありますね。

雁琳
はい。はい。

猿女君
やっぱり女性の社会進出や環境保護運動、あるいはハラスメントなんかが典型例だと思うんですね。ミクロな権力性あるいは文化とか環境みたいなそういう性質のもので経済的な生産力とかに直接的に関わらないようなものを扱います。これはある種仕方がないもので、市民派左翼的な人のの議論は「当時の」法律面で議論すると旗色が悪い議論なんですよね。環境アセスメントなどが制度化されて以降はいざ知らず、当時の法律では負けるはずです。そして、そういう問題を解決するという方向に行った時にも当時流行ってた中国の毛沢東思想思想ー造反有理などですねーの影響を受けます。つまり、必然的に法律を破っているけど、私たちは正しいんだという方向に行くんですよね。

雁琳
なるほど。

猿女君
絶対に行く。そういう方向に全振りした団体は多分、日本で誰でも知っているもので2つ3つありますが、具体的には言及しないです。自分で考えましょうみたいな笑 ただ、私個人としてはですけど、マイノリティーとか特定の属性の第1世代は止むを得ないと思っています。。

雁琳
公民権運動のローザ・パークスみたいな感じですよね。

猿女君
そうです。例えば識字能力の怪しい人が公務員に採用されましたみたいな話があったとしてそういう人は採用するなっていうのはあまりにも無体じゃないですか笑。それこそ永遠に階級上昇の機会が来ない訳ですね。今起きている問題ーこれはこの対談全体に関わる問題ですがーはそういう新左翼形の社会運動をしていた人たちの2世3世がどうなるかということだと思っているんです。

雁琳
なるほどね、奥田愛基とか。

猿女君
もう固有名詞を出してしまうと、例えばSEALDSなどは本当に著名な5人くらいの公開情報を見るだけでも、そういう方が多かったように思います。

雁琳
そうですね、はい。

倉持哲夫
話に割って入って恐縮ですが、昨年のフランス大統領選挙で旋風を巻き起こしたエリック・ゼムールが新左翼の社会運動について言及していましたね。。

雁琳
はい。

倉持哲夫
フランスではエリック・ゼムール、日本ではれいわ新選組のブレインの松尾匡が、フェミニズムがなぜ左翼内でヘゲモニーを取ったかについて語っています。産業の国有化や労働者の保護をイシューにして戦った第一世代の左翼をレフト1.0と読んでます。1970年代のスタグフレーションの時代に第一世代の左翼は落ち目になり、英国のサッチャー政権、ニュージーランドのロンギ政権がネオリベ改革を推し進めた。1980年代のネオリベラリズムに順応する形で、左派は新たな道を模索しだしたんですけれども、僕が注目しているのは、左派ネオリベの先駆者となったニュージーランドのロンギ政権。徹底した国有企業の民営化、規制緩和、解雇規制に踏み切った。一方でロンギ政権は、ムルロア環礁での核実験に反対し、核兵器搭載可能な米国艦船の入港拒否、徹底した非核化を提唱した。さらにバイカルチュラリズム政策を進め、マオリとパケハ(いわゆる欧州系ニュージーランド人)の共存、マオリ語の公用語化を進めた。左翼がネオリベ化する過程で、文化問題を前面に押し出すようになりました。ゼムールが同様の指摘として、ミッテラン政権が80年代半ばにネオリベ政策をする中で、新たなイシューとしてフェミニズムや多文化主義を推し進めた趣旨のことを述べています。世界的に左派がこの頃、大きな社会、フェミニズム、市民の参画といったことを言い出すようになりました。

雁琳
そういうことね。

倉持哲夫
新左翼がスターリン主義批判を徹底化する過程で、下からの社会運動を重視し、市民による協働、消費者主権、フェミニズム、多文化主義が持ち込まれました。そしてフランスのマルクス主義由来のレギュラシオン経済学では、フォーディズムを「大量生産・大量消費」と位置づけ、資本主義国のみならず、社会主義国までもがこの生産様式で成功したという趣旨のことを主張しています。スターリン政権下の5ヵ年計画が典型です。同様の話は生協運動にもあります。チェーンストア理論を取り入れた日生協に対する批判で、よりラディカルに食の安全を追求したパルシステム、生活クラブの話がでてきますね。生産様式におけるスターリン主義批判、という視点で下からの社会運動を見ていく必要があると思っています。スターリン主義批判の徹底化の帰結としての左派のネオリベ化と言えるかもしれません。

雁琳
おっしゃりたいことをまとめると、世間のいわゆるリベラル左翼の人たちってのは基本的に反新自由主義ということをかなり声高に唱えるわけですけども、彼らのやってることの実態っていうのは非常にネオリベラルであると。ニュージーランドのロンギ政権に見られるような、あるいはもっと広く言うと、「第3の道」と言われてるようなものの中の左派的な諸潮流なんかがそうだと思うんですけども。世代的にもそうですよね?元々全共闘世代と言われるような68年世代がその改革を担っていくわけで。彼等が壮年期になっていく道筋は実際、歴史的には90年くらいから−80年代の後半から90年代ぐらいで被っているとは思うんですけども、それから2000年代はもちろんネオリベの全盛期なわけでして。それで彼等がどういう価値観を持った人かというと、政治的には左派。なんだけども、彼等の活動実態とか、結局その拠って立っている社会構造は非常にネオリベラルなものだという。ある時期からそういう人達が増えてきたっていう話になるんですかね。ネオリベ左翼の誕生というか、そういう言い方をしてもいいのかも知れん。

フェミニズムと労働問題

倉持哲夫
特に左派ネオリベと親和性が高いのはフェミニズムだと考えています。その典型例が、女性の労働問題ですね。


雁琳
労働問題ですか。

倉持哲夫
例えば、終身雇用年・功序列賃金・メンバーシップ型雇用というのは、アメリカでも60年代まで普通だったんですね。。

雁琳
そう、そうでしたね。

猿女君
日本にはそもそもGHQがアメリカから導入していますからね。

倉持哲夫
米国製造業の経営ノウハウの輸入と1940年体制下の統制経済が組み合わさり、日本企業が終身雇用・年功序列賃金・メンバーシップ型雇用を導入していったと考えることも出来ます。ではなぜアメリカで、こうした雇用システムが消えてしまったのか?という点が非常に重要です。1960年代の社会運動では、メンバーシップ型雇用が黒人や有色人種、ヒスパニック、女性を排除するシステムではないか、という批判が出てきました。そうなるとどうなるのか?履歴書から性別欄、写真欄をなくしていくという方向性になっていったんですね。そのため、職務領域を徹底的に規定した上でポストごとに採用することを強化しました。そうしないと、「なぜおたくの会社では白人比率が高いのですか?」と責められた時に弁明できなくなりますしね。職務領域を明確化することで女性を採用しやすくなるという効果もあります。そういう風にやっていったという歴史がありまして。

雁琳
なるほどです。

猿女君
ニューディール・コンセンサスは所詮白人の男のためのものだったんだみたいなありがちなアメリカ学の話。

倉持哲夫
そう、それ。フェミニズムが労働運動に持ち込まれるとどうなるか?という点が非常に重要です。日本ではロスジェネ世代、90年代卒業の世代の女性の貧困問題、高学歴問題、女子大生の就職問題と結びつくわけです。日本では女性の短大進学率と大学進学率が逆転したのがちょうど1996年です。1996年はターニングポイントになる年です。

雁琳
はい、はい、はい、はい。

倉持哲夫
この人たちが卒業したのは、ちょうど2000年なんですよ。

雁琳
じゃちょうど……だからあれか、氷河期か、その年代。

猿女君
狭義の就職氷河期ですね。

雁琳
そうですね。

倉持哲夫
当時は就職氷河期で一般職採用が激減しました。一般職は女子大、短大、私大の割合が高いんです。東大や京大、一橋大といった高学歴の女性は、一般職に就くことは難しいですし。

雁琳
そうですね。うん。

猿女君
逆差別的構造がありますからね。

倉持哲夫
男女雇用機会均等法直後の世代であれば、イレギュラーな特殊な枠として女性を採用していました。ところがこの頃になると、女性の大卒者が急増し、女性も採用しましょうとなるはずが、そうはなりませんでした。女性をどう採用したらいいか、企業の担当者もよく分からないという時代でした。女性の大卒者の選択肢が、公務員もしくは教員などに限られ、高学歴過ぎて就職できないという問題が起きてしまいました。


雁琳
それは制度上のニアミスってやつですよね。いわゆる、ね。

倉持哲夫
その結果、出版、翻訳、通訳、キャリアコンサルタントなどの専門職や、大卒相当の事務職に派遣社員、契約社員、フリーランスで就いた女性も大勢いたわけです。この世代は入口が派遣社員、契約社員というパターンも多かったようです。役職も非正規の採用を進め、非常勤の事務、通訳、司書に就職した女性もいました。その人たちが労働運動に参加するようになり、なぜ私たちは正規職員よりも優秀なのにこの年収なんだと労組内で言い出しました。

雁琳
出るでしょうね。

倉持哲夫
正社員と同等に働いても非正規相当の待遇という事態が続発します。そのため、同一労働同一賃金を求める声が女性の非正規から多く出てきました。その際にフェミニズムが労働問題と合わさり、フェミニストの労働運動家や社会学者が「女性の貧困」を提起しました。でも労働組合側からすると、正社員、正規職員の年収や待遇を守っていくという課題もあります。そのことから、フェミニズムと労働運動が対立し、フェミニストの側から「男性社員の既得権を死守する労組」、「女性を排除することで成立してきた労組」という批判が巻き起こりました。フェミニズムと労働運動が融合することで、正規VS非正規という労働問題がよりクローズアップされるようになりました。労働組合にとって悩ましい問題です。


雁琳
だから、高学歴女性ワーキングプアみたいなものが、大量に氷河期世代から発生してきたと。

猿女君
非正規雇用報道なんかでも女の人がけっこういたような記憶はありますね。

倉持哲夫
役所の事務補佐員という非正規の事務職員の倍率は、面接倍率は10倍から20倍に達することもあるようです。

雁琳
へー、すごいね。

倉持哲夫
筆記試験が課される国家公務員の一般職と比較しても、面接の倍率は相当高いです。非正規職員の方が正規職員よりも事務能力が高いという逆転現象も起きました。正規の職員については権利が守られているので、労組に入らない人も多いです。正社員も同様でしょう。むしろ組合費は無駄だって声まで出ています。

雁琳
日本の組合が特にそうですね。

倉持哲夫
最近では非正規が労組の主流派を占めているとこも増え、女性の貧困や同一労働同一賃金が労働運動の重要なテーマになっています。労働組合内部でも終身雇用・年功序列賃金をどう扱っていいかフリーズするという現象が生じています。

雁琳
なるほど、なるほど。

猿女君
冷戦期の労働組合のポスターにポパイみたいなマッチョな男性が描かれて、横に「資本家どもぶっ飛ばす」と書かれている感じ。あれの逆転現象みたいなやつで、マッチョな男性労働者と私たちが一緒にされるなんてとんでもないことだ、私たちはスキルのある労働者なんだと言っている人が労組の主流派になってしまった時にどうするべきか。

「告発権力」が起こる構造

雁琳
なるほどね。ちょっとあれですね、ここまで話がだいぶ労働問題というところに煮詰まってきたので、もう一回話を戻したいんですけども、えーと、男女共同参画社会基本法ができる前かな。セクシャルハラスメントって言葉、これが1989年、平成元年に流行語になったんですけど、この観念がそれぐらいからできて、それが今言った労働問題とバッティングした場合にどうなるかっていう話になるわけですね。結局、先程お話しいただいた労組のフェミニズム化みたいなものと、高学歴ワーキングプア女性の大量発生とかいう話がここで繋がっているように見えるんですけども、私は常々−これは自分で提唱したものですから私が作ったと言えるかもしれないけど−「告発権力」という言葉をこういう話には持ち出す訳ですけれども、これは何かというと、社会的弱者とされる立場の方からの社会的強者とされる方への告発というのが常にまかり通るっていう事態のことを指します。つまり、社会的強者とされる人−本当に実際にそうであるかどうかは別にして、例えば社会学などの学問でそのように規定されているところの立場の人−というのが告発されてしまった場合、ことの真偽にかかわらず、告発はほぼ必ず通用してしまう。それで、告発する方が女性の場合、男性に対する告発とかっていうのは、基本的には推定有罪を通っていく、刑法上の推定無罪の原則を無視しているような形で通っていくと。例えば、これは痴漢冤罪なんかにも見られる現象ですけども、その極致というのが草津町の虚偽告発の案件だったと言えるわけです。こういうものが発生する素地が平成の初期からのネオリベ左翼の台頭と労組とか、労働問題を扱う人たちの中にそういう人が増えたってことにつながっているっていうことなんですか?

倉持哲夫
恐らく、非常に難しい問題で一概に言えないですね。

雁琳 
というのは?

倉持哲夫
一つ例を挙げるとセクハラ問題です。異性とのコミュニケーションが不得手な男性が女性に対し、しつこく言い寄る、もしくはデートに誘い、セクハラだと告発されるケースがまま聞きます。この場合、必ずしも男性が一方的に悪いわけではない、という話を労働組合内で聞きました。女性がセクシーなファッションでかつ、男性が勘違いしかねないようなコミュニケーションをしたことで、セクハラを誘発してしまうという事例があります。この場合、勘違いして言い寄った男性が悪いのか、それとも男性を誘惑した女性が悪いのか、という果てしない議論があるようです。

雁琳
確かに、続いてますね。

倉持哲夫
労働組合内では、女性の労組幹部がセクハラから身を護るために、清楚な服装を心がけることや、男性に対し気を引くようなコミュニケーションを取らないという内容のセミナーをしていました。「セクハラをした男性は絶対に悪い」という前提の下で、「女性にも一定の責任がある」ということが、労働運動内では暗黙の了解、落としどころでありました。結構重要な内容だと思うのですが、キャンセルカルチャーの中では「女性にも責任がある。」という論点が中々出てこない。

雁琳
というか、出てこなくなったんじゃないんですか。

倉持哲夫
様々な雑誌や記事を見ましたがこの論点、落としどころについて言及したものを寡聞にして見たことがない。ただ、私がリサーチ不足だったら恐縮なんですけれども。

猿女君
これは議論のフライングかもしれませんが、おそらく「落とさない」ことが目的でしょうから、でてこないでしょうね。あと問題なのは恐らくバラバラの問題が2つあるんですよ。
まずは、例えば通訳とか、中曽根の時の労働者派遣法で派遣OKになっているような経産省風にいうところの高度知的人材、編集者なんかもいれていうところいいかもしれないですね、彼らははやっぱりプライドが高いということなんですよね。

雁琳
それは間違いなくある。

猿女君
随分大衆化した今時の大学の先生とかでもプライドがある人たちはある。それがプロレタリアート化して当事者性を持つと、ものすごく嗜虐性を持つんですよね。理屈以前の問題として肉体労働者とかと連帯するわけがないんですよ。彼らを排除する方向に行く。これは私自身の何か本当に狭い交際範囲ですけれども、明らかだと思います。

雁琳
私もそれは感じます。

猿女君
そして、もう一つあるのは氷河期の問題。日本で特定の世代がロストジェネレーションと呼ばれる問題そのものだと思うんですけど、ロスジェネで2000年ぐらいに採用されている人も20年経ったら管理職になりますよね。犠牲者意識を持った世代が管理職になる。本当に焼け跡世代なんじゃないな。あの出征した世代の兵隊さんが管理職になっているような状況と今同じになっていて、そういう管理職というのは実戦から復員した人と異なって、サバイバーズギルトなり悔恨共同体という言葉がありますけれども、それとは逆で生き残ったことによる名誉の意識を恐らく持つんですよね。

雁琳
それは間違いないでしょう。

猿女君
私は自覚的に造語しようと思っていて、「サバイバーズフェイム」とでも呼ぼうと思っています。正直、アカデミアというか大学業界を見ても明らかだと思うんですね。今、ヨボヨボの老教授が女子院生のお尻触ったみたいな話よりも、若い准教授のアカハラやらなにやらの方がよく聞きますよね。

雁琳
それはそうだと思いますね。

猿女君
大学の研究室なんか権力性が出やすいところは、それこそハラスメントとかのホットスポットの一つですよね。アカデミックハラスメントという言葉がありますが、そういう問題の深刻さはやる気になれば定量的に実証できるようなレベルだと思います。

雁琳
なるほど。まさに今、世に押し出す「サバイバーズフェイム」というのはネオリベ的な価値観そのものだと私は今聞いていて思ったんですけども、左派的な政治思想を持っているのにもかかわらず、ネオリベラルな処世術を持ってる人達がものすごく増えてきたっていうことなんですかね。そこでもう一つポイントになるのは、多分、当事者意識みたいなもの。サバイバーとしての当事者意識みたいなものが非常に強く残ると、これが例えばさっき私が言った告発権力なんかに結びついてくる。きちっと、こういう見立てができるんじゃないかなとは思うんですけれども、どうですかね。とにかく、そういうことで大分話が変化していますね。今、時事問題になっている草津町の事件。これは、多くの労働問題−狭義の労働問題だけではないと思いますけども−に関わる、いわゆるフェミニズム系の活動家、そして活動家ではないが、活動家に理論を提供しているようなリベラル左派の知識人層−主にフェミニズム系だと思いますけども−とが大挙して、草津を推定有罪的にディスった訳ですね。つまり、ここで告発する側は一体どういう層から出てきているのかという話になり、そしてその社会的・歴史的な背景まで話が及んできたと思うんですけども、やはり今回の草津町長の訴えの中で非常に象徴的だったのは最初、私が提起した問題がそうであったように、知識人と世の中で言われている人々が明確な対象であった点ですね。これはソーシャルワーカーとか社会起業家とか、ある種活動家なんかも広く含めた当然アカデミアの学者、それから広く言論人−メディア、翻訳とか、そういう高度知的職業に携わってきた人間もこれに含められると思うんですけども−、こういった人達の一部に対して明確に名指しで刃を向けていたということが印象的だった訳です。この知識人・知識階級の問題として、この推定有罪に対する……何て言うんかね。まさにリベンジという形で町長による訴えかけが行われたという事態が、私には決定的なものに思えてならないのです。そういう訳で、そこからこのように話を展開していったわけです。この案件をそういう形で取り上げていたのは、ほかならぬ白饅頭こと御田寺圭さんしかいない。彼自身がそういうように実際に彼しかいなかったけど、表のメディアに書いてあるのは彼だけ。やはり、こうしたもう一つの知識人層がどこへ実際に展開したのかっていうところに話が今度は移っていくべきだと思うんですね。御田寺さん自身がそうであるように、インターネットから登場した知識人ですかね。御田寺さんは当然、そういうリベラル左派に対するカウンター−彼らの言うところの「冷笑系」−これには私なんかも含まれるわけですが−としてのポジショニングから、インターネットのnoteを用いて言論を展開し、そしてその記事をまとめて本にされ、また、プレジデントとか現代ビジネスといったネットメディアにたくさんの記事を投稿することによって世の中に出てきたわけです。その彼が批判しているところのリベラル左派−これは知識階級を今までメインで取り仕切ってきた人々だと思うんですけども−も概ねインターネットを介して、インターネットを通じて活動を展開してきた。とりわけ、やはりTwitterですね。いわゆるレスバトルが日夜行われ続けているわけですけども、Twitterを介して出てきたということは特筆すべきところであると思います。この知識人とか学者というのがSNS−ここではほとんどTwitterだけになっちゃうんですけど−で、言論活動を行なっている。あれはもう言論活動と言うしかないと思うんです。私自身も皆さんご周知のとおり、このTwitterをめぐって現在訴訟を抱えている身として痛烈に思っていることでもあります。なぜ学者、広くいうと社会起業家、政治活動家、社会活動家とかを含めて、ツイッター、ツイッターと言うのか、と。これと先ほどお話いただいた問題がどういう風につながっているのか、もう一回振り返っていきたいと思うんですけども、何か御見解がおありになりますでしょうか。。

倉持哲夫
なぜ告発権力という形で噴出するのかについて議論が必要ですね。推定無罪であったものが、SNSなどを通じて糾弾され、社会的な立場を貶めるというプロセスがポイントになります。ハラスメントの温床になりやすく、明らかに閉鎖的な場所での告発が多いんですよね。例えば猿女君さんが言及したアカデミア、保守的な田舎町、#Me Too運動の発火点となった芸能界。こういった場所での、セクハラ、性暴力の告発は、大衆からの共感も集めやすい。一見明白に封建的な社会空間だとリベラルな知識人から指摘されるようなところで、告発運動をすれば、社会運動として成立し、共感を集めてしまう。#Ku Too運動もこういった点で似ている気がしますね。

雁琳
まさにあれはそうだったんですね。うん。

倉持哲夫
女性のハイヒール、パンプスの問題について、男性が女性に対し強制するという構造にすることで、#Ku Too運動が成功した。フェミニズムの告発運動は、封建的なルールが社会のどこにあるかを発見し、運動していくというスタイルだと僕は思っています。

雁琳
ああそうですよね。敵がどこにいるかを常にこちら側から見定めて告発しに行く、っていうスタイルですよね。#kuTooなんか、まさにそうであるわけですけども。

猿女君
あとはこれは実も蓋もないんですけど、特にフェミニズムの場合、日本の言葉だと男女共同参画っていう行政の言葉に紐づきます。そもそも、男女共同参画社会基本法自体が、セクハラが男女雇用機会均等法改正で違法化されるのと前後してできた法律ですよね。
そして、つかぬことですが、労組とか運動をやっていて、その運動の専従になるっていうプロセスってあるじゃないですか。

雁琳
ありますね。

猿女君
男女平等の運動をやって、そういう運動の専従になりたいと思う人はいるはずなんですよ。

雁琳
なるほど。

猿女君
男女共同参画の役所のポストっていうのは明確にそういうものですよね。あれは実は労組で電話をかける人と同じです。立派な建物なんかで、幻惑されがちですけれどもね。それ自体を批判すべきなのかはよく分からないんですが、ただ、何て言うのかな、男女共同参画社会に近づくにつれて女性の権利獲得運動の運動イシューは一般的に減るじゃないですか。

雁琳
当然減りますね。これは。

猿女君
行政と競合するタイプの運動だと当たり前なんですよ。環境保護運動とかもそうですよね。川が綺麗になったら環境保護運動の仕事が減りますみたいな。

雁琳
当たり前のことだ。

猿女君
当たり前のことです。当然、監視などのために最低限の要員は要りますが、アクティビストの需要は減っていく。その時にやっぱり運動で食べていきたいという人は、そういうが「立ち上がった」人たちにはいるわけです。そういう人はどうすればいいか。簡単です。差別されている社会を見つければいいんですよ。

雁琳
そうなんですよね。

猿女君
これは言ったらおしまいなのであまり言われないんですが、社会構造の問題としても言っていかないといけないと思っています。

雁琳
私もそう思います。そのためにこの対談をやってるようなものですからね。

倉持哲夫
そうなんです。僕も同意見です。一億総活躍が話題になった頃、とある国会議員が質問主意書で「女性活躍」について目標となる数値はありますか?と問い、役所側が答えられなかったというエピソードがあります。同様にジェンダー平等というスローガンでも、何がどう平等になるのかよく分からないという批判が出てきています。ジェンダーが平等な社会の定義は、フェミズムサイド、福祉サイド、労働運動サイド、色々な立場によって変わってしまう。非常に曖昧なんですね。

雁琳
わかるわけ、ないですよね。うん、そら。

倉持哲夫
そう。だからジェンダー平等は非常に主観的な話にしかならないと僕は考えている。

雁琳
うん。

倉持哲夫
難しいよね。女性の管理職が増えたらジェンダー平等なのか、オランダモデルのように男女が共働きで家事、育児、社会活動に参画している状況がジェンダー平等なのか。それとも女性の生きにくさを社会に訴えていくことがジェンダー平等なのか。多くの論点があるけど、よく分からない。だからジェンダー平等は、各人で政策目標が異なる以上、主観的になってしまう。

雁琳
私もその通りだと思いますね。というか、そもそもジェンダー平等という価値観自体、概念自体が理解不可能ですよね。何故かというと、当のジェンダーという概念は社会的・文化的に構築された性のことを指すわけじゃないですか。それが平等であるというのは一体全体どういうことなんですかね。

猿女君
結局社会モデル次第という話にしかならないんですよね。専業主婦が平等か不平等かというのは定義できない。

雁琳
そう。だから、そもそも違うものを平等にするっていうこと自体、意味がわかんないわけですよね。何を何において平等にするかっていうことがいくらでも定義付けてきてしまうって言うか。まず概念としてそういう部分に問題があると思うんですけども、実際、それを展開していくのが、日本では社会学者、特にフェミニスト系の社会学者であったりしてきました。最近ではもっと広く、文学、哲学、あるいは歴史学、なんていう人文学全体がそういうものを行うようになってきているわけですけども、しかもこれ、もう一つポイントなのは、文芸誌みたいなものを含めて、そういう権威がある誌面においてその展開が行われるのと同時に、やはり先ほど猿女君さんの方から御提示があったように、Twitterを用いて告発を行って、色々発見し−ここが平等じゃないとか、虐げられたとか、まあまあ人から見たら単に不快になっただけじゃね、みたいなことも含めて−告発をしていくことが常態化してるわけですよね。これはもう、かなり長いことそうなってる気がします。そこは何か本当にマッチポンプのような構造になっていて、告発することとその告発が理論化されることというのが、無限に循環構造をなしている。そのうちに、例えばアニメとか広告とかに−エロ本なんかもそうでしたし、今はAVがそれに相当しますけど−規制をかける社会運動に直結していくという、この流れが形成されてきているということだと思うんですよ。で、理論的には要するに一体何を言ってるんだと訊くと、いや、歴史的・累積的に形成されてきた差別構造ってのがあり、それが打破されてないんだ、と唱えるわけですよね。で、そういう構造に沿った差別的な言動や表現が繰り返されたら行くほど行為遂行的にその構造が強化されていくんだ、だから、それを告発していかなきゃいけない、という言い方をしている。でも、私が見るところによれば、彼ら自身がむしろその構造を告発言説で拡散しているのではないですか。Twitterを使って告発を言い続け、それが今度は学術的な理論の方へフィードバックされ、そしてその学術的な理論を用いて更に周りからに告発が行われるという、この循環構造に取り込まれることによって、まさにそういう告発言説の構造なるものが、歴史的・累積的に形成されてきた差別構造を含みつつ、それ自体歴史的・累積的に形成されているような印象を受けるんですね。それが例えば、最初にお話しした草津町の虚偽告発のようなものに結びついているような気がしておるわけです。

猿女君
これは「良い話」ですけど、社会学の人とかって飲み会でも普通に「そういうこと言うの差別的ですよ。猿女君さん」とか言いますからね。

雁琳
ああそう言いますね。

猿女君
飲み屋の経験でしたけど、今雁琳さんがおっしゃったようなことが僕にも一瞬で分かりました。こうやって言説が自己循環しているうちに自由がなくなっていくんだなあという。

雁琳
Twitterをすることが、ある種の文学とか、あるいはそういう社会活動をやってる人たちにとっては、循環構造を形成するための行為遂行になってるわけですよね。それがまた、理論化されてくる。

猿女君
エコーチェンバーですよね。

雁琳
そう、エコーチェンバーです。そこにはもう一つ言うと、あのイーロン・マスクが今回TwitterのCEOになって大量解雇を行い、そして検閲のシステムなどをすべて暴き出すっていうことをやって、大変話題は集めているわけです。Twitterという非常に大きな−大きなといってもgoogleに比べたら小さいでしょうけど−プラットフォームにそういうルンペンブルジョアジーの人々−要するに文化的資本として、そういう社会学とかあるいはジェンダー理論とか−これがつまりその道徳的資本にすりかえられるようなものなわけですけども−を持っていて、かつ、STEMのような市場性が非常に高い技能を持っていない人たちが入り込んでくる。彼らが言説の流通ルートをそこで直接手を突っ込んで操作することによってエコーチェンバーを、その循環構造を助長する。つまり……告発がありました。次に、ハフポストの記事が出ます。そこで、知識人が呼ばれます。知識人が最新のジェンダー理論とかクイア理論とか、あとは批判的人種理論とか……あと何ですかね、ポストコロニアル理論とかインターセクショナリティとか……そういうものを持ち出して、これはこうこうこういうことだって言います。さらに、その理論を用いて、今度はまた告発が行われる……っていうことが繰り返されるというプロセスをたどっていったんですよね。

猿女君
多分アメリカでこれが深刻になったのはたぶん職能別採用に近いので、メディアが採用する学部学科とかが限定されているからだと思う。

雁琳
それはそうだと思います。

猿女君
日本の場合も似た構造があるの、それこそ広告とかですよね。

雁琳
たしかに。

猿女君
目に見える形での縁故採用がある分野は、実は社会運動体と結びつきやすいわけです。まあ、それではどうなるかというと、雁琳さんのおっしゃるとおり、ハフポストになるわけですよね。ここだけの話ですが、ハフポストは個人的には実は嫌いではなかったんです。世の中にはこんなことを考えている人もいるんだと思って笑 北朝鮮のラジオを聞くような風でした。

雁琳
なるほど、それが出て来て。

猿女君
最近オススメしてくれたやつなんですが。しかし非合法というか何て言うのかな、全く法制度に規定されない形で侵犯権を持ってしまう人がいるというのと、恐らく何より問題なのはその告発権力自体が平等に分配されないことなんですよね。

雁琳
ああそうですね。絶対されないですよね。

猿女君
真面目な話なんですけど、フェミニズム社会学を研究している女性教員を告発できるかという問題がある訳なんですよ。

雁琳
いや、まさにそこなんですよね。しかも、インターセクショナリティなんていう理論が出てきたことによって、今までポストコロニアル、つまり、いわゆる宗主国−被植民地国みたいな対立と、アメリカで今話題になっている批判的人種理論という、人種の間に逆張りの人種論を見出すようなものと、フェミニズムやLGBTなどに関わるクイヤ理論みたいなものとが全部一体化してるんですよね。今言った、インターセクショナリティというのは、そういう構造を全部複合して一体化させる、という議論ですから。だからますます、権力勾配があるとされる社会構造をそもそも破れない構造がどんどん作られているということは間違いなくあると思うんですよね。

猿女君
それが下の下の世代にしわ寄せでいくわけですよね。

雁琳
もちろん。彼らが繰り返し言うことの方を逆に累積的・歴史的に捉えて、それこそ、累積的・歴史的にこちらがマイノリティーだという言説構造が形成されちゃうようになったらね。だから、下の世代に行けば行くほど消えるものが逆にどんどん残っていくっていうことになるかと思いますね。

「権力勾配」への反発

倉持哲夫
告発する権力の勾配。特にLGBTの保守化問題では、告発する権力の勾配に対する反発が出てきている。同性婚を主張する候補者が票が取れていないにも関わらず、LGBTの総意として同性婚が出てきてしまう。

雁琳
それは全くその通りですね。日本だと、松浦大悟さんがその立場を代表している感じですけど。

倉持哲夫
フランスでは苛烈な形で出てきています。とある選挙では、既婚のゲイの40%が国民戦線に投票し驚かせたこともあった。左派のLGBT活動家も困惑する結果。元々、国民戦線は同性婚に慎重でしたよね。

雁琳
そうそう、元々そうですね。

倉持哲夫
よりにもよって、同性婚法廃止を公約にする政党が、既婚のゲイの中で第1党になるという恐るべき事態がフランスで起きた。

雁琳
それはそうですね。

倉持哲夫
LGBT運動の反動の原因を探ると、LGBTの権利が問題ではなく、活動家が持つ権力の勾配への反発だとみています。

雁琳
うん。

倉持哲夫
より詳しく言うと、社会学者や活動家が作るイシューをハフポストなどリベラル派のメディアが焚きつけ、さらにメディアが社会学者や学者を取り上げる構図。そうなると、生身の当事者の声が出てこないという問題が生じてしまいます。

雁琳
それは本質的な話ですね。

猿女君
はい、はい、はい。

倉持哲夫
各種調査によると、日本国内のLGBT人口は5%から最大7%いるって言われていますね。

雁琳
言われてますね。

倉持哲夫
日本でLGBTの問題が重要な政治問題になり、米国などのようにLGBTが政治力を持つならば、本来、公明党や共産党並みの政治力があるはずです。

雁琳
そらそうなりますね。

猿女君
その通りです。

倉持哲夫
LGBTが有権者のうち500万人から600万人程度いて、同性婚を掲げる政党も幾つかあった。特に同性婚を前面に出したのが立憲民主党で、ゲイの候補者が同性婚を訴えた。ところがその候補者は数万票しか獲得しておらず、保守派のLGBTの松浦さんも数万票台だった。ここが重要で、LGBTの本当のマジョリティーはアイデンティティポリティクスに興味がなく、むしろ保守的ではないかという仮説も成り立ってしまう。

雁琳
はい。

猿女君
それはある意味当たり前の話で、日本が一番わかりやすいんであれですけど、同性婚を主張しないLGBTがLGBTとしてアイデンティティポリティクスする理由って皆無ですからね。

雁琳
そうですね。そうですね、うん全くないと思いますね。

猿女君
むしろ運動して嫌われたり、運動して意図せざるカミングアウトをする羽目になって差別される可能性のほうが大きいので、大義以前に益不益としてしないはずです。

後編へ続く

(この文章はこれで終わりですが、NPO法人Civil Collegeむすびらきを応援してくださる方はご厚志賜りますと幸甚でございます。)

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