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曜変天目茶碗(稲葉天目)と刀剣男士が一緒にいたかを確認しました

先日静嘉堂文庫美術館に行ってきて、曜変天目茶碗を拝見してきました。

そこで説明書きを読んで思い出しました。
静嘉堂文庫美術館所蔵の曜変天目茶碗は「稲葉天目」とも呼ばれています。
徳川家光から春日局に下賜され、その後子孫の稲葉家で継承されていったので「稲葉天目」。
そこで思い浮かんだのが、そういえば稲葉家ゆかりの刀剣男士がいたな、ということです。
そうなると、稲葉天目と同時期に稲葉家にいたのだろうかと調べたくなるのがオタク心というもの。

参考までに稲葉天目がどんな茶碗かは、下の静嘉堂文庫美術館さんのツイートをどうぞ。

私がパッと思い浮かんだ稲葉家ゆかりの刀剣男士は「篭手切江」と「稲葉江」だったので、この2振について確認しました。


公式からの情報にも「稲葉」の文字があるので、刀剣男士としては稲葉家の記憶もあることでしょう。
じゃあ、果たして稲葉天目と同時期に稲葉家にいたかどうか、という疑問について。

  • 稲葉江は同時期にはいない

  • 篭手切江は(多分)1701年から1918年の約200年ほど稲葉家にあった

  • 稲葉天目と篭手切江は同じ日に売り立てされ、別々の所有者の元へ

ついつい「稲葉江」という名前ゆえ、ずっと稲葉家にいたかなと思ったらそうでもないというのは刀剣あるある。
稲葉江と篭手切江も同じ時期にはいなかった模様です。

曜変天目茶碗はアニメ「続『刀剣乱舞-花丸-』」第7話にも登場していました。
その茶碗は稲葉天目かも知れないし。
それとも他の2つの曜変天目茶碗のうちのどれかか。
はたまた200年後の刀剣男士が顕現された時代に新しく発見されたか作られたものか。
アニメ放送当時、花丸本丸に篭手切江は顕現していませんでした。
もしかしたら、篭手切江だったらあの茶碗が稲葉天目だったのか、知ることができたかも。

いやしかしアニメでは歌仙兼定が一期一振にお抹茶を一服淹れて差し上げていたのです。
国宝である曜変天目茶碗が歌仙兼定の手元に!?
そう考えると、今はまだ再現不可能な曜変天目茶碗の製法が200年後には判明している、と考えた方が現実味(?)あります。

ところで、「稲葉」に引きずられて割と肝心なことを忘れてしまいがちですが、春日局に稲葉天目を下賜したのは徳川家光です。
稲葉天目はいつの頃からか徳川家にあったようです。
家康の時代からあったかもしれないし、秀忠の時代からだったかもしれないし。
家康が持っていたとしたら、稲葉江がちょっとかすってる可能性が出てきます。
また、家康は刀剣男士のモチーフになっている刀剣を多く所有していたので、もしかしたら、本当にもしかしたら、稲葉天目をその目で見た刀剣男士は、結構いるかもしれない。

器物が100年経てば付喪神になるということでいったら、稲葉天目も付喪神になっていることでしょう。
刀剣男士のような姿を想像してみたならば、中国生まれの美麗な姿をしているかもしれません。
嗚呼、ロマンという名の妄想が広がる……。


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