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幕末の日本を描いたフランス軍人のスケッチ

歴史系番組が好きです。
民放でもたまに歴史系バラエティとかやってますが、NHKは毎週放送してくれる歴史系番組がいくつかあります。
大河ドラマもそのひとつ。『麒麟がくる』、とてもおもしろいですね。

NHKの歴史系番組の中で、とくによく見るのが『歴史秘話ヒストリア』。
様々な時代を、様々な視点で教えてくれる番組です。
けして名のよく知れた偉人だけを紹介するわけではなく、あまり良く知られていない出来事にもスポットを当ててくれます。

先日、とある人物の特集で映し出されたスケッチにとても惹かれました。
幕末にフランスから軍事顧問団として日本に来たフランス人のひとり、ジュール・ブリュネの描くスケッチです。

ブリュネの人物像にもとても関心がありましたが、とにかく彼の描くスケッチの美しさがあまりにも良かった。
軍人なのになんでこんな絵がうまいのかと思ったので、さっそくAmazon検索。

函館の幕末・維新―フランス士官ブリュネのスケッチ100枚』という本を見つけましたがとても古い本で、目も当てられない値段になっているので図書館で借りることにしました。
もしかしてテレビでやったから貸出中かなとも思いましたがまったく問題なく、さっそくネット予約して二日後には取り置き連絡メールがきました。
図書館、愛してる。

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本の内容は書籍の半分くらいがブリュネのスケッチと人物についての解説、後半は函館市史編さん室による、ブリュネも参戦した箱館戦争270日解説になっています。
幕末好きで箱館戦争のことが知りたいという人にはとても分かりやすい良書です。解説と同時に、当時のスケッチ(これはブリュネの作品ではありません)を多く掲載しているので、なかなかに生々しい。
この本が出版されたのは昭和63年(1988年)6月。箱館戦争から120年が経ち、その年に北海道立函館美術館でブリュネのスケッチの展覧会が開催されたという経緯があります。
普段はフランスにある資料が日本にあるなら、出版しない手はないでしょう。

私がブリュネの絵を見て最初に思った疑問については、この本の冒頭で理解しました。
ブリュネはフランスのエリート校、ポリテクニク高等専門大学の出身です。この大学に入学する要件というのが厳しいのですが、その中のひとつに【デッサンや絵を描く能力が高いこと】が求められました。
写真が今ほど発展していない時代、スケッチは情景を正確に伝える手段でもありました。そのため陸軍士官にはスケッチの能力も必須だったようです。
ブリュネはとくにスケッチの能力が高かったのかもしれません。彼は陸軍士官であると同時に、フランスの週間新聞『ル・モンド・イリュストレ』の特派員でもありました。
『歴史秘話ヒストリア』でも紹介され、この本にも掲載されているブリュネのスケッチは、ただ単に暇つぶし的に描いたものではなく、いわば仕事として描いたものです。
当時の日本をフランスに伝えるため、日本の情景や風俗、事件など全般に渡って描かれています。そして筆致も精巧。この本でブリュネの人物像について書いた歴史研究家のクリスチャン・ポラックは「日本人の手によるこのような情報性の高いスケッチは見当たらない」としています。

堺事件のような歴史的な出来事だけではなく、正座ができないで食事に難儀している西欧人のような情景なども描かれています。
王子の茶屋を描いたスケッチは、川沿いのカーブや店の並びがあまりにも正確なため、現在の王子駅前では?と、王子駅前に流れる川を見たことのある人なら、なんとなく予想がついてしまうほどです。
情景描写はパースの狂いなく、人物絵も写真に負けず劣らず。こういったスケッチを1日あたり約10枚描いていたそうです。
フランスの人々は日本に旅行せずとも、幕末の日本がどういうものかというのを、ブリュネの絵を通して綿密に知っていたかもしれません。


ブリュネたちフランス軍事顧問団は、徳川幕府の要請で来日しました。
1867年1月に横浜到着、4月には徳川慶喜に謁見するためか、大阪でのスケッチが多く残されています。
スケッチに記された日付を追うと、5月には横浜に戻り、7月には江戸に滞在したようです。
軍事顧問団として来ているので、徳川幕府軍の演習風景もスケッチに残しています。
しかし1867年11月に大政奉還、1868年1月には鳥羽・伏見の戦いが起こるなど、幕末の動乱が激しくなる一方。慶喜が将軍職から退位し、明治新政府からフランス軍事顧問団の日本退去を要請されましたが、ブリュネはナポレオン3世に辞表を出してでも日本に残り、榎本武揚ら旧幕府軍と行動を共にすることにします。
ブリュネたちフランス人9名は品川、仙台を経て箱館に渡り、箱館戦争に参加。1869年6月には五稜郭陥落を前にしてフランス軍艦で横浜に戻り、フランスへ送還されました。

劇的な2年を過ごしたブリュネのストーリー、何かで見たことのある気がする映画好きもいるのでは?
『ラスト・サムライ』のトム・クルーズ演じるオールグレン大佐のモデルが、ブリュネと言われています。
出身国も戦場も違いますけどね。
生き様をモデルにしたようです。


『函館の幕末・維新―フランス士官ブリュネのスケッチ100枚』に掲載されたブリュネのスケッチで日付や場所が明確になっているものは、1868年12月29日の宮古の近く“クナンけ崎”となっているもの(おそらく鍬ケ崎湊のことと思われます)。海の上に浮かぶ何隻もの軍艦が鉛筆画で描かれています。
それまでは町中の生活風景や人々が彩り豊かに描かれていましたが、なんとも物悲しいモノクロの風景画です。
その時ブリュネがどういう気持ちで絵を描いたのかは分かりません。
徳川幕府の要請で来日して以来、日本はあっという間に様変わりしてしまいました。かつての大君、徳川慶喜もこの時には表舞台から消え、軍事を教えた旧徳川幕府軍の教え子たちは明治新政府からしてみれば政敵。
敗北を悟っていたか、一縷の望みを持っていたか。日本に残ったことを後悔したか、日本で死ぬつもりだったか。

ともあれ、1881年と1885年には日本から勲章を得ています。榎本武揚の力が働いた、という話もあるようですが。
たった2年という月日の間で、ブリュネが日本に与えた影響、日本がブリュネに与えたものは大きかったのではないでしょうか。

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