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「虞美人草」夏目漱石---ハイカラ過ぎた紫の女性、藤尾

2021年になりました!あけましておめでとうございます。

さて2020年大晦日に私が読み終えたのは夏目漱石の「虞美人草」(1907初版)です。

明治時代、110年以上も前に書かれた作品に対して、今現代の視点から私が感じたことをここに書きたいと思います。

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「虞美人草」、これは恋愛物語です。そして舞台は京都と東京。

恋物語好きや、京都好きの人におすすめかな、と思います。

紫色の、ハイカラ過ぎた女性-藤尾

主人公といえる存在が藤尾という女性です。彼女には紫色のイメージが与えられ、それは題名の「虞美人草」にもつながっています。

本の解説に、作品の命名について語っている漱石の言葉が載せられていました。

純白と、深紅と濃き紫のかたまりが逝く春の宵の灯影(ほかげ)に、幾重の花びらを皺苦茶(しわくちゃ)に畳んで、乱れながらに、(中略)重きに過ぎる朶々(だだ)の冠を擡(もた)ぐる風情は、艶とは云え、一種妖冶(ようや)な感じがある。

藤尾が男を魅了する姿をイメージしてつけたタイトルなのでしょう

紫色のイメージを与えられた藤尾は、我が強い。そして自分の恋心を通そうとする女性。結婚したいと思う相手の男性(小野)は小夜子という女性と結婚することになっている。小野も藤尾と結婚したいがそういうわけにもいかなかった。小野の結婚報告を受けたのち、理由は詳しく描写されませんが藤尾は死を迎えます。

藤尾は傲慢な、もしくは少々女性としてのおしとやかさを欠いたキャラクターとして夏目漱石に描かれているような気がします。昔ながらの女性ではない、自分の意志がある&主張する、頭の切れる、男を魅惑する。「ハイカラ」な女性として書かれていますが、すべてがポジティブに書かれているようには感じませんでした。

しかし私は明治の人ではないので、藤尾に対してあまりネガティブな感覚を抱きませんでした。あるべき女性の姿、おおかたそんな風に感じました。今でこそ、女性の社会進出や男女平等が重要視される社会になってきました。それが達成されているわけではないですが、女性ももっと男性に物を言って良い、意志も尊重されるべきだ、コンセプトとしてはそれが当たり前になってきています。もし藤尾の生きる世界が現在であったら評価の高いキャラクターになっただろうなと思いました。恋に夢中になったって、少しくら恋愛において女がリードしたって、アピールしたって、学識があったって、社会に興味があったって良いはずですよね?どうでしょう。正直に言えば、藤尾は私にとっては普通な感じさえしました。

出版された当時の人々は彼女をどう見たのでしょう。道義を外れた女として低い評価を与えられたか、自分を持った女として高く評価されたか。最後死を迎えた藤尾はもしかしたら現代的過ぎたのかもしれないな、と。


選書について

複数の出版社から「虞美人草」を読むことができますが、私は今回筑摩書店からのものを読みました。細かく注釈が付いていたため、時に読みづらい明治の文章でもとても読みやすくなり、気に入りました(^^)














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