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「子育て」と「介護」、人の世話を見るということについて

おはこんばんにちは!
今日は
「子育て」と「介護」(まだ持ち上がったばかりのほやほや問題)、どっちも人の世話を見るってことに違いはないけど、大きな1つの違いがあるよなぁ
って話を書いていきます。

 どうも、るかちょです。
では早速Go~

 

「子育て」は“ひとりの人間を自立に導くもの”

まず子育てについて。

私には長男、長女という一男一女を育てています(7歳、2歳)。

まだまだ子どもに親として育ててもらっている最中ですが、思うのは「親を全力で必要としてくれるのはほんのわずかな時期なんだなぁ」ということ。

 泣くばかりでうまくいかないことだらけの“はじめての人間生活”スタートさせた赤ちゃんだった長男も、いまやお腹がすけば自分で茶碗を出し、ご飯をよそい、納豆をのせて食べられるまでに成長しました。

 お兄ちゃんもいる手前ずっとバタバタしっぱしだった長女も、あれをあれをという間に2歳。
できることも増えて、自己主張もしっかりするようになりました。

 渦中にいる時には
いつ終わるんだこの地獄…
なんて思うことも星の数ほどあったけど、
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよくいうもので、いまの成長した姿にうるっとくることもしばしば。

 ひとりでできることもどんどん増えて、親と離れて活動する時間もどんどん増えていく。

それが健全で、頼もしい反面、ほんの少し、寂しさも覚える。
これが子育てなんだろうなぁと。

 人として、自分でできることを増やしてやる手助け。
進める道や可能性を示して、時には手助けするのが親の役割。
そんな風に考えてます。

 

「介護」は“ひとりの人間が、弱っていくのをいかに緩やかに、負担少なく生活をおくっていくか”というもの

ついで「介護」。

私自身まだ本格的な介護を経験したわけではありませんが、眼下に迫った義親の介護問題と、かつて自分の母親がやっていた祖父の介護を見ていた手前、ある程度の想像と、現状かかってきている負担とを併せてこう、思います。

 介護ってのは「いかに弱っていくのを緩やかにしていくか」、これに尽きるなぁと。

 どんなにがんばって必死になったとしても、どうしても人間老いには敵いません。
老いればどういったって体の不調はつきもの。
誰かの手を借りなければならないというのは当然です。

 義親の「介護」問題がもちあがったのは急な話で、夫も私もぶっちゃけ右往左往しっぱなしです。

 義親自身も「情けない。自分のいまの姿が情けない」とこぼします。

 確かに私の予想より10年くらい早くやってきた問題ではありますが、ぶっちゃけ夫と結婚するときからいずれやってくるこの「介護」問題については承知の上でしたので、予想より早かっただけだと片付けることにしました。

 とはいえ。

やっぱりね、顏合わせるたびに「情けない」と本当につらそうにこぼす義親に、自分は仕事のため動けないから、嫁の私が動かざるおえない状態に申し訳なさそうな夫の顔を見るのはこちらもつらい。

 やっぱり親子なんだなぁて思うくらいに、2人とも本当につらそうな顔を見せる。

 「あ、これがんばっちゃダメなやつだ」

そう思いました。

親だからこそ、手を尽くしてやりたい気持ちは痛いほどわかる

夫の家庭は早くに離婚をし、義親は1人暮らしをしていました。

夫には兄が1人いますが、遠方で家庭をもうけ、仕事をし、子育て真っ最中です。

近くにいるのは次男である夫だけ。

だから義親の実質的な面倒は夫が見ることになる。
それは結婚する前からわかりきっていたことでした。

親を大事にする彼が好きでしたし、それはいまも変わりません。

だから、そんな大事な親だからこそ、息子として「なんとか手を尽くしてやりたい」という気持ちは痛いほどわかるんです。

 でも、そこを汲んで
「私、がんばります!!」とは言いません。言えません。

それは“共倒れ”という地獄へ突き進む道に他ならないから。

 そして、嫁ががんばればがんばるほど、
義親は気に病むだろう
というのは容易に想像がつきます。

あと義親だけでなく、きっと夫も申し訳なさから気に病むでしょう。
子どもたちにもしわ寄せがぐっといきます。

 誰も幸せにならない。
つらいだけの地獄へは突き進ませない。

 だからこそ、頼れるもの、使えるものは使い倒し
「義親」も、「私たち」も、それなりに快適に過ごせる状態を目指す
のが最適解だと考えてるわけです。

 

いま一番不安と負担が大きい時期だからこそ、みんなネガティブになっている

 義親はいま
・骨折(正しくはヒビ)
・介護申請中(現在、結果待ち)
という状態です。

 骨折によるリハビリ通院の負荷が大きくなり、介護手続きの方は申請中のため宙ぶらりんの状態。

 私も一緒に落ち込んでいましたが、「どうなるかわからない状態」てのが一番ストレスかかりますね。

 「これから先どうなるんだろう」

「もっと状態が悪くなったらどうしよう」

どうしよう、どうしようと宙ぶらりんの状態だからこそ、不安が不安を呼び、どんどんネガティブになっていきます。

 

一周まわって開き直れたワケ

さて、一旦私もいろいろ重なって闇み落ちしかけたわけですが、いまでは開き直ってます。

 「まだヒビで済んでよかった。6週間でくっつくなら早いもん」

「いま適当にして、固定している足が使えなくなるほうがあとあと困る。リハビリは訪問リハビリもしてくれてるみたいだから今度相談してくる」

「義親も君も、うちも、みんな過ごしやすいように手を尽くそう」

 こんな風に夫に言えるくらいにはメンタル安定してきました。

 それは

審査が出るまで宙ぶらりんなのが「しんどさ」の根本原因とわかったから

  1. 審査が出るまで宙ぶらりんなのが「しんどさ」の根本原因とわかったから

  2. 骨折に関しては6週間という目安が出てるから、その間のみ負担が大きいだけとわかったから

  3. 義親の貯金が尽きたらこうしようという先のプランまで考えたから

  4. 家族だけでがんばらない、頼れるものはなんでも頼る、使う」と腹をくくったから

大体この4つが整理できたおかげですね。

 実は私自身も骨折の経験があり(複雑骨折、手術、くっついたあとのリハビリ経験済み)、私の母親も、祖母も、叔父も、なんだったら長男さえも骨折経験があるんですよね。
( とはいえ実母と長男は「ヒビ」でしたが)

なので骨折したらどうなるか?
どう過ごしていくか?は
一通り経験済みなんですよねぇ。

 だから骨折による通院、リハビリについては「そうですよねぇ」て感じ。

なんも不思議にも思わないし「この期間が本人含めみんながきつい」というのがわかってます。

 そして審査結果が出るのは一旦骨折が治るだろうという時期。

つまり、骨折のためにせっせと通院して治してる間になにかしらの結果が出るとわかると「なんだ、案外すぐだな」と思えました。

 

頭の中だけで考えると「いつこんな生活が終わるんだろう…」は子育ても介護も一緒

子育てと介護。

ゴールは全然違いますが、どっちにもいえるのが「頭の中だけで考え続けるのヨクナイ」ということ。

 一旦紙に不安を書き出す。
いろいろ予定を書き出す。
不安と予定を見比べる。

「あれ?もしやしんどいのってこの時期だけじゃね?」て気づけたらもうけもん。

 初めての子育ての最中には「しんどいのはこの時期だけ」なんて気づけませんでしたが、ある程度子育てをしてきた今なら「未就学児で負荷がでかいのはココ」と予想が経ちます。

 私の場合、8月中旬くらいまではいろいろ四苦八苦する時期です。

さぁ、夏休みもはじまるし、ここが正念場。

 やれることをやっていきます。

今回は長くなったけど、ここまで。
では

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