文章を書くのが怖いという話

 話の盛り上がった関係の浅い相手と激しく同意する「何か面白いことをしましょう」ぐらいには信用の無い私の「Noteに書く」ですが、如何せん億劫になってしまって筆が進まなかったり、納得ができず書き直して力尽きたりと、その繰り返しです。

 そんな私ですが、題に置いた「文章を書くのが怖い」というのが、もしや今出来る最良の言い訳なのではないかと納得できたので、それについて書き出してみるのが面白いような気がしまして、Noteに書いている次第です。

※先に断っておきますが、自分の思考を整理するためのNoteなので、「そんな事誰も興味無い」という指摘は私にちゃんと刺さります。ですので胸の内に留めて頂きたいのです。容易に致命傷となります故、宜しくお願い致します。

 文章を書くのが怖いといっても、誰かに批判をされたとか、他者を怖がっているわけではありません。自分の稚拙な発言を指摘されるのが怖ければ、まさか本名を用いた公開アカウントで日夜呟いたりなどしません。

 では何が怖いのか、それは「今の自分が書く言葉が好きではない」ということ。ほら、納得できそうな答えっぽいでしょう。

 逆に今までは自分の書く言葉が好きだったのかと言いますと、えぇ、とても好きでした。中には後から繰り返し読み返してみたり、再考して書き直したくなるほど内容が興味深かったりもします。(出来ることなら抹消したい物はその数十倍程度ありますが。)少なくとも、当時の感覚や思考を思い出し現在にそれを引っ張ってきたい程には自分の言葉が好きです。

 私は、常に何かを思考し、悩み、その答えを探し続けている事に生きる意味のような物を感じていますから、例え答えが出なくともその行為自体に意味があり、そしてそれに対し納得をします。逆にそれが何かしらの理由で出来ない時というのは、ひたすらに自身を嫌悪する状態になります。時々荒れるのはソレです。

 そんな自分にとって、自身が只今書き出している物に納得できないという状況は、大変な違和感が伴います。先述した通り自己嫌悪に陥るほど。それがまさに現在の自分、自分から書き出される言葉なのです。そんな違和感を持ちながら行為を続けるというのは、自身への信用を削り、また感覚が麻痺していくような気配を感じ続けます。私は、それに強い恐怖と不安を感じます。

 ですから、その違和感こそが今出来る最良の言い訳であり、自身が乗り越えるべき課題というか、障害というか、何かしらではあると、そういう事が言いたいのです。

 今書き出せる事といえば、存外その程度でありました。書き初めにはもう少し先まで語れる気でいましたが、そういうところが好きではないということだけ分かりました。

 強いて、備忘録として、何かを書き出してよいのであれば、手持ちを切り売りしている現状に自分自身が嫌気をさしたという事は言えるでしょう。音楽、映画、書籍のようなインプットすら、手先で撫でるようにすくい取り、手持ちの浅い語彙で切り売りしている現状にです。無論、専門である演奏などその最たる例でしょう。少なくともここ二年程の自分の演奏は嫌いです。しかしやっとのことではありながら、それと向き合い初められているような気もしています。これはその最初のセーブポイントぐらいには考えられるでしょうか。


 久々に本を読みたいと思いました。その感覚がずいぶんと懐かしく、今とは全く異質なものであり、そして自分自身が心地よく感じていた物だったため、少しこんな事を考え書き出してみました。

 散々垂れ流し晒してきたアカウントを非公開にしたことも、内容の無いNoteを書き出してみたことも、そのためです。少しガタガタとしている期間が始まりますが、どうせ常にガタついた生き方をしていますので、そのバリエーションだとでも思って少し整理してみたいと思います。では。

 

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