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「裸でウニを投げつけられる」

作家としての「かが りねん」というアバター


作者や作品が炎上した時に、
これはアバターだからという意識があれば、
この炎上は作者としての自分であって、
リアルの自分には関係のないことだと、
割り切れる。

中の人のアバターの着ぐるみに入る
バイトをしているイメージを持って作者として、
運営すれば
冷静に切り離して考えられるので、

炎上などで攻撃された時に自分の心のガードになる
という話を聞いた。



これは、私は特に意識すべきだと思った。

でも、それと同時に、
「それって超難しくないか??」と思った。


だってさ、
あのヒカキンさんだって、
アンチだからと言って
割り切れないんだよ。

10年間毎日アンチが沸いてるって
本人がいうほどだよ。
そんなヒカキンさんでさえ、
無理なんだよ。

その動画


それにさ作品は、
キャラは作者の代弁者で、
それを書いてる作者って、
どう「アバターですよ〜」つったって

やっぱ切り離しは難しくないかな?

私は作品を
自キャラを
子供的な感じに思ってしまうんよな。

だから、親のふりしない方がいいのわかるんやけど、
どうにもできんのじゃな。



エッセイを書くということは、
自分を曝け出して、裸になることだと思う。

創作の中のキャラに思いを込めるのと

自身を主人公にさせたエッセイ

両方したことがある。

だけど、エッセイの方が
なんか、裸度が高くないかね。

「もうこれ以上脱ぐものなんてありまっせーん!」

全裸パーティーじゃ〜〜!

みたいな感覚。

だからこそ、攻撃的なコメントが漫画に付くと、
全裸にウニを投げつけられちゃうような
感覚になる。

作者としての自分と
本名で現実を生きてる私は、

今の所、
なかなか切り離せてないのが現状だ。

切り離して考えよう!!って意識はするんだけど、
やっぱり繋がりは切ることができない。

「かが りねん」が批判されてると、
本名の私も同じ感覚になってしまうんだよね。

これは由々しき事態……




作品の批判を受ける時
それは、まるで

私は全裸で、外にポツンと立っているのに


ウニを色んな人から、
色んな角度で投げつけられてる
感覚がする。


中の人をアバター化することは、
まるでバイトをするような感じだと講師の人は
言っていた。

だから作家として批評されても
「もう時間なんで帰りまーす」で
当たり前のように本名の自分として
プライベートな自分時間を過ごせる。

かが りねんと本名の私を
切り離すのは、やっぱり難しい。

だから、切り離すというよりも、

まるで本名の私を
「かが りねん」のアバターを使って、

宇宙服を着るような感じで
裸状態を保護する感じかもしれないな
と思った。

宇宙服なら、
どんだけウニを投げつけられても
痛くない。

「人の噂も七十五日」
という言葉があるように

みんながウニを投げることを
飽きた後に、地面に転がったウニを
食べることもできるしね。

でも、やっぱり全裸状態で、
ウニを投げられると痛いんだよね。

仲の良いフォロワーさんが
ウニが投げられてるのを見るだけで
「ウニ投げんなぁぁぁぁぁぁ…!!」(小声)
ってなってしまう。

のでコメント欄を見ないようにしたりして、
最近は、自衛を覚えた!!




切り離しが大事
なんだと自分に言い聞かせる。



みんなと分かりあうなんて、
絶対にあり得ない。

これはいつも頭の片隅に置いておいてる。



でも、ウニが投げられる中にも、
ラブレターを送ってくれる人もいるし、
宇宙服でウニから身を守りながら、
ラブレターをちゃんと受け取りたいなぁと思う。



結局、私はTwitterやるのに、
ハードルとか一切、ないんだよね。

難しいとも感じないし、
こうやらないと!みたいな
焦りもない。

むしろツイ廃側の人間だ。

だから、
作家さんとかが、
批判されるのもめちゃくちゃみてきたはず。

でも、他人を見てるのと、
自分に起きることは、
やっぱり違うんだよね。

私は、ばーちゃんになるまで、
作品を描き続けたいし、
そうなるんだろうなぁ…と諦めに似た
気持ちになる。




だって、もう年中さんの頃には
絵を描くことにハマっていた記憶もあるくらいだ。

それから、

美術の世界に入って、

木工の世界に入って、

デザインの世界に入って、

伝統工芸の染物の世界に入って、

陶芸の世界に入って、

織物の世界に入って、

服作りの世界に入って、

漫画の世界に入って、

エッセイの世界に入って、

色んな世界で、
パシャパシャ泳いで、

面白そうな世界が、
見えたらまたそこまで泳いで行って
そこで潜っていく。

色んな海を渡り歩く
ジュゴンみたいな感じだ。

私は物作りが本当に大好きだし、

もうやめるという選択肢が、
私の人生上ないんだよな。

作る作業も、
作ったものに囲まれる生活も、
私が作ったものを誰かが読むのも、
飾られるのも、

喜びも全て好きで、

好きで、好きでたまらない。

だから、もう人生の大半を
私は何か作ってる。



一つだけをやりたいわけじゃない。

だから、漫画を書くことだけが
別格で、
めっちゃ好きってわけでもない。

どれも好きで、
一番好きとか選べないんだよな。






私の一日は、

朝は木工で、
オーダーの試作机を作り、

昼は漫画書きながら
ご飯食べて、

絵画教室に子供が
きたら喋りながらまた、
その子の作りたいものの
話をして、手伝い。

夕方になれば、
エッセイを書いて、

夜にミシンを出して、
オーダーメイドの作品を作る。

それが終わったら、
イラレとフォトショで依頼のDMと
名刺とポスター作り。




これが私にとっての
幼少期から重ねてきて、

生きることのできる

普通の生活。



何か作らないと、
ムシャクシャするくらいだ。

生きることと、作ることが
切り離せない。

漫画だってそうだ、
「こんなんもうやめてやる!
コンニャロコンニャロ!!下手くそめ!!!!」

ってなっても、何度でも
しらっと戻ってきて、
また始めちゃう。


離れてる間も、
凹んで何もできない…って感じでもなく、
他のものを楽しんでるだけだから、
夢中で視界にすら入りゃしない。

浮気が大好きな私は、
色んなところを
シラミのごとくぴょんぴょん跳ねて
楽しんでるんよな。

全部全部そんな感じだ。



「生きる」と「作る」の
両者が共依存し合って、
絶妙なバランスで、

私ができている。

だから、
筆を折るとかいう
選択肢が私の人生にはそもそも無い。

何か作るのをやめるのは、
死ぬ時しかない。

それくらい、何かしらを
作るのが当たり前だ。

書いてる歳中は、
嵐の海のように心が大荒れしていても、
書き終わると、
朝日が差し込み、穏やかな風が吹くように
心が落ち着く、


そして、より生きやすくなる。


でも時には
何もかも破り捨ててしまいたくもなる。

自分は何で、
あの時あんなことをしたんだっ……!!
ってウギギギギギギギ!!!!!!!!
って頭抱える時もよくあるけど、

それでも次の日は、
こりもせず書いてる。

めちゃくちゃカッコつけたくなる時も、
悲観しまくる時も、調子に乗りまくる時も、
イキリまくりたい時も、

全部あって、

それは嫌でも、
定期的に必ず起きて、

でも、結局、
それで何とか生きてるもんで、
自分はすごく丈夫なんですわな。



でもね、生涯作り続ける
のと私がツイ廃なのを合わせて考えると、

ネット上の批判に対しても
「そんなん、知らんがな」
的な強さがある方がいいんよね。

強さというか、
慣れだな。

この半年間は
慣れる期間なのかもしれないわ
ちゃうかもしれんけどな。

そもそも慣れるのとか、
無理なのかもしれんな?

批判とかって馴れるもんなんかな、
でも馴られたらいいなぁ…




最近私は、
「もしや私ってばーちゃんになっても
ツイ廃でいるんじゃないかな?」
と思うようになり出したんだよな。

Twitterってアプリが
なくなったら他のTwitterに似たような
アプリに乗り換える、
インターネットおばあちゃんになるだと思う。

そんでさ、
なんか書いたらやっぱ見せたいんよな、

露出狂の人もこんな感じなんやろか。

「見て見て見て!!!」
ってコートをバッと広げて、
全裸(作品)を見せる感じだ。

そんで見せた、
一週間後くらいに
「なんであんなもの見せたんだぁぁ!?!?!?!」

「おいどんは…!!!!!!大馬鹿者でごわす……」

ってなるのに、

描き終わると、
見て見て見て!!!露出狂モードに
またなって、
全部忘れちゃうんだよね。

毎回記憶喪失になって
露出狂しちゃうの
マジでなんなん???????

天性の露出性癖でもあるんか??

本物の露出狂にならんように気をつけようと
思う…

…みんな夜道には注意だよ。



あと、
そのお話の中で、小、中、大に目標を階層化してみよう
って話があったんだけど、

私の半年間の目標

小目標:
毎日のエッセイ投稿


中目標:
最終卒業課題の32ページ漫画を
「描き上げる」こと

大目標:
自分の本を持って健康状態で、
コミティアや、文学フリマに出ること

この三つだな。

自分が半年間かけて
生み出したエッセイとか、設定資料、漫画
をまとめて本にして、

10年後とかに
卒アルを見るような感じで
ふと開いて「懐かしいなぁ〜」って
見返したいって思いがある。

せっかくなら、この半年間の活動記録を
形にして手元にも残しておきたいな。

こうやって、
形式的な終わりも今から、
意識しておく。

四月から始まったマンガ専科なんだけど、
もうすでに卒業(?)するのが寂しいぞ…
でもそう思うほど、話してて楽しいし、濃い空間だと思う。

卒業しても、
離れ離れになるわけじゃないのに
何だこの思いは…ザワザワ…

…本当に
居心地が良すぎるんだよなぁ

創作のオアシスにたどり着いて、
皮膚が乾燥でひび割れてしまった
カバの私が、乾いた体を潤しているイメージだ。

あまりに心地が良すぎる。幸せだ。




今日のエッセイおわり!!!!

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