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「肥大化した痛い自意識」

一ヶ月前に自分でもまだ踏み込めない
漫画の題材を描こうとして二ページ目で止まった、

というか、
止めたのかもしれない。

自分が踏み込めないと
いうことは書いてみてからしか分からない。

だからいつも、
ガーっと書きたくなったら
めちゃくちゃに書く。

なので地雷を踏み抜いてから
しか気づけない。


基本的に私の漫画は実話ベースに
色々継ぎ足して、

キャラは自分の好きな
描いていて楽しい気持ちになる見た目重視だ。

だから10代ならではの
ツヤとコシのある髪質、
唇、目元、
過剰な自意識を描くのが好きだ、

私自身つい先日まで
10代だったようなもんだから、
結局この10代の自意識を拗らせ続けている。

だから、10代の主人公たちを
描いていて、「あ〜〜〜!!!いたい!痛々しい!!」
と悶絶することもあるけど、

「まぁ、誰しも通る道か…」
みたいな感じで急に賢者タイムにもなる。

結局この繰り返しで
漫画を書いてる。





最初にも述べたが、
一ヶ月前、
漫画に没頭しすぎて、
漫画に飲まれる感覚があった。

その時私は外にいて、
普通に周りに人が沢山いるのに、
突然、だーっと涙が出てきた。

その時は、
ペンも握ってなかったから、
漫画なんて書いちゃいないし、
別のことを黙々としていた。

では涙が出たのはなぜか、

頭の中で、話を作っていたからだ。

クライマックスシーンでも
なんでもないのに、
そこを想像していて、
どうしようもなく涙が出た。

家族が出てくる
シーンでもなんでもない。


主人公にあまりに自分を
重ねすぎていた。





これはやばい
と思った。





これは美術をする人が、
絵に向き合いすぎて、
絵に飲み込まれるあの感じと一緒だ。

絵の中に入り込みすぎて、

現実に帰ることが
困難になる。


美術業界に
身を置いていると、
こんな人は数多く
目にすることがある。



もう帰ってこれなく
なってしまった人達。

でも楽しそうだし、
いいなぁとも思う。

いや、そんなこと言っても、
苦しそうだったな。





事実を湾曲して
取らえ過ぎた。

現実のしがらみなんて、
全部忘れて、
絵に没頭できるのは、
いいなとも
思うけど、怖いなとも思う。



いろんなものを
手放す覚悟も必要だ。



覚悟なんてないかもな、
夢中になっていたら、

全部それ以外、
指の間からすり抜けて
しまっていたって感じだったな。





まだそれは怖い。





だから、意識的に
離れる時間を取らなきゃいけない。

あっちに行ってしまうのが
怖い。

生きることは
楽しいこともあるけど、
苦しいことがそれを上回る。

これが、10代ならではの
痛々しい肥大化した
自意識なのかは分からない。

10年後に
読み返して
「うう…なんてデジタルタトゥーを残して
くれたんだ…」
ってなる自分がなんとなく見える。

でも、読む人いないようなもんだし、
いいや。

どれだけ、社会不適合者で
あろうとも、
生まれたからには
頑張って、生きるしかない。

時々、好物のモッツァレラチーズつまみながら
生きるしかない。

勿体無いからと、
小さく切り刻んで、
今度は食べた気がしないと
後悔しながらまた
スーパーに買いに行くんだな。

これが2週間に一度の楽しみだ。

結局、楽に生きようとか、
肩の力を抜いて生きようみたいな
本も読んだけどさ、
無理だよね。

そんなもの、
肥大化し尽くした
自意識の前では、
なんの意味もなさない。

ドラゴンの前で
「はい!今日はこの
一本の爪楊枝で戦ってきてくださいね!」

って爪楊枝渡される感じだ。

消し炭にしかならんわい。

10代の頭のままのボンクラに
肩の力を抜いてくださいは、
ほんと意味のないことだ。

結局、いつも自意識としか
向き合って、
生きていないんだもの。


こういう衝動で
描いた時のエッセイは、
絵を入れるってのに
気が回らないもんだから、
後日しれっと絵を追加して
更新しておく。

それか忘れて、そのままコース。以上。

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