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「ただいま!大欝から帰ってきたよ!」

大欝の最中に食事に誘われても、
家の外に出ることが苦痛なので、
どうにもいけない。

どれだけ楽しげに振るまえたとしても
頭の中は「早く帰りたい」でいっぱい。 

食事も味がしないので、
一緒にいるから、
食べているだけでしかない。

「無」をムシャムシャと食らう。

食事をして、コミュニケーションをとって
普通に近づきたい。
ただそれだけのために、
雑音まみれのレストランで飯を食らう。

梅雨が近づくと、
どうにもいかん。
今年は対策が足りなかったのもあって、
いつも以上に気だるく、脳内に
霧がかかった状態が続いた。


短文のツイートすらもできず、
毎日が流れていて、
生活をこなすのに精一杯。

こうなると「かが りねん」の方の
自分はひとまず置いといて、
本名の自分の生活が優先になってくる。

ネガティブになるだけ、どんどんなるので
心身の体力がありえないほど削られる。



この状態の時の精神状態は
客観的になれる時間になってからは、大変面白い。

気を紛らわせようと、
テレビをつけてても
「世の中にはこんなにも頑張っている人がいるのに私って」
と落ち込んでしまうし。

アニメを見ていても、
「こんな素晴らしいものを書ける人がいるのに
私ってば寝てばかりでどうしようもない人間だ…」

となるわけだ。

何をするにもひねくれた捉え方しかできなくなる
癖にどうしようもなく寂しい感覚が襲う。

短文のツイートをするにも、
それをツイートするまでに、
みんなの輝かしい日常を目にしなければならないもんだから
まず、Twitterすら開かなくなるわけだ。


この時期だけは、
「人と自分を比べてもしょうがない!」
という意識が全く通用しないので、
ほんとに落ち込むだけ落ち込んで、
底に足がついたら、ハッといつもの状態に浮上していける。

何もしない、
焦燥感と罪悪感を感じても、
何もできない。

休むしかないし、どうにも
行動もできないわけで、
結果的に選択肢は休むしかなくなる。

ありがたいことにコメントが
届いてもどうにもこうにもハートを押すことも、
ましてや、返信なんてできっこないわけだ。

こうなったら、
飲むもの飲んで休むしかない。




でも、今夜はなんか
突然文が描きたくなったので、
久しぶりにnoteに浮上してきた。

やっぱり、私は子供の頃から、
何かを作る事が生活の一部で何かを作っていないと、
罪悪感が湧いてしまう。
これはもうほんと、
どうしようもない事でしかない。

だけど今日は、
なんかそんなんガン無視で書きたくなって、
久しぶりにキーボードを開いた。



今日の晩御飯は久しぶりに
外食をした。

私は気分が乗らないし、
味もしないけど、
彼女が一方的にずっと話している姿を見ていると、
なんだか気が抜けた。

私は特に話したいこともないので、
のんびりと食事で口紅が取れかけている
彼女の唇を眺めながらお茶を飲む。

「もう、お腹パンパンだ〜…」
と言いながらもスッと
メニュー表を手に取る彼女の姿が
なんか逞しくて、朗らかで、とても印象的で、
なんかすごく良かった。



おかえり、全てのかがりねん〜

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