「紙の中で踊っていたい」

私は高校1年生の時に
ドイツの女子高生と文通を始めた。

きっかけは
学校内での姉妹校同士の文通企画。
(学校同士の初めての企画で、
候補者はほぼ皆無状態だった)

「なんかおもろそーやん〜」

といつもの軽いノリで
何も考えず、即立候補。

そして
私たちは文通相手として出会った。

彼女をここではエマと呼ぶ。

エマは、私に日本語と時々ドイツ語で手紙を書き、
私はエマに英語と簡単なドイツ語で返事をした。

英語もドイツ語も
完璧には程遠い私は、
辞書片手に翻訳しながら
手紙を読んで、
返事を書く。

メールではなく、
紙の文通だ。

送るのに時間も
手間もかかる。

それでも今思うと、
とっても素敵なことを
していたんだな…と思う。




エマは、手紙のデザインから
凝っている女の子で、
いつもラメが煌めく手紙をドイツから
送ってくれた。

季節のよって手紙の柄も
シールの模様も変えられていて、
あんなに季節を感じる手紙を
貰ったのは人生で初めてだったのかもしれない。

エマとは、あたり障のない日本の話、
お互いの学校の話をしていた。

お互い学生生活も忙しかったし、
お互いが出したいタイミングで、手紙を送り合う。





お互いが高校を卒業するタイミングで、
文通はパッタリ途絶えてしまったけど、

彼女の手紙のデザインのチョイスは
いつも最高だったなぁと今でも思う。

あの時から、
デザイン大国のドイツの手紙に
触れられていたのは、
本当に貴重な経験だった。

クリスマスカードを
当たり前のように手紙に添える
文化も新鮮だったし、

手紙に栞を挟んで
プレゼントするなんて
当時は、

「やった〜!嬉しいな〜!」
としか思ってなかったんだけど、

今思い返すと、なんて粋なことを
エマはしてくれてたんだろうと
しみじみ思う。


今更、
もしかして手紙に栞を
挟むのには、
何か理由があったのか!?

と調べてみたけど
特に意味はないみたい。

無礼なことは、
していないみたいで、少しホッとした。


でもこのエピソードからも
話が作れるよね。

こうやって、
私は人との繋がりの中で、
ぽんっと
何かを生み出す。

エマとは、
一度も会ったことは無い。

紙の世界だけの関係。

紙だけの世界で過ごしていたけど、
今や私もインターネットの世界の住人だ。

ここにはいろんな物が溢れていて、

時間によって何が正解なのか
すり替わるし、
そもそもは正解なんてない。

ここは波の中みたいだ。



でも、エマとは
特に会いたいという衝動は
湧かない。

エマもそう思っている感じだったし、
もう忘れているかもしれない。

でも、そんくらいで
十分なんだなぁ。


それに、
紙の中だけの関係の人は、
今ではとても貴重な人だから、

紙の世界の思い出であってほしいんだな。



エマは、今でも私の中では
色鉛筆で描かれたような
童話のキャラクターの
ような存在。

お互いが、
紙の世界だけで繋がるってのは、
もう今はほぼないよね。

ないからこそ、
色鉛筆の幻想を描いて、

エマを紙の中に
閉じ込めておきたいんだと思う。




手紙の中の頃の私には、
私はもう戻れないから、

記憶の中のエマは、
その分、標本のように大切に
したい。

それは清々しいほどの
エゴでしかない。

記憶の中の美化は
とっても心地がいいよね。

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