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【識者の眼】「医師のあり方を高松凌雲に見る」草場鉄周

草場鉄周 (日本プライマリ・ケア連合学会理事長、医療法人北海道家庭医療学センター理事長)
Web医事新報登録日: 2021-10-25

「夜明けの雷鳴 医師高松凌雲」という吉村昭の歴史小説がある。中学時代は歴史家になりたかったし、今でも歴史に強い関心があるが、不覚にも自分の故郷出身の医師の事績に疎かった。高松凌雲は現在の福岡県小郡市出身の医師であり、その顕彰碑が私の実家の近くにあることだけは知っていた。

1836年に生まれた高松は九州を出て江戸で蘭学を学び、とある縁で一橋家に仕官。慶喜が徳川宗家を第15代将軍として継承するにあたり、幕府の奥医師として立身を遂げる。さらに、慶喜の弟昭武のヨーロッパ留学に付き従い、パリで「神の宿」と言われるいわゆる貧窮者向けの病院で西洋医学を学び実践する機会を得た。しかし、留学中に鳥羽・伏見の戦いにより徳川家が朝敵とされ崩壊することとなり、急遽帰国。歴代の幕臣でもないが、幕府から受けた恩義に報いるため、仙台、さらには箱館へと榎本艦隊と共に向かい、いわゆる箱館戦争に医師として従軍した。その際に開設した戦傷者のための箱館病院は、敵味方双方に差別無く医療を提供し、政治情勢に左右されず病む人を全力で救うという医師のあり方を行動で示した。

箱館戦争後は東京に戻り、罪が許された後は官に使えることなく一人の開業医として診療にあたることとなるが、パリでの経験から経済的に困窮した市民に対して低額あるいは無償で医療を提供するために同愛社を創設。かつての同輩である渋沢栄一や共に戦った榎本武揚などの寄付や支援を得ながら、亡くなるまで会の発展と医療提供に力を尽くした。

COVID-19の診療やワクチンを充実するために国や自治体は医療機関への報酬を上げる政策を展開してきた。高松凌雲の生き様を見ると、150年を経て医師の行動原理は大きく変質したことを痛感する。もし、変質していないのであれば、政府からの申し出は「不要」と断ったはずである。「こうした危機の時こそ我々医療者は無私の精神で取り組みます」と。悲しい現実である。

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