叔母夫婦がヤバすぎる件 完結編

まだ続くのか。。と自分でも思う。

これでやっと完結(だと思いたい)である。

相続の際、伯母夫婦が祖父母の土地と建物を継承すると言い出した(それを計画していたこともあり、母には3割しか相続させなかったのだろう)。母に土地と建物の評価額の3割相当を支払い、自分たちが全てもらう と言う内容である。祖父が生前、自分たちが継いできた土地を他人に売り払われることを嫌がっていた(叔母夫婦に住み続けてもらいたいと望んでいたとは思えなかったが)し、どのみち3割の権利を持っていても、母の入院費にもならず共同で住むわけにもいかないので、その主張には同意することにした。

評価額は路線価などの公式な指標を用いて算出することとした。評価額をもとに叔母夫婦が提示してきた額には特に異論は唱えなかった(とにかく早く縁を切りたかったし、母は争うことを望まないだろうと思った)。3割といえど割とまとまった額になる。叔母夫婦が伯母夫婦に果たして支払えるのだろうか?と思っていたところ、やはり支払えなかった。そこで今度は、売って金にしたい と言い出した(母が相続した資産を後見人が代理で色々やることは相続をはるかに超えて大変で、叔母夫婦が主張をコロコロ変えるたびに家庭裁判所との確認や調整などの作業が発生し、当時0歳児を育児中の私にはかなり骨が折れることであることであるなどもちろん爪の先ほども考えていない)。

再三申し上げているように、祖父母の土地に全て祖父母に支払わせて建てさせた家である(おまけに約束した家賃さえ踏み倒して住んでいた時点で祖父母に損害を与えているし、それによって減った祖父母の資産についてはもみ消した上で、叔母7:母3と言う理解不能な遺言を書かせていたことへの怒りが再燃)。そもそもあなた方になんの権利があるのだろうかと問いたくなる気持ちを抑えつつ、他人に売り払われるという祖父が嫌がっていたことがまた1つ叔母夫婦によって実行されるのかと思うと、祖父母が可哀想だった。

そこで、私(夫婦)が逆に買い取るのはどうだろうかと思い至った。夫とも相談し、叔母夫婦に打診することにした。叔母夫婦と全く同じ手法にて金額を算出し提示したところ、なんと言われたか。

「何でその金額になる(安い)のか?」と言われ、仕方なく根拠を説明した(知っているはずだが)ところ、「他人に売ったほうが高く売れる(お前たちに売ったら自分たちに入る金額が減る)」と言われたのである。前回、叔母夫婦が買い取ると言って提示してきた金額にはこちらは文句を言わなかったのに、全く同じ方法で算出した金額には文句がついたのである。そもそも7割という理不尽で根拠薄弱な割合を、(母が争いを望まないだろうと思って)恩を仇で返された母を思いながら断腸の想いで受け入れているのに、その上に一円一銭でも自分たちが多く手に入れようとするその神経を疑わざるを得ない。しかも買取ると言っているのは叔母夫婦からすれば姪である。とりもなおさず、姪っ子に一円一銭でも多く支払わせようということである。

今までやりたい放題され、散々理不尽な条件を飲んできたが、さすがにこれ以上黙っていることは出来なかった。不動産の仲介業者などに入ってもらい(叔母夫婦は自分たちの知り合いだか叔父側の親戚だかの謎の不動産業者に仲介手数料を得てもらいたいためにそこを使えと言ってきたが、もちろん従わなかった。そんなところにまでお金に執着するあたりがさすがである)、売買の手順に従ってことを進めた。結局叔母夫婦は、自分たちはその謎の業者に仲介してもらうからお前たちが用意した業者には料金は支払わない と最後まで主張し、たった1度現れた契約の席に座らせただけで謎の業者が仲介したと言い張った。それ以外の全ての手続きや手順の進行などは我々が依頼した仲介業者にやってもらい、売買契約の説明を受けている最中、その謎の業者は「へー」とか「そうなんですかー」とか言っていた。

ちなみに、売買が成立し、元々の住人である叔母夫婦が退去すべき日になっても、彼らは退去しなかった。「次に住むところが見つかっていないから」だそうだ。どこまでもイカれている。仕方なく彼らが住んでいない1階部分からリフォームに入ったところ、音がうるさいだの作業時間が長すぎるだのと文句を言い続けた。退去に猶予を与えてもらうだけでは不足で、自分たちが出て行くその日までは自分たちの家であると勘違いしている(通常、訴えられたら100%負ける案件であるとは微塵も思っていない)ようだった。

結局、売買契約成立(本来退去すべき日)から1ヶ月以上(!)たってからようやく退去した。このまま退去しないのではないかと本気で心配したほどだった。どこに引っ越したのかは知らないし知ろうとも思わないしむしろ知りたくもないが、先日家の近くで彼らの車を見かけて、もうお金が底をついて無心(もしくは嫌がらせか、何かの脅迫か)に来たのではないかと戦々恐々としたことは記憶に新しい。なぜ近くをうろついているのだろうかと、去った後もなお恐怖である。もちろん鍵はすべて入れ替え、防犯カメラも設置したが、更なる対策が必要かもしれない。もはや存在がトラウマである。

私は強く信じていることがある。努力した者や正義が報われ、その逆は程度に応じて正される というものである。

必ず誰かが見ている。

世界があるべきように、なるべきように存在しますように。

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