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変われない、

19歳のとき、出会って1週間の人と付き合うことになった。理由は向こうがわかりやすく私のことが好きだったから。

その人はその1ヶ月後に関西から私のいる北海道に引っ越してきた。

その日にアパートを借りた。19と20歳なのに特に審査もなく、すぐ鍵をもらえた。線路のすぐ横の、2人にしては少し広い間取り。冬だったので広いとストーブひとつでは足りない。布団に入っても寒くて、やっと寝付いても朝起きる時顔が冷たかった。電車が走る音がして身を隠す。まだカーテンすら無い。

うまれてはじめてカップラーメンをつくった。作り方を知らなくて順番を間違えてしまったラーメンはぜんぜん美味しくなかった。

私は料理は実家でよくしていて、特に父を亡くしてから痩せる一方の母のために毎夕食凝ったものをつくっていた。その中にカップラーメンという選択はなかったので作ったことがなかった。今もほとんど食べない。

新しい生活(ふたつ家を持つくらいに考えていた)は、知らない人と暮らす、という面白さはあったが広い家に対しての私の持ち分がわからず戸惑いが多かった。

わたし、という存在が今まででいちばん薄まっていたように思う。

でもこの人はそういう私のことがとても好き、というのもなんだかこわかった。好きといわれても、私はこのわたしは好きじゃない。

そもそも私は自分のことがあまり好きではないゆえにせめてな気持ちで外見を磨いたりきちんとした人間感を出すように努めているので、そういった人は誰かを好きになるということが難しい。

いまだに他人を好きになる、愛する、というのがとても難しい。セックスのほうがよほどわかりやすくていい。

料理が好きな癖に調理道具を買うのを拒んだ。小さいフライパン一枚、包丁とまな板。電気ポット。以上。

冷蔵庫は、必要な分だけ買ってきたら良いから、と言って暖かくなるまで凌いだ。

とにかくものを増やすのがこわかった。

生活がいやだった。まだ19歳。学校にも通っていたし、実家にも帰りたいし、そのくせ好きにはなれなくとも愛されたい。


それから20年。家も買い家具も揃っている。私の居場所もある。まだ夫は私のことが好きだと思う。

今も生活はいやだ。まだ自分のこともいやで他人の方がよっぽど信用できて、その筆頭が夫なので一緒にいる。 

今はだいぶ私は濃くなった。濃くて自分でも持て余す。薄くても辛くて濃くても寂しい。

こんな歳になってもまだ苦しんでるなんてみっともないから、ますます私は外面に磨きをかける。そうやって生きてます。



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