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彼女を待ちつづけるあいだに

10年間服を売る仕事をしていた

服がとにかく好きだということもあるが、かわいい・きれいな人を大っぴらに賛美できるというのがよかった

美しい人が好きだが、通りすがりに褒めたりはできない(少なくても日本では)

だがこの仕事だとそれをしても良いのだ

もちろん思ってもないことは言わないが、「こうしたら」美しくなる、きれいに見える、ということを提案することはできる

お客様が迷ったとき、私なら即答できた

それは商品を見る順番や触ったもの、眺めている時間の差、現在身につけている服や小物、メイクや髪色などなど、ヒントがたくさん有るなかで総合的に客観的意見をはっきり伝えることができるからだ

すべて褒めることが不信感につながる場合がほとんどだということをわかってはいるのだろうが、なかなかできる人は少ない。


その人は、隣のお店の顧客だった。

3年くらいは一度も私のお店に入ってくることはなかった

髪型もメイクもベーシックだけどきちんと手をかけている。背筋が伸びていて、普通のパンツスーツなのに、ものすごく高価なものに見える。

毎日お店の前を通るので、毎日見ていた

今日はこのコートを着ている、新しいバッグ、こういう色の服が多い、シルエットはタイトの方が好みだ、とか、お客様でもないのに知っていた

なにしろ話すタイミングがないので、その熱量はどうしようもない。


ある日うちのお店のパンプスが気になってはじめて入店してくれた

だが、そこでいきなりその熱量をぶつけることはできない。

私はその時はあえて抑えて他のスタッフにまかせた。そしてさりげなく会計を手伝ったときにほんの少しだけ話した。

その人はたまに入店してくれるようになった。

そこで私は3年分の知識を活かし提案をしていった。美しい人なのでほぼ何でも似合うのだが、合わせたときの表情で違うというのがわかるので、その時は遠慮なく違いますね、という。

その人は私のことが好きになった

毎日来て毎日買う。買うものがなくなるくらい買う。コート全色、トップス全色、私が持っているもの、新作を開けたそばから買ってくれた。

しまいには朝駅で会って従業員入り口で別れて、開店したらお店に来て買って着替えて出かけ、私の仕事終わりに迎えに来て飲みに行く

そのくらいまでになってしまった

しればしるほどかわいい人だった

美しすぎて誤解されてしまうけど、中身は子供みたいで無邪気で頑固で寂しがりやで。


10年目の年にお店が撤退することになり、私は全うしたので同じく辞めることにした。悔いがなく気持ちのよい最後だった。お客様ひとりひとりに手紙を書き最後に買いに来てくださった方には手作りのリボンも付けた。ひとつひとつ全部違うリボンをたくさん作ってお客様の雰囲気に合わせた全部違う柄のレターセットで。

最終日は両手に持ちきれないプレゼントを色んなお客様からいただいた。私の好きなお酒や花束、手紙、いろいろ。持って帰るのはとても大変だった。


それから3年ほど経つ。

その人には1回しか会っていない。

年賀状を出したりたまにラインをしたりする。私たちは何となくピークを過ぎてしまったのかもしれない。いまはただ一方的に眺めていただけの日々のように、私は彼女をまっている。

なにしろただ通り過ぎるだけのときからの想いなのだから、数年会わなくても私は変わらない。ずっと待っていられる。


服が擦れてしまうから。といって絶対にバッグを肩に掛けたり腕に掛けたりしない人だった。

体から少し離して持つの。といって歩く姿は本当にうつくしかった。

わたしも真似をして、必ず鞄を体から少し離して持っている。いくら重くても、片手で。颯爽と。

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