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師匠と鯉


師匠が亡くなった

病気治療中だったとはいえ、他人の私にとってそれはやはり、あまりに突然のお別れだった

師匠の自宅兼教室がお稽古場
そこで私は書道を教えていただいていた

決して広くはない中庭の、その面積の半分近くを池が占め、いつも十数匹の鯉がキラキラと鱗を輝かせて泳いでいた
お稽古の為に訪れる度、その鯉達を眺めるのが私の密かな楽しみでもあった

師匠は地元では有数の書家であり、有名芸能人のお弟子さんが何人もいたりする、いわゆるカリスマ書道家
私達末端の弟子にとっては正に雲の上の存在で
気軽に話しかけるのも憚られ、教えを請うのにも毎回緊張していた

ある日、池がシートで覆われ、何やら工事が行われていた

鯉が居ない

『鯉に病気が出たのでストレスを軽減するために、池を深く掘り直している』

身内にさえも、とても厳しいと噂の師匠
普段ならお稽古に関係のない話題を自ら振るなど考えられない私だが、どうしても鯉の事が気になって師匠に尋ねると、そう答えが返ってきた

鯉達は師匠にとても大事にされていたのだ
そしてその短い会話によって、師匠と暫し心が通い合ったような気して、嬉しかった                                                                        

どれくらいの深さまで掘り直されたのだろうか?
広さはそのまま変わらぬ池の、以前より暗くなった水の色を見て、水底が遠くなったのがわかる

戻ってきた鯉達も心なしか生き生き泳いでいるように見えた

私にはいわゆる「推しメン」がいた
「推し魚」いや「推し鯉」とでもいうべきか?
赤や黒の模様のある錦鯉のなかに混ざって一匹だけ目立っていた真っ白の鯉

体も他の大きな鯉達に比べて一回り小さく、それがまるで若く美しい王子さまのように見えて、池を覗くときにはいつも真っ先にその「王子」を探した
天気の良い日は白い鱗に光が反射して、正にプラチナの輝き

私の眼に映る王子はいつも宝石よりも美しかった

師匠の突然の訃報を受けて、当然お稽古はお休みになったが、たまにその場所を訪れる際には必ず、吸い寄せられるように池へ行き、王子を探した

数ヵ月後、新体制となり、新しい先生と共に今一度書道に勤しんで行きたいと決意が固まっていた頃
久々のお稽古のために師匠宅を訪れ、習慣で池を覗くと

そこに、池はなかった

一瞬、理解が出来ない

前回のお稽古の際には確かにあった池がない

勿論、鯉もいない

池の形だけを型どった置き石の中身は満杯の砂利に変わっていた


主を失った池

愛情を注ぎ、世話をする人間が居なくなったのだから、それは当然の事なのかもしれない

あまりの事に感情を抑えきれず、興奮気味にお仲間達に話したのだけれど、誰もそこまで池にも鯉に興味はなくて「ふーん」という反応だったのが寂しさを倍増させた

あっけないお別れ

師匠に続き、王子にも最後の挨拶すら出来ぬまま、2度と会えなくなってしまったのだ


鯉達は何処へ行ってしまったのだろうか?

別の愛好家の手にでも渡ったのだと良いが

もしかしたら、前よりも深く  深く掘られたどこかの広いお庭の池で、ストレスを感じる事なく泳いでいるかもしれないなぁ…と
以前より、幸せになった姿を想像することで、まだ少し痛む心を納得させる

私のスマートフォンには、池を映した動画がひとつだけ残っている

そこには王子が泳ぐ姿もあった

今でも動画を見返せば複雑な気持ちにはなるけれど、思い出の中の王子は今日も美しく、確かにそこにキラキラと存在している

今、池があった場所には敷き詰められた砂利の上に、蛙を模した置物が鎮座している
見慣れるとそれにすら愛着がわいてくるから不思議なものだ
さすがに陶器の蛙にそこまでの思い入れは出来ないけれど、私は池を訪れる度に声には出さずに語りかけてしまう

今日も元気?   と

そしてその向こうに感じる、2度と会えなくなった愛する者達に想いを馳せる

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