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仕事をやめたいときに考えること(1)

1年やって、また1年。
社会に出て仕事を始めたときの最初の1年はとても新鮮だった。
2年目、少し力のついた自分に自信をつけ、更なる精進を重ねた。
3年目、任された重荷に押し潰されそうになりながら、自分を精一杯鼓舞した。
何年目からだろう。ある程度惰性になってきたのは。。。

長く仕事をしているとそんなことを考えます。

自分の成長曲線が鈍化していくことを怖れて必死に自分を引き上げようとしても、やはり限界点というものは感じてしまいます。昔は「限界点なんて考える方が悪い」と強気な考えを持ってましたが、時間が経つにつれ「限界を認識した方が得策」と感じるようになりました。

「もう限界点だからやめておこう」ではなく、限界点を認識せずに「限界点なんて作る方が悪い」と考えることがよくないということに気づいたわけです。

自分の限界点を知ることで、そこからどう這い上がればいいか?を考えることができる。まずそれを知らないと何もできない。そして考えたこと実行したら限界点を少しだけ上げることができる。

「自分で限界点を作るな」という誰かの教えは、裏を返せば「自分の限界点を知れ」ということなのだと、今になって思います。

仕事についても同じ。
やめたくなったときに考えたこと。

自分の仕事に対する認識を掘り下げる

やめたいと思うのは感情の一つ。
その感情を持った理由は自分にとっては正当なのものなので尊重する(しないとしんどくなる)。
そしてどういう経緯でその感情に至ったか?はしっかり自問自答する(しないと判断がぶれる)。

そうしてるうちに「仕事が自分に合う・合わない」の観点がどこかで必ず出てくる。
それが出た時「合う・合わない」を掘り下げていくと堂々巡りの思考になってしまうので、そういう時は「合う・合わない」ではなく、「合わせるか・合わせないか」と考える。

合わせると決めれば自分を変えていけばいいし、合わせないと決めれば退けばよい。
正解は自分が選択した道となり、自分の選択した道を正解とする。

選択したことに後悔するのではなく、選択した結果を正解にする方法を考える。
おそらく先人の人達が言われる言葉と被りますね。。。

オリジナリティがある言葉を見つけたいとは思いますが、たとえ先人たちと考え方が同じだったとしても「あ~自分で考えたけど○○と同じだったか、残念」と感じることは、合わせない選択ですね。

そうではなく「自分で考えたものが○○と同じだった!ということは、○○と同じ考えを自分で考え出せた。すげ~!」と考える方が、合わせる選択です。

仕事をやめたいと思った時の「自分を合わせる選択」。これとても有効だと思います。


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