「ごんぎつね」を考える① 〜〈うちの中を見ると〉〈くりをかためて置く〉について〜
おはようございます。
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今日の記事は、みなさんのおそらく誰もが小学校の国語(4年生)の教科書で読んだことがあるであろう、「ごんぎつね」の教材研究として、第六の一つの場面の解釈について、勉強したことをまとめようと思います。
【参考書籍】
「ごんぎつね」の〈解釈〉と〈分析〉(鶴田清司・明治図書)
1.「うちの中を見ると」について
ごんと兵十の間の心の断絶が、事件となって現れる第六場面。特にこの二文に、核となる部分が集約されていると思います。
様々な理解を促す質問を先生方考えられると思うのですが、みなさんはいかがですか?
まず、「うちの中を見ると」についてです。
この2つを児童に確認できたらと思っています。
ここは、いよいよごんを撃った兵十が、ごんの元にかけよってくる場面なのですが、真っ先に確認したのが、「うちの中」なのです。
自分で仕留めたごんよりも、うちの中にまず行く目。「またいたずらされていないかな。大丈夫かな。」そんな気持ちだったのかもしれません。
ここまでの流れで、ごんを「盗っ人狐」として見ていた兵十なので、いわば当たり前なのですが、改めて子どもたちに問うて、『二者の隔たり』を確認させたいと思いました。
2.「くりが固めて置いてある」について
この描写については、多くの先生が取り上げるのではないか?と思います。(私自身「ごんぎつね」の実践が初めてなのでまだまだ不勉強なのですが…)ごんのこの動作に込められた気持ちについてどう解釈するかです。
大人になり改めて読んだ今、そこらに投げ出したりせず固めて置く様子に、ごんへの大きな償いの想いや心遣いが見えます。1.で示した兵十との対比をよくして、この場面への理解を深めさせたい、そう思います。
この場面の解釈からとしては余談になりますが、読んだ図書の中で、面白い解釈・視点が挙げらていたので最後に紹介します。
兵十への償いとして、本当に喜んで欲しいと思ってここまでしたのかもしれませんね。運んでくる場面を想像すると、なんか微笑ましいです。
いかがでしたでしょうか。
久々に「ごんぎつね」なんて聞いたよ!懐かしい!という方、みなさんはどのような読みをしていましたか?
これまで何度も実践してきた先生方から、この六の場面でどのような発問・指導をするかぜひアドバイス頂けたら嬉しいです。コメントお待ちしています♪
今回もお読み頂き、ありがとうございました😊
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