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嫌われる勇気????

お疲れさまです。リブレです。

嫌われる勇気を読みました。

嫌われる勇気って何?

これが第一印象。

本を多少読んだことがある方なら、思いますよね

「どーせよく言われる、他人の目を気にするな。嫌われることを恐れるな。的なとこでしょ?」

そんなん言われても無理じゃないですか。無意識レベルで僕たちは嫌われたくないと思ってるわけで、それを何十年と積み重ねてきたわけですから。

でもね。この本は、「嫌われる勇気」という結論に納得せざるを得ない言い回しや、主張で、なんか知らんけど腑に落ちてしまう。そんな本です。

ですから、嫌われる勇気を持つことからはじめるのではなく、それに至るまでの考え方を知ってほしい。身につけてほしい、そして、最終的には嫌われる勇気をもって人生を豊かにしてほしい。それがこの本の目的なような気がします。

それでは行きましょう


原因なんて無いよ。


はい、きました

まず、衝撃的な考えはこれです、

原因と結果ってのを信じてきましたよね。いろーんな本に書かれる、「すべての結果には必ず原因がある」てきなやつ

でもアドラー心理学ではそれを真っ向から否定します。
どう否定するか?

その原因、自分がそう捉えてるだけだよね。

意味不明・・・

でもこれ、しっくりきちゃったんです。(あくまでぼくは)

簡単な例を出します

宿題をしない学生がいるとします

でもその子は、自分の実力よりも上の学校にいきたい
もちろん、そのために宿題をしなくちゃいけない。

でも何度宿題の必要性をわからせても、してこない

その子はどんな言い訳をしそうですか?

「時間がなかった。宿題どこかわからんかった。宿題のプリントなくした」
まぁ、そんなとこでしょう。でね、これを原因だと思ってるんです、ほとんどの人は。

でも、本気で上目指してるやつ、こんなこといいます?
100%言いません。忙しくても時間見つけてやるし、どこかわからなければ先生にきくし、なくしたらもう一回もらえばいい。

簡単なことです。

でもやらない。起こってる事象は同じ。でもやらない。

なぜか。

目的が違うから

これです。

じゃあ、宿題やらない学生の目的って何?そうなりますよね。確かに、この学校に行きたいって思ってるのはほんとだと思うんですよ。

だけど、やらないのは、変わらないって決断しちゃってるんですよ。
だけど、変わろうとしてまっせって周りにしってほしい。

それが目的だったりします。

耳が痛い人もいるかも知れません。

だけど大半がそう。

さらにアドラーは暴論をぶっ放します。

病気になる人も同じ・・・

学生が、宿題をやらなくて、熱を出してしまった
この場合も、アドラー的に言えば、やりたくないという目的から熱を引き起こした。そしたらやらずに済む。

こう言うんですよね。

偶然でしょってあるかもしれませんが、まあまああると思います。

だって皆さんの周りにも、やたら休む人、いません?
まじで病気なのでしょうけど、あまりにも多い・・・って人いますよね。

でも、プロフェッショナルの人って全然休まないんですよ。
もちろん体調管理もありますが、目的があり、それを果たすためには体調崩すわけにはいかないよねって脳が認識しているのかなって思います。

まとめると、起こっている事象が同じでも捉え方によって変わる。目的が先にあり。

じゃあ次

すべての悩みは対人関係の悩み。

おもしろいですね。みんなそれぞれ悩みがあると思うんですが、それってすべて対人関係の悩みであるとアドラーは主張します。

深堀りしていきましょう。

皆さん、悩みありますか?

それに他者は関わってますか?

直接的でなくても、、きっと関わっていますよね?

そうなんです。個人だけで完結する悩みは存在せず、どんな悩みでも他者の影が介在しているはずです。

これをアドラーが提唱しています。

しかもこれって避けられないんですよね。だって一人で生きてる人なんていないから。
あなた、今日ご飯たべました?
そのご飯自分でつくりましたか?
素材からすべて自分でつくりました?

きっと違いますよね。

そう。この世界に生まれた限り、一人で生きることは有り得ず、他者が関わることがこの世界にログインした時点で確定しているんですよね。

他者が存在する=悩みは避けられない

そして、この避けられない悩みのことを人生のタスクといいます。
言い換えると、直面せざるを得ない対人関係。

そして、これを乗り越えることができると以下の目標が達成できるといいます。

1つ目、自立すること
2つ目、社会と調和すること

これらは行動面

その行動面を支える心理面の目標として

1つ目、自分に能力があるという意識
2つ目、人々は自分の仲間であるという意識

なんか究極の目標っぽいですよね。

人生のタスクについては多く触れませんが、簡単に言うと人間関係です。笑
特に利害関係のない人間関係。それらを乗り越えれば、これらを達成できます。逆にタスクから逃れようとすれば、以上が満たされません。

でも知りたいのは、これらをどうやって乗り越えるか。ですよね。

僕らがこの世界に存在する限り、他者との関わりを避けられない=対人関係の悩みに直面する。

これらのタスクを乗り越えるには、

答えがあります。

それは至ってシンプル。

勇気

ここで初めて勇気です。

過去のトラウマ(原因)に引っ張られるほど、人間は情弱ではない。
目的を持ち、勇気を持てば、必ず乗り越えられる。

納得せざるを得ないですね。

どれだけ、知識や確信があったとしても、最終的には
行動する勇気、決断する勇気、
あらゆる勇気がなければ何も始まりません。

なんか体系的でない感じがしますが、だからこそ本質的な印象を受けます。

次章、自由についてです。

本当の自由??

皆さんにとって自由っってなんですか?

僕個人の自由の定義はこうです。

好きなときに好きな場所で好きなことができる

これがMy定義です。

これを自由って定義するってことはこれに縛られてんのかなって書きながら思いました。笑

まあ、各々あると思います。

アドラー的にいう自由はこうです。

自由とは、他者から嫌われることである。

ほほう

なるほどね(意味不明)

整理します

人がこの世界に存在する以上、対人関係は常に存在する。

→僕らが抱える悩みはすべて対人関係の悩みである

→対人関係の悩みを乗り越え、他者から嫌われることを恐れるな。

=嫌われることが最大の自由

こんな感じ。

すこしわかりにくいですね。

逆に他人に嫌われないように振る舞うとどうなるか
それは、他者の期待に答えるだけの人生になります。
そうすると自分が見えなくなります。

自由を言い換えると、自分の人生を貫くこと
これのがしっくりきますね。

この定義からもわかるようにアドラーは他者と自分を強く意識しています。それはおそらく誰もが抱える問題(悩み)だから。

お金とか名誉とかの問題ではなく、すべては自分がどうあるか。
自分の人生をどう生きるか。

そして重要なのは、この自由をどうやって掴むか。
ここで自由への入り口が紹介されます。

この考え方、参考になると思います。

課題の分離


これはつまり、自分と他者との課題を分離して考えること。

例えば、部下と上司がいたとします。

部下は自分なりの努力で満足のいく結果を得られたとしましょう。

そして、上司は部下に評価をします。

ところが上司からの評価は良くないものでした。

上司から悪い評価を受けたら嫌ですよね

ここで、くそーーーっておもわないでください。

課題を分離しましょう。

ここで上司がどう評価するかは上司の課題であり、あなた(部下)の課題ではありません。

良い評価だろうが、悪い評価だろうが、気にしない。
自分は自分の課題をクリアできたわけですから。

上司の期待に応えるのが仕事ではない。
それこそ他者の人生を生きることになります。

これが課題の分離です。

これを意識するだけでもかなりの悩みがシンプルになります。

で、ここで明確にしてほしいのは

これ、誰の課題??ってことです。

親と子がいるとします。

親は言います。
「勉強しなさい」

子供は言います。
「やらん!!」と。

ここでの問題は、「子供が勉強しない。」
え?これだれの課題?親?

分かれるところですね。

そういうときはこう考えてください。

その選択によってもたらされる結末は、最終的に誰が引き受けるのか。

勉強しない、という選択をしたのは、子供。

この選択をして、親が最終的に結末を引き受けますか?

受けませんよね。

勉強してに身につくはずだった教養や知識、問題解決能力を放棄したその責任を背負うのは自分です。

ですから、誰の課題かわからなくなったら、この問いかけをしましょう。

その選択によってもたらされる結末は、最終的に誰が引き受けるのか。


対人関係の極み

対人関係の悩みの突破口として、課題の分離がありました。
じゃあ、対人関係のゴールは?

共同体感覚。

難しそうですが、割とそのままです。

他者が仲間である、という感覚です。
ここでの他者は人だけでなく、自然、宇宙、すべての動植物、そして過去や未来まで。すべてです。

ただこれは、到達できない理想と述べられているため、あくまで理想だと考えてください。

なんかこれ似たようなことがあったような・・・

2章で述べた行動面の目標、覚えてますか?
これです。

社会と調和すること

これにつながるんですね。

自己中なやつっていますよね。

あれは共同体という感覚とは程遠く、自己にしか関心がないタイプです。

でも、自己にしか関心がない人って、やっぱりその人のまわりから人は遠ざかります。

それはそれで、その人の課題です。(by課題の分離)

話を戻すと、対人関係の究極の目標はみんな一つの共同体である。と認識すること。そして、共同体の一部として、その役割を担うこと。
そこで、自己の価値を感じることができると。

でもそれって、他者の人生を生きることになるんじゃね?

違います。

自己の価値ってのは、生きているだけでも、存在するだけでも価値はあります。みんな気づいていないだけ。

あなたが死んで、悲しむ人はいますか?

きっといますって応えるでしょう。

つまり、あなたの存在を有難がっている人がいるってことです。

でも、死というのは考えづらいですよね。

じゃあこうしましょう。

ありがとう  と人に伝えるようにしましょう。
そうすると相手は自身の価値を感じることができます。そしてあなたは感謝を伝える事により、相手に(価値を感じさせるという)価値を与えた。

こんなことからでいいんです。
大事なのは返報を求めない。

見返りを求めるのはちがう。見返りを与えるかどうかは他者の課題です。

いいですね。ここまでシンプルに割り切れるとスッキリ。

共同体感覚とは、自分はここにいてもいいんだ、という感覚。

誰からも必要とされない人生ってどう考えたってきつい。

そんなこと思ったこと無い、というあなたは幸せものですが、気づけてないんじゃないですか。自分の価値に。

与えられてることを自覚し、何をあたえられるかを意識してみましょう。


「いま、ここに」を強烈に意識せよ。


これで最後にします。

この本に書かれる最大のパワーワード

いま、ここに

ホリエモンがよく言うあれです。

今を生きろ

これなんです。

ぶっちゃけこれを理解できる人は数人だとおもう

よくわかんねーもん

いやわかってる気がするけど、たぶん20%くらい

この結論にたどり着く脳にはなってない、っていうのかな

アドラーは言います。

人はいま、この瞬間から幸せになることができる。


幸せは自分で決めることができる。

自分で選べる。

幸せな自分かそうでないか。

選べますよね。

選べるんだったら、幸せを選ぶに決まってる。

これだけの話だと思うんです。

すべては自分次第。そうこの瞬間から。

突然ですが、みんな目標ってありますか。
目標って今この時点で達成されてないですよね

今を生きるって、未来を見るなってことではないです。

むかう方向だけきめて、あとは「今」という連続を真剣に生きろ。

簡潔にまとめるとこんな感じです。

目標だけたてて、やらないのは、「今」というこの瞬間に真剣ではないから

未来というのは、ただ「今」というものを連続したもの。

だから、今に真剣にならないと、人生に真剣になれない

僕たちに与えられてるのは「いま、ここ」なんです。


以上!!


もし、アドラーの考えに共感したのなら、本書を読んで見てください。
対話形式で書かれていて、納得させられます。

そして、この考えを身につけたかったら、自分の年齢の半分の年数がかかるとおもっていてください、と書かれています。

では!































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