見出し画像

キチッと道具を揃えておくと、文章がスッと出ることが多い。

それは「セッティング」と言っても良くて、普段遣いのモノをきちんと選んで、それらがトリガーとなって、私の発想力は無理なく出力できるようになる。

「全部ある」と思えることが、重要なのではないかと思っている。今必要なものは、全てこの手の内にあるという認識が、書くことにおける懸念事項を消して、出力することに躊躇いを無くするのだ。

ペンと手帳だけで十分の時もあれば、それらに加えて(何かしらの)新書の本や、大量のペンの入るペンケース、ワイヤレスイヤホン、スマホと、デスクやテーブルの上に置かれるものは、時によって代わる代わる変化するのだが、その時々のベストコンディションとしてのセッティングとなることが書くことをスムーズにする。

普段遣い、使い慣れている、といった言葉がキーワードとなる。選び抜いたそれらだからこそ、その機能のお陰で出力することも自然体となるのだ。自分の手に馴染む、意識的に使う喜びをもたらすというモノだから、私は文章行為を純粋に行うことができるのである。

ただこれらは、アイデアを外でぽつぽつと書き留める場合についてである。そうでない場合、つまりは大概の場合はノートPCの外付キーボードか、ポメラを使って、手書きではとても書ききれない程の文量を打ち込み続ける。そうして思考した跡が、文章と化するのである。

アナログな方法としてペンを使うことがあるのは、それが「制限」になるからである。ある制限下にあるような状況の方がアイデアが出るという言説があるが、それは私にも当てはまることがあって、それを意図的に行いたい場合は、文房具を持ち、外に出る。いつものように大量に文章を書くことができないが故に、書くことは自然と厳選することになる。「どうしても書きたいこと」を自分自身で理解するために、そうした状況下に置かれることは、有意義であったりするのである。そうした時に使う道具に目を向けると、機能、又は機能することを超えて、「使い慣れている」ということが如何に重要かということに気が付くのである。

使うもの、持つもの「全部」に自分の感性を行き渡らせたいという思いがある。そこに誰かからの、借り物の何かや、誰かの意見でしかないものが混ざると、途端に私は表現しようとする意識が滞る。例えば執筆部屋に好きでもなんでもないものを置く羽目になると、それが気になって気になって仕方がないという状況に陥る。そうしたことが起こらない為にも、目に付く場所全てに自分の感覚を行き渡らせておくことによって、そこは「自分でしか無い場所」となる。そうして初めて、自己表現へと行き着くのである。そして、その場所で自己の何かしらを満足しているからこそ、書くことは、自己の表現に終わることに完結しない様になる。自己満足は環境が成しているので、書くことには、それを満たす必要がないという訳だ。つまりは、そこでやっと「他者」への接続点が登場するという訳である。

自己の欲求を充足してこそ、それらが準備段階となって、他者への発言が可能になると思っている。そこには趣味嗜好の発露は必要ない。私が発することが、客観的に見て、という判断基準を受けるに値するようになるには、こうした準備段階が必要なのである。例え自分の事を語っているようにしか見えない場合でも、そこには他者に接続する為の何かしらの接点、共有点が内包されていなければ、意味はない。

自己満足という性質を軽視している訳では勿論ない。それをむしろ重要視しているからこそ、それに意義を重く置くことで、逆説的に、その発露を軽率にしないことになるのだ。普段への満足が本当であるがこそ、生活の欲求をきちんと満たしているからこそ、私の書くことは、不平不満の書き連ねにならない。発表、発現、発することに、そうしたことは意味が皆無であるというのが、持論である。それが口だけにならない為にも、書くための準備というものは道具や環境を揃えることだけではなく意識的な状態も加味されるのである。

書くことに客観性を帯びることは、(当然ながら)自己喪失を意味するのではない。どうしても、私が書いたという自己の痕跡は残る。筆跡の様なものだ。それがあったとしても、それ一辺倒にならずに書けるということが、自己超克というか、自分語りという内輪に終わることを起こさせないのだ。深い思索に沈んでいくと、むしろ意識は高まり、そこには自己に終わることではない、他者にも通用する要素が浮かんでくる。それをきっちりとキャッチして、発信していくことが、(私にとっては)文章表現となる。

強い共感を覚えることを書きたいと思うこともあれば、自分の視点が最大限に活かされていることを書きたいと思うこともある。そのどれもが本当であるには、本当の満足を得ておく必要があるのだ。そこから、本質的な何かを引き出せるようになる時、私の執筆行為は、本当の、本来の意味となる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?