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「愛」と「金」は別物。

「愛があればお金なんて要らない」

このようなひと昔前のメロドラマのような考えを持った人は
このご時世どの位いるのだろうか。

愛は盲目という言葉があるように
こんな幻想は早くに捨てた方がいい
と、私自身は世の中に啓蒙したい。


私は地方出身で
父親がサラリーマン、母親も地方企業の会社員という
ごくごく普通の一般家庭で育った。

ただ今考えてみると
父親が大手企業勤めだったことや
売れっ子営業マンでそこそこ職位もあったので
まわりと比べると裕福だったのかもしれない。

幼い頃からピアノ、水泳、英会話と
その当時としてはかなり多くの習い事をさせてもらっていたし
欲しいものは懇願すれば大体は手に入った。

周囲は社宅や賃貸の家庭も多いなか
立地のいい戸建てに住んでたことも
今でこそだが
地域の中ではヒエラルキーの上位にいたのかもしれない。

そんな何不自由なく育った幼少期や青春期だったが
大学進学と同時に上京してから20代前半の若い頃は
アルバイトをしたり下積みを積んだりと
多少なりとも饑い時期も味わった。

天と地を両方味わったので
余計前者に対する思いや拘りが今日はより強くなっている気がする。

さて私の身の上話はこれまでとして
そろそろ本題に入ろう。

お金がなくても愛があれば乗り越えられるのか?


答えは“No”である。


そんなことはない!貧乏でもうまくやって行ける!!
とどこからかそのような声が聞こえてきそうだが
はっきり言って
お金はあればあるだけ豊かさに繋がるのは勿論
何より心の安定にも繋がることを私は知っているし
多くの人も理解はしているはずだ。

ただ、そこに【愛】というこの世で一番厄介なものが絡んでくると
どうも人間は正しい判断ができなくなってしまう。


また私の話になってしまうが
対照的な二人の話をぜひご紹介したい。

一人は大手広告代理店で働くバリバリのクリエイター
一人は借金まみれの売れない新人ホスト

どちらも私が実際に付き合った男性たちだ。

一目瞭然、後者は全くもってお金がなかった。

前者の彼が毎回万単位の食事代をカードで支払うのに対し
後者の彼は財布を忘れたと私に何度か食事代を全額支払わせた。

また同じように

前者の彼が毎回麻布十番や六本木の隠れ家的お店を選んでくれるのに対し
後者の彼は某ファミレスで久々のデートを済ませたこともあった。

年齢差はあったが勿論私は二人とも好きだった。
しかしやはり後者の彼は愛が冷めるのは早かった。


それはなぜなのか?

経済力=愛までとは行かないものの
一番はお金がないことで【選択肢】の自由が
見事になくなることだと思っている。

まさに私が幼少期に容易く体感したことが
経済力がないということで実現できないのだ。

行きたい場所に行けない
買いたいものが買えない
美味しいものが食べれない

そんな簡単な選択がお金がないという理由で
全て断念せざるを得ない。
それどころか自分がその尻拭いをしなければいけない。

特に女性側はこのような男性と付き合うと一生苦労する。

私は身をもって体験しているし
小さい頃から母親にも

「お金がないと夫婦関係はギスギスするのよ」

と言われてきたので
まさにその通りだ!母親は正しかった!!と
声を大にして言いたい。

とは言え今の時代
女性たちもそれなりに知恵や知識を身につけている。
自分の美や野心のために昔よりかなり貪欲であるし
擁護はしないがパパ活などで稼いでいたり
それこそ自分で投資などをして堅実に稼いでいる人も多い。

お金がない男性と付き合う位なら
自分の欲しいものは自分で稼いで手に入れる
そういう強い意志の表れなのかもしれない。
もしくは
更に綺麗になってよりレベルの高い男性と出会いたい
ということにも繋がるのだろう。

女性たちもそのように自衛力や自立力を身につけてはいるが
まだまだ日本では男性優位の世の中であることは間違いない。

だからこそ男性に頼りたい気持ちも
まだまだ女性の中に存在する。


一言で

「お金がない」

と言ってしまったらそれまでだが
選択肢の自由=心の豊かさに直結することは間違いない。

“愛があれば乗り越えられる”はもはや時代遅れである。

賢い女性は自ら稼げて男性のやる気を後押しできる“あげまん”であり
それを受け取った男性も心の豊かさを二人で共有できる

『稼げる男』

そうなれることが私が望む世界である。


Leon

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