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「風の日」


その日は、風が身体を吹き抜けるくらい気持ちの良い日だった。

高円寺にある行きつけの「小杉湯」という銭湯上がりに、新しくできた「小杉湯となり」という街みたいな家でのんびりしている時だった。

「あ!、廣田君じゃん」と飲み屋が同じだったからという理由で、仲良くなった友人が居た。

「お〜、久しぶり」と僕は言って、
「なんかいると思ってた」
「せっかくだから、風呂上がりに一杯どう?」と友人が言った。

“お酒が好きである“そんな理由だけで、気軽にご飯に行くことができる関係が好きだった。

ぼくたちはお互いの近況を報告した。

友達は長年寄り添っていたパートナーと婚約をして、ぼくはというと生活に大きな変化はなかった。

「もう俺ら中年だよな。」
「まーまわかるよ」と僕は言って、友人は年季が入ったジッポを使って気持ちよさそうに煙草を喫った。

「喫煙できるお店もこのお店くらいになって、東京は変わってしまったね」と言った。“日本は変わった“とこの歳になると、一定の確率であげられるテーマについて、僕たちは語った。

「ちょっと、一本喫ってくる」と言った友人を待っている間、ロータリーにはトランペットを演奏している人がそこには居た。

流れてくる曲は、わからなかった。

高円寺の駅前のロータリーは、「まだ、世間にのまれたくない」と言わんばかりに楽器を奏でたり、時には漫才を披露している若者がいる。

ぼくはその光景を見る度に、“日本は変わってしまった” と言葉を呑み込んだ。


***


セミの鳴いてる音がうるさく、次の電車まで20分待たなくてはいけなかった。駅の休憩室には、うちわを忙しなく扇ぐ教師のような佇まいな男性と新聞を睨みつける中年の男性が座っていた。

「あー日本は変わったよな。おい。」と貧乏ゆすりをしながら男性はひとりごとを言っていた。

二十二歳の頃のぼくは、世間の動きについてろくに知らず、当然のことながら、中年の男性が何に対して腹を立てているのかわからなかった。

その頃の僕は就活で企業に落ち続け、サークルの延長線上のノリでバンドを組んでいた。
悪く言えば、現実から目を背いている大勢の若者の一人にすぎなかった。

ただ、僕が2007年に起きた出来事で知っていたことは、幕張メッセでELLEGARDENがワンマンライブを成功させたことだった。

音楽はデジタル配信が主流となりウォークマンが普及され、ロックバンドがメディアへの露出をしだした頃だ。


***


「守」という文字がガラケーの着信画面に映った。守は僕と一緒にバンドを組んだ友達だ。

携帯電話を開き、メールを見開いた。
「おーい!! ひろちゃん! この前のライブの選考通ったって!!」と文面が映った。

すぐさま、 「え? この前のライブ? どんなメールがきた?」と僕は返した。
当時は、2020年の今日に比べ「ロックバンドをやりたい! いずれはプロになる!」と意気込む若者が多かったのだ。

それは、2003年に始まった『エンタの神様』が人気番組になり、そのお笑いムードに乗っかりたいために「吉本総合芸能学院(NSC)」の門を開いた若者が多かったことと同じ現象だろう。

それから僕たちは、曲を作り続け地方に行っては歌い続けた。時には、一文無しになり野宿をしたこともあった。

その中で、いまでも忘れられない出来事がある。
バンドを組んで一年と少しが経った2008年の冬だった気がする。東北のライブハウスでライブをする予定だったけど、スタッフ側の都合により急遽ライブが中止になった。

僕たちは、支給される宿にも泊まることができず、公園で寝ることを覚悟した。公園で寝る場所を作っている時に、犬の散歩をしているおばさんが声をかけてくれた。

「あら、公園で寝るつもり?」とおばさんは言って、僕たちは事情を説明した。その後、幸運にもおばさんの家に泊まることができ、涙したことがあったんだ。


***


「あ、ごめんお待たせ」と煙草を吸い終えた友人は言った。
「あーいいよいいよ。」と僕は言って、駅に向かう道すがら、トランペットを演奏している青年にスカウトらしき人物が名刺を渡していた。

青年の前に置かれている箱に、お金を置いて「まだ日本は終わってないよ」と友人に言った。

『東京行き』の中央線に乗り、ELLEGARDENの「風の日」をリピートしながら帰路に着いた。

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