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出産までの奇跡

 「おめでとうございます。胎児心拍が確認できましたよ。妊娠8週前後ですね。」
そう医師が笑顔で伝える中、私は喜びと共に一抹の不安があった。
 私にはこのお腹の子の前に1人の子を出産している。その時に子宮頚管無力症と診断をされた。

 子宮頚管無力症とは、通常お産まで閉じているはずの子宮頚管という子宮の入り口が何らかの理由で早期に開いてしまい妊娠が継続できなくなるものだ。原因は感染等の可能性もあるがほとんどは体質的なものであり、妊娠の度に症状が現れるという。つまり、今回も同様の症状が出る可能性があった。

 医師が内診台で診察しながら「やっぱり子宮頚管が柔いね。これはまた縛らないといけないかな。妊娠12週をすぎたら16週までに手術をしましょう。」そう告げた。
 子宮頚管無力症における手術とは、子宮頚管縫縮術といい、子宮の入り口である子宮頚管を開かないように物理的に縛ってしまおうという手術である。ただし、手術をすれば妊娠継続ができるとは限らず、手術操作による感染やお産が進行するリスクなどもある。しかし、私の場合は子宮頚管部の軟化が著明のため手術を強く推奨されたという訳だ。

 (あぁ、1人目と同じくまた手術か…)と思わず項垂れた。だが、子どもは2人ほしいと願っていた。少しでも妊娠が継続できるならと手術を決めた。

 妊娠12週頃に入院し、子宮頚管縫縮術が行われた。手術の方法はシロッカー法と呼ばれる子宮頚管の内側を縛る手術と、マクドナルド法と呼ばれる子宮頚管の外側を縛る方法の2種類がある。第1子の時は子宮頚管無力症が進行した段階で発見したためマクドナルド法での手術であったが、今回は事前に子宮頚管無力症であることがわかっているためシロッカー術にて手術となった。

 前述の通り麻酔をかけて縛るという単純な手術だ。しかし、手術時間は予定時刻よりどんどん伸びていた。麻酔は腰部からの麻酔で私の意識ははっきりしている。医師が1人、また1人と増え何やら小声で話す声が聞こえた。

「…何かあったのですか。」と思わず近くにいた麻酔科医に話しかけた。
すると
「思った以上に子宮頚部が軟化していて糸がうまくかからないようです。でも、大丈夫ですからね。」と笑顔で安心するように声掛けがあった。
それからさらに30分ほど経過し、やっと縫合ができたと複数の医師が安堵する声が聞こえた。その声が聞こえてやっと私も気が抜けた。

 術後の経過は幸いなことに順調で、術翌日から歩行を開始した。1週間ほど経過観察のため入院をしたが手術操作によるお産の進行等もなく、退院し外来通院となった。
ここまでくれば通常の妊婦のように過ごせるだろう。と思っていた。

しかし、28週頃に外来でエコーを受けた日のこと。医師が「胎盤が低いね…。」と呟いた。どうやら妊娠の際に胎盤が付着した部位が通常よりも低く、子宮口にかかろうとしているようだった。顔をしかめた私に医師がはっとしたように笑顔になり、
「大丈夫、大体は胎盤の位置ってあがってくるから!」そう告げた。
その言葉を信じて日々を過ごした。

だが、検診の度に胎盤の位置が低いと指摘された。
そして31週頃のこと
「残念ですが、個人病院である当院ではお産できないかと思われます。胎盤の位置が低いので出血リスクが高いのです。大きい病院に紹介しますね。」と言われ、地域の救急病院にかかることになった。

 紹介状を持ち救急病院を受診した。医師は紹介状に目を通し、診察後にこう告げた。
「これは地域のクリニックでお産は難しいよ。辺縁前置胎盤といって胎盤の下のほうが子宮の入り口付近まできている。お産後に子宮収縮がうまくいかずに大量出血する可能性がある。輸血の準備もしとかないと危険だね。事前に鉄剤を飲んで、ご自身の血を輸血として貯血する方法で輸血準備をしましょう。それに、子宮頚管無力症もあるし、お産が進行するかわかったもんじゃない。37週0日になった時点で帝王切開をしましょう。その時にシロッカーの糸も抜きましょうね。」とのことだった。
 (子宮頚管無力症だけじゃなくて前置胎盤まで…。そしてまた手術か…。)と気落ちした。

その時、腹部の胎動がポコッと動いた。勝手な思いだが、頑張ろうよ。と、お腹の子に言われている気がした。

その後外来通院時に2回に分けて自己血貯血という輸血準備を行った。そしていよいよ37週0日になり帝王切開術当日となった。

 手術は子宮頚管縫縮術のように腰部から麻酔をかけて行われた。だが、麻酔の量が子宮頚管縫縮術より多く、強い吐き気が襲った。吐き気と戦う中でもう少しでわが子に会えると期待に満ちていると
「おぎゃー!」と大きな産声が手術室に響いた。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ!」と医師が言い、産声と医師の言葉で安堵し涙がこぼれた。

(よかった…ここまでちゃんときてよかった。)そう思うと気が抜けて再び強い吐き気が襲った。
麻酔科医がその様子を見て
「もうお子さんは産まれたから少し吐き気が収まる薬使おうか。その代わりちょっと眠くなるから寝ていいよ。」と提案した。その言葉に頷き、うつらうつらする中で医師が
「あとは糸抜いとくからねー、安心してねー。」そう告げたのが聞こえた。

目が覚めた時には腹部に強烈な痛みを覚えた。
帝王切開後の麻酔が切れたのだろうか?

そう思うが物理的に傷口を抑えられている痛みがあり、思わず「痛いーーー!」と叫んだ。

目が覚めると助産師が私の腹部に体重をかけて抑えていた。そして助産師が
「あ!気が付きましたか!術後順調でしたけど、先程膣を確認したら結構出血していたので止血のため腹部を抑えています!子宮収縮剤も投与しているんですけどまだ効果が薄いようです!痛いけど頑張って!」そう告げると再び腹部に体重をかけ圧迫止血をしていた。

その後、20~30分毎に腹部の圧迫があり激痛と戦うものの、数時間経過しても出血は持続していた。意識もぼんやりとし、血圧も低下する中で
「輸血の指示が先生から出た!自己血準備!」と話す声が聞こえた。

(あぁ、そんなに出血しているのか…。ぼんやりしている場合じゃない…。今何かあったら子どもたちは…夫はどうなる?意識保たなきゃ…。)そう強く思った。

その後ばたばたと走る音が聞こえ、気が付くと私服のままの医師が到着した。
医師により止血の処置が行われ、徐々に出血量が減ると安堵した声が聞こえた。
そして
「もう大丈夫、大丈夫だからね。よく頑張ったね。」そう言われて力が抜けた。
ふと、時計を見ると時刻は0時過ぎ。術後約6時間経過していた。

そのまま気が付くと眠りに落ちて朝になっていた。
術後の部屋から自室へ戻り、母子同室となった。子どもを抱え過ごしているとコンコンと部屋をノックする音がして医師が入ってきた。

「調子はどうです?手術自体はうまくって、シロッカーの糸も抜けたんだけどおそらくその糸を抜いた刺激で出血したんじゃないかと考えています。その血がお腹に溜まって時間がたってから一気にでてきたんでしょう。輸血は全部使いました。本当に自己血貯血しておいてよかったですね。」とホッとした表情で医師は話した。

その言葉を聞いて本当によかったと心から感じた。

医師にお礼を告げ、医師が退室しようとしたとき、足を止めて振り返った。
「あ、そうそう、シロッカーの糸なんですけど、クリニックでとてもいい位置に縛ってあってガッチガチだったんですよ。そのおかげで妊娠継続できたと思いますけど、もし帝王切開じゃなくて経腟分娩で外来で抜糸だったとしてもとてもじゃないけど抜けなかったと思うんでどちらにせよ緊急手術になっていたと思います。そこで無理に抜いていたらそれこそ出血で大変だったかもしれません。いろいろと奇跡が起きてましたね。」
と笑顔で言い、去っていきました。

わが子を見ながら改めて妊娠出産は奇跡であると実感し
「無事産まれてきてくれてありがとうね」と頭を撫でながら子に伝えました。

たくさんの人に支えられて助けてもらった命を大切にしていきたいと思う日々だ。
この子が大きくなったときこの奇跡を伝えよう。そう思い日々子育てに励んでいる。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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