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男らしさも、女らしさも、自分らしさだって、無くてもいいんじゃないか。

最近、「男らしさ」や「女らしさ」という価値観を見直す風潮が広まり、「自分らしさ」という新たな枠組みが生まれたように感じる。

しかし私は時々、この「自分らしさ」に苦しめられる。

私は保育園の頃、好きな色が周りがピンク等だったのに対し青色であったり、少年漫画(特に『ドラゴンボール』)が好きだったことから「〇〇ちゃんは男だ」と言われることがあった。
中学生になってからも、この男の子キャラは続き、高校生になると天然キャラがついたりもした。大学生では、感覚がズレてて恋愛に興味がない人というキャラもついた。

しかし実際の私は、少年漫画も好きだが少女漫画だって読むし、抜けてはいなくしっかりしている場面もあれば、みんなが好きなものを好きなこともあり、恋愛にだって興味があった。
このように私たちは自分も他人も知っている言葉でカテゴライズし、その人をわかった気になってしまう。だが、自分の中には、自分や第三者が認識している自分と異なったり、矛盾している自分がいくつも存在しているのが実際である。

それをわかっていても時々私は、周りが自分をどう捉えているか、そして自分が自分をどう捉えているかを気にして「これは自分らしくない」と決めつけて、その時の自分の感情や衝動とは反する行動をとったりしてしまう。

人間は多面的な生き物である。そのために自分の感じている「自分らしさ」にも他人の感じている「自分らしさ」にも、どちらにも属さない自分自身だって存在する。時には矛盾しているような自分がいたりする。だけどその中の認めたくない自分すらもありのままに受け入れて、表現することができたら…。このようなことを意識しながら、私は自分に素直に生きるように一生懸命に自分を生きる。

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