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丑三つどきの来訪者

ある夜。
目が覚めて時計を見ると午前2時。
隣には妻がスヤスヤと気持ち良さそうに寝ている。

すると玄関のチャイムが突然鳴った。
こんな時間に誰だ?と薄気味悪く思った。というよりも少し怖かった。
妻を起こそうかとも思ったが、その寝顔をみてやめた。
まさか強盗ではないだろうか?
だが強盗ならわざわざチャイムなど鳴らさないだろう。
しかし今は配達業者を装った姑息なヤツもいる。
いずれにしてもこの刻での来訪は、常識を逸脱している者としか思えない。

僕は妻を起こさないようにそっと部屋を出た。
そして、仕舞い込んであった木刀を、念のため手に取り玄関へと向かった。
たしかに戸の先に人の気配を感じる。
僕は玄関ごしから、うし三つ時の来訪者に恐る恐る声をかけた。

「どなたですか?」すると、


「・・・夜分にすみません。芹沢さん。保護司会会長の鈴木です」

「えっ!」

僕は保護司をしている。その保護司会会長の声だった。
すぐにドアを開けた。
そこにはダーク系の背広に身を包んで立つ鈴木さんの姿があった。
暗闇に同化した背広姿に、そのフラワーホールに挿さる保護司紋章バッジが、闇のなか黄金色に輝いていた。

会長は何か思いつめたような様子だ。
ふだん豪快に笑うあの明るさが微塵も感じられない。
そこには別人のような鈴木さんがいた。
僕は動揺する気持ちを抑えて、冷静に話しかけた。

「会長さん。どうしたのですか?こんな時間に!まあ、上がって下さい」

「いや、ここで結構です。実は、、、忙しいと言って断られた理事再任のお願いにきたのです。次期も保護司会の理事を受けてもらえませんか?どうしてもあと一人が決まらないのですよ」

「そのために、わざわざこんな夜更けに訪問したのですか?」

会長は少し困惑したような表情をみせた。そして、
「明日の理事会までに決めないといけないのです。それが心配でおちおち寝てはいられません」

「そうですか。分かりました。会長さんに大変な思いをさせていたのですね。気づかずにすみませんでした。ちゃんとつとまるか分かりませんが、次期もやらせてもらいます」

そうこたえると、会長の顔がパッと明るくなったように感じた。

「ありがとうございます。これでゆっくり休めますよ。変な時間にお邪魔してすみませんでした。おやすみなさい」と言い残して足早に去っていった。

僕は見送ろうと玄関の外に出ると、会長さんの姿はもうどこにもない。
なんの痕跡もなく幻のように消えていた。
ただ月明かりに照らされた庭の草花が、不思議なほど存在をましていた。

ひとりリビングに落ち着くと気が抜けた。目が冴えて寝つけそうにない。
それからお腹が空いたので、カップラーメンを啜り、ふたたび床に就いた。

「会長というのは大変なんだな。会長だけは絶対に引き受けないようにしよう」
と布団の中で呟き、また眠りについた。
翌朝一番に目覚めると、テーブルにおいたままにしてあったはずのカップラーメンの残骸は消えていた。
あの出来事は夢だったのだろうか、、、

それから9時から開催される理事会の会場へと車で向かった。
会館につくと廊下で会長と会った。

「会長さん。昨晩はどうも!見送ろうとしましたが、すぐに帰られたのですね?」

「何のことですか?」と、キョトンとした顔で会長はかえした。

「えっ!夜中にうちに来ましたよね?」

「それは何の話ですか?」

「・・・あっ、いや、なんでもありません」

あのことはやはり夢だったのだ。
そして、会長は訝しい目で僕を見つめながら言った。

「それより芹沢さんに相談があるのです」

「あっ、それは分かってますよ。次期の理事選出の話ですよね?僕で良かったらさせてもらいます!」

「えっ!なんで分かったのですか?」

「はっはっは。その話は今日の丑三つどきにすでに聞いていますから」

「???ありがとうございます。では次期もお願いしますね」と会長はいつもの明るい笑顔でこたえて、そそくさと会議室に入っていった。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

誰かがやらなくてはみんなが困ることが、この世の中には厳然として存在しています。

自分の利益にならないことは、誰もあまりしたくないのです。
だからこそ、自ら手を挙げることに価値があります。

受けたからといって死ぬようなことはありません。
ただ少しの覚悟がいるだけです。

しかしその精神はとても尊いと思うのです。

そういうひとを人は信頼します。
またそういう人が、好かれるひとだと思うのです。


その労苦はいつか喜びに変わり、必ず返ってくると信じているのです。


−了−


最後までお読み下さり、ありがとうございました🙇

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