見出し画像

神の計らい② 親友編


過去の自分が必ずしも現在ではありません。
経験と経年があって現在に至ります。
人は誰もが成長するものだと思うのです。
その成長過程には、大勢の方の溢れるほどの恩を受けています。

今回の「神の計らい②親友編 」は、神の計らいによって親友に救われたという、少し大袈裟な拙い想い出話です。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

僕の幼少期である昭和の時代は、悪いことをすると真剣に怒ってくれる近所のおじさんやおばさんがいた。怒られる時は両親よりも怖く感じたものだった。
しかし、成長して僕の方が体や態度が大きくなると、自然と怒られることが少なくなった。

また父も昔は、とても厳しい人だった。障子などを破ったり、何か悪さをすると「この手が悪いことをするのか!」と手の甲をおもいっきり抓った。それがとても痛かったのを覚えている。

その父が中学生になってからは、怒らなくなり何も言わなくなった。それが僕にはずっと不思議でならなかった。
成人してから、あるとき父に「中学生の頃から、怒らなくなったのはなぜなの?」と聞いた。

父は一瞬、間をおいて言うのを迷っているようでもあったが、小さな声で応えた。

「おまえから見下ろされるようになってからは、怖くて言えなかったのだ」

そんな思いを父にさせていたのかと、今さらながらに気がつき、大変申し訳なく思った。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

僕の青春期である1980年代は、暴走族や校内暴力、家庭内暴力など若者たちが目をギラギラとさせて、あり余るエネルギーをいつも何処かにぶつけていた時代だ。
そんな時代が今では、遠い昔のようで懐かしく想う。

当時は「マイルドセブン」という銘柄のタバコが1箱180円だった。
まだ未成年だった僕は、自動販売機でタバコを買う時は、お釣りが出るのに時間がかかるので、その手間を省くために、いつもピッタリの小銭を握りしめ、それを一気に敏速に投入。そして出てきたブツを取り出し、誰かに見られないようにその場を素早く立ち去った。

高校は親元を遠く離れて、寮から学校へと通った。
寮の近くにあるタバコ屋のおじさんは、学生服を着たままでも、いつでも売ってくれた。誰かに見られないように周囲を気にしながら、僕にブツを手渡した。
見た目は熊のように毛むくじゃらで体が大きいのだが、気配りができるとても優しいおじさんであった。
また僕の他にもその店で買っている寮生が大勢いた。タバコを吸う不良にとってそこは安心、安全な店であった。

本来、未成年にタバコを販売するなど、許されることではない。
法律上では喫煙者本人は罰せられることはなく、持っているタバコを没収され、注意されるだけである。
しかし、20歳未満の者が喫煙することを知りながら、たばこを販売した場合は50万円以下の罰金に処せられる。
それを知っていたかどうかは定かではないが、今思うとたぶん生活のためだったのだろう。
小さなタバコ屋だ。生活を維持するため、家族を守るための所業であったと思う。


また学校帰りには、商店街にある行きつけの喫茶店へと通った。
学生服を着たまま、レイコ(関西ではアイスコーヒーのことを当時そのように言っていた)を飲みながらタバコをふかした。店員や周りの客は見て見ぬふりで何も言わなかった。

些細なことと大らかだったのか。または面倒なことには関わりたくないという無関心を装っていたからなのか。それは分からない。
どちらにしても僕たちには、どうでもいいことだった。

若気の至り。
古きよき時代であった。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

高校3年のとき。いつも昼休みに校舎の階段踊り場で、見張りをつけて不良仲間とタバコをふかすのが日課だった。すでにその時はニコチン中毒だったのかもしれない。
そんな僕もタバコをやめて20数年が経つ。

ご飯を食べたあとの一服は、とてもうまい。また先生に見つかるかもしれないという、スリル感も加わり、旨さが増した。

そんなある日のこと、親友が昼休みに市役所の食堂で例の『あれ』を食べに行こうと誘ってくれた。
僕たちは学校を抜け出し、歩いて10分の市役所の食堂で、美味しいと評判の『カツカレー』を食べた。

食堂で学生服を着ているのは、僕たち2人だけだった。スーツやワイシャツ姿の大人たちの冷ややかな視線などは気にもせず、大盛りカツカレーに舌鼓を打った。

その後、5時間目始業の間際に戻ると、何やら学校が大騒ぎとなっている。
何があったのかとクラスメイトに聞くと、昼休みに毎日僕たちが喫煙していたあの場所に、パンチパーマや角刈りのヤクザみたいな風貌の体育教師が大挙し、大捕物劇が繰り広げられたと言うのだ。

悪友たちは、逃げる出口をすべて塞がれ、為す術もなく、無抵抗のまま現行犯で囚われた。

その教師たちは、以前から僕たちがそこで毎日喫煙していることを知っていたのだ。
用意周到な準備がなされ、そしてその日に実行された。まさに警察のようである。

僕は心配になり、すぐに友が囚われた体育教官室(組事務所と呼んでいた)へ駆けつけた。
窓越しから覗くと、ヤクザみたいな教師の前に、友は頭を垂れて一列に正座をさせられ、一人ひとり尋問をうけている様子だった。

僕は助けることが出来ない不甲斐なさと、また本来ならそこにいるはずだった心苦しさも感じながら、事ここに至っては為す術もなく教室に戻った。

そして、誘ってくれた親友に両手で彼の手をとり、「今日は誘ってくれて本当にありがとう!」と心から感謝した。
「俺たちは助かったな〜」と笑顔で返す彼の姿は、後光が差して見えた。

持つべきものは友である。神様が遣わした使者だと思った。

僕はそれまで2回停学になっていたので、あの時一緒に捕まっていたら、間違いなく退学だっただろう。
きっと真っ当な人生は歩めなかったと思う。

その後、停学になった友だちをとても可哀想に思った出来事があった。
当時は停学になると男子はみんな丸坊主にされた。ちょうど停学が明けた頃に、卒業アルバム作成のための写真撮影があった。
その友達たちは、みんな丸坊主で撮るしかない。

卒業アルバムの撮影日。その丸坊主のひとりが「くっそー」と怒鳴って、スプレーでばっちり固めてセットした僕の髪を、両手でクシャクシャにした。
「テメー何するんだ!」と怒鳴って、またセットをやり直したのだが、立場が逆なら同じことをしていただろうと思い、あとで彼を慰めた。

卒業アルバムの悪友たちの坊主頭をみると、今でもあの日のことを想い出す。

僕が助かったことも神の計らいであったのかもしれない。

人生なにが起こるかは誰にも分からない。

偶然のことや当たり前のことと済ませてしまえばそれまでだが、誰かのおかげと感謝出来れば、自身の喜びとなって幸せなことでもあるように思う。

人は相手にしてあげたことは、よく覚えているが、人から受けた恩は忘れやすい。

感謝しなくてはいけないことは、気がつかないだけで、いつも自分の周りにゴロゴロしている。

それは毎日、食事の支度をしてくれること。

駅まで送迎をしてくれたこと。

古くなっていた歯ブラシが、知らない間に新調されていたこと。

また便秘が出たときの清々しさと嬉しさ。
食べる時は手を合わせて感謝をするが、出た時は感謝をしない。出るから食べられる。
出納帳や出入り口など、出ることが先であり大事なことである。出たときも感謝をしよう。

意識しないと気づかないことは、たくさんある。決して当たり前のことではない。
そこに気がつけば、ちょっとしたことでも幸せに感じることができる。

相手への感謝の気持ちは、忘れてはいけないものだと思う。
日々を伴にする家族なら尚さらである。

今日誰かにお礼を言い忘れてはいないだろうか。そこに意識をしよう!

僕は友を遣わした神の計らいに感謝し、その恩はいつまでも忘れることはないだろう。


最後までお読み下さり、ありがとうございました🙇





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?