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ぼっち在宅介護 続)いつもの暮らし

ドタバタした一日があけまして、父のspo2は92です。とりあえず難局面を乗り越えました。

さすがに、もしかして⁉️とも思いましたので、昨日、父が少し余裕のありそうなタイミングに確認しました。

「誰か会いたい人はいる?」
「誰かにあったら元気になれそうとかある?」

父は返事をしませんでした。

「私と二人だけの最後になるとかでもいいの?」

父は、「ぅおお」と声を出しました。

「わかった。最後まで二人きりでいいんだね」

父は、まぶたを閉じて見せ、「うん」の代わりに返事をしました。



まぁ、いろいろ思うところはあります。
が、私もそれでいいかなぁと思っています。

まず、父の人生なので、父に選べる状況があれば、父が選び取ればいいと思うし…
人から向けられる善意が、当人にとって嬉しいこととはいい難いので…

あちらを立てればこちらは立たず

正にそれです。

私のいうところの誰かとは、父と私(+主人)以外の家族や外野ですけれど…

今の父を見た時に、これまで同様の父と私の二人だけの『いつもの暮らし』を選ばせてくれるか?というと、あやしいです。

良かれと思って、救急車を呼び入院をさせたり、必要以上の医療や薬をすすめてくれるかもしれません。それでちょっとは長生きできるかもしれません。
が、それは、父が今、求めている最後ではないのですし、その議論を今ここでされたくない、ということです。
もう少し元気だった春、一番信頼できる身近な親族に立ち会ってもらい、父の意思を確認してもらいました。
やはり、体調が苦しくなっても意思は変わりませんでした。


だから、その思いを尊重してもらえる今の在宅医療チームには、父共々感謝してもしきれません。


ま、その確認ができていれば、父の介護におけるキーマンの私の考えも揺るぎません。

⚫︎救急車は呼びません
⚫︎在宅でできる範囲の医療は主治医の提案を受けます
⚫︎とにかく、最後まで家で

この3点のみで、主治医と訪看に伝えました。


結果的に、主治医の往診で、「酸素吸入は導入しない」という判断を父も私も良し👍として、「いつもの暮らし」継続をすることになりました。



さて、
今朝は、イチゴとバナナの入ったヨーグルト、大きなプリン、経口補水液ゼリーを1/2本、摂取し、いつも通り、薬はクエチアピンのみを飲んで、また休みはじめました。


父は、駅伝🎽が好きで、大学駅伝をしていたようです。選手で箱根を走れたのかは分かりませんが、もともとけっこう早かったようでした。私も父に似て、長距離の方が速かったです。

今回、あまりにも低いspo2状態にも関わらず、食べたり飲んだり、質問に答えられる状況に、皆がびっくりされていました。

ただ、長距離ランナーの感覚からしますと、長丁場走り切ってからの最後に、走る側としては駆け引きとか、その場においてレース展開を考えねばなりません。酸素はあまり入ってこないし、疲労もあるけれど…
必要ならば、休憩所でドリンクを補給して頭を回すとか、休憩なしでもまだ行けるとか、なんならもう一度スパートかけますか!みたいなことを低酸素状態で考えるスポーツなんですよね。
その感覚でいくと、しんどくなったので…「あーもう無理!もういーや!」とはなりにくいタイプなんだと思われます。


血圧もそうですが…
酸素についても…
やはり、個人差とかがあって、

いくつだからいいとか
この範囲内じゃないとダメとか

健康とか病気とか、未病の状態でも、
人それぞれなんだなぁ…と、
父の介護を通して実に感じます。

医師の助言や提案も、テレビの健康番組の情報も、ちまたの友人のウワサも…
上っ面で聞いて「あ、それで」というのでは、
本質的に自分らしい答えになってるかは謎で。
人と数値を比べて良い悪いを決めたところで…必ずしも結果が伴わないこともあるんですよね。


塩と糖の関係
酸とアルカリの関係
人のハードとソフトの不全と血流の関係

そういう、昔、小学校で習って訳の分からなかったこととかが、一つ一つ父の体を通してわかってきていて、すごくびっくりしています。



さて、あらためて。
私の介護のnoteをいつも読んでくださっている皆さん、いつもありがとうございます。
励ましも労いも嬉しく思っています。

発見や思いをぶつける先が見つからず、noteを勝手に利用させていただいております。

『ぼっち在宅介護』
と謳いながらも、余計なことも書いてますし、ふらふらヨレヨレしながら文章にしており、お目汚しも多いかと思います。

私の介護を「献身的〜」と捉えてくださる方がnoteの中でも外でも意外と多いのですが…
決して父のための介護ではなく、私や主人の代のヘルプが激減した世界で、いかに自分で介護ならぬ自護をする時に、何を最優先にして、取捨選択すべきか?と情報を勝手に盗み学んでいるだけでございます。

父への愛?想いはございます。が、父にだけ捧げる時間のつもりはもうとうございません。
私の人生の時間を私のためにザグザグと使っております。だから、できる介護が多分にあります。

楽ではございませんが、知識、経験、体力作り、精神作りに、大変意味をなしております。ハイ。
だって、給与が出ないのですから、これくらいの褒美がなければ困ります。


今回の数値や経緯、血液検査の結果も、また学ぶに値することがあれば、noteに書きます。

今後、父が不安定になっていく様も記録します。

父は高齢者というランナーで、私はアスリートを支える伴走者のつもりです。
父が己と戦う姿勢が好きなようです。

引き続き、父の人生のランナー引退を書いてまいります。懲りずに遊びに来ていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。

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