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介護のスタイルは何がいいのかの私的意見

現在、ほぼ90歳の父とほぼ50歳の娘の2人ぼっち在宅介護中。
介護時のこれいいな!をメモしたり、気づきみたいなことを書いています。

父は、デイサービスなどを嫌い、完全引きこもり在宅マンツーマン寝たきり介護が、3年を越えました。ほぼコロナと同時にはじまった感じです。

さて、介護はどこでどうあるべきか?
と言うのをいろんな方がいろんな風に言われていると思うのですが。
私なりにも思うところがあるので書いてみようと思います。


私の身の回りには(昨年亡くなった義母を含め)4人の後期高齢者がいました。
私の両親、主人の両親です。
年齢は80代後半〜90代前半です。
本当に、四者四様の高齢化であり介護スタイルでした。


私の両親は、遠距離度で言うと、片道2時間。

母がまだら認知症で膝が悪い程度。楽しさやプライドが勝っている時は、自由に動ける状態でした。介護認定当初は要支援2だったと思います。

父は、転倒し骨折から寝たきりに近い状態でしたが、母の様子が変なことを気使えるくらいの判断力があり、認知症とは診断されず。当初の面談による認定は要介護3。が、体の状態があまり良くなかったことから判定のやり直しとなり要介護4からのスタートでした。

ちなみに、私の両親は、介護経験はゼロでした。両親、舅姑の看取りもしていません。


主人の両親は、遠距離度、片道半日以上。
(主として、主人の家族がお世話してくれています)
義母は、定年より早くに脳溢血?でたおれ、左半身不随からリハビリにより生還されていました。が、視覚聴覚は戻らず、左手左足にも麻痺が残っている状況に、高齢化が進んでいました。宅内では頑張って伝い歩きしてくれていましたが、一人での出歩きはできず車椅子移動でしたから、基本在宅でした。
コロナ前より年々義父一人での介護は難しくなり、家族はデイサービスを提案。自宅で一年ほど、デイサービスとリハビリのサービス利用をしていたと思います。
後に我々の自宅近くにある介護施設へ入居を提案。本人の意思で田舎から出てきてくれました。
すでに要介護4か5からのスタートだったんではないかと思います。

義父は、遠方に一人住んだままです。
ずっと義母の介護をしてくれていました。母が存命な頃から、家に他人が入ることを嫌がり、ヘルパーさんが暮らしに入ることだけ受け入れなかったです。現在、複数の持病がありながらも、介護申請すること自体も受け入れ難く、なんとかケアマネさんについていただいていますが、ケアマネさんとの約束をわざとすっぽかしたり、コミュニケーションが取りづらい状況でいます。タクシーを使って透析に行くことはできていますが、サ高住への入居は嫌らしく一人暮らしを続行中です。

義母に関しては、厳しい姑の介護を20年くらいやっていたようです。自身の仕事、子育てに加え介護があり、その果てに脳溢血を一人で起こしてしまい、後遺症が残ってしまったように聞いています。
義父は、自身の母の介護はほとんど手を出さなかった様に聞いています。が、後に妻の介護に20年ほどかかわることになりました。



で、介護は、どこで誰が見るといいか問題なんですが…

私の私的意見としては、どれも正解だと思うんです。介護、介入して護るわけですから、不正解はないんじゃないかと思うのです。

在宅もいい。施設もいい。
デイサービスだって、ヘルパーさん、訪問看護、サービスの利用はもちろん、全てを家族の手でやりたいというのもありやと思うのです。

そりゃ、いろいろ悲しい事件とかもあります。
けど、とっかかりの1番最初には、しゃーなしにしろ、何とかしようと言う思いからスタートしてるわけですから。そこに愛情が多いとか少ないとかは測れません。なんらかの思いがあるのは事実なんです。


で、ほぼ同時に、4人の高齢者の介護問題が浮き彫りになった私たちは、それぞれに見合うようにいろいろ考えたり提案もしました。
金銭的問題、身体的問題、認知力的問題、あと性格ですね。

介護される者が、介護経験者であるかないかと言うことも、人の意見を受け入れるか否かは大きく違いましたし。
介護する側に回って不便や苦労をしても、人の介入を受けたくない気持ちが残ることもあり。

いろんな提案も同じ戦法では全く歯が立ちませんでした。


私の父なんかは、気難しい性格ですが、こだわりは非常に強いものの数が少ない。
介護する私だけ強いこだわりの部分を理解していたら、父の判断はシンプルなので、とてもスムーズにことが運びます。介護したこともされたこともないので、特別嫌なこと意外は「チャレンジしてみる」という感覚になります。
在宅で見てもやれるかな?と言う気分にこちらがなりました。

逆に、私の母は、よく言えばおおらかで大雑把で、コミュニケーション能力が高いので、デイサービスなんかも行ってくれていました。が、ある日は行きたくなくなります。
要は、こだわりは浅いけれど数がたくさんあって、希望を叶えきれません。
主治医の先生に相談すると、「お母さんの希望は全部叶えなくていいです。10個あったら1個かなぁ。お母さんは、いろんな希望を言って周りが振り回されてくれることが喜びであり、それですでに願いが叶っているからです。真正面から全部を聞いてはいけません。話は聞いてあげた方がいいですが、まともに喰らってはいけません」とのことでした。構ってほしくて数たくさん要望を言ってきます。必死でいいます。これを半分聞き流すと言う作業は、私にはかなりしんどい仕事でしたので、母に関しては在宅では見れないなぁと言う思いをもちました。


義母は、私は大好きでした。シュールで、ディサービスの評価もなかなかシビアでしたけど。
「デイサービスも好きではないけど行く。お風呂にいれてもらえるとお父さんが楽だから」と言ってました。自分自身はあまり喜べないサービスだけど、家族を思って必要とする判断力には感服しました。介護をしてきた経験があるからではないかと考えます。私が義母の介護時に今くらいのスキルがあれば、もう少し何かできたんじゃないか?と今も思います。
(ただ、直系の家族にはブラックな一面もあったようです。)


義父に関しては、今も一人暮らしで、介護とか、ヘルパーとか、そう言った高齢者扱いに対して、剥き出しの嫌悪感みたいなのがあるように感じます。家族、ケアマネさん、皆が手をこまねいています。
私なんかが電話で話してみると、素直な一面もあっていろいろ話してくれるんですが。いざとなると直接対応するものに厳しい条件を突きつけます。ただただ言うことを1ミリも聞かない感じのようです。
この場合も、在宅で家族が見守るのは家族の身が持ちませんし、施設に入ってもルールを守らない可能性も高く、難敵だなぁと感じています。


義母が、お姑さんの介護の果てに脳溢血をおこし、障害を持つ身になったことを考えると、介護する側は追い詰められすぎてはいけない。支える中心になる人は、判断をしなければいけないので、気持ちにゆとりや遊びがなくてはいけない。でも、深くかかわることで、経験値が増して、義母の様に家族のためにサービスを受け入れることができたりすることもあり。
何ごともバランスだなと思っています。

物事には、隠と陽、プラスとマイナス、表裏があります。
何をえらんでも、ええことと悪いことがあります。で、そこで強いて言えば、介護される側、介護する側の性格が鍵になってくるのではないかと思うのです。


知り合いの方に、舅姑、ご両親の介護を終えられた方がいます。ギリギリまで舅姑とは同居をされ、最末期に入院してもらい見送られました。ご両親の時は、嫁ぎ先からちょくちょく顔を出して、通院や家事をお手伝い。コロナ禍に転倒などがあり、施設入居や入院などをされて、それぞれ臓器不全の様な形で旅立たれました。
私には、ご本人さんたちにとってもご家族にとってもバランスの良い介護のスタイルに思って聞いていたのですが、、、
当事者の方は思ってる以上にいつまでも悲しそうでした。周囲に「あれは介護ではない」的なこと言われた様子で苦しまれていたようです。

また、別の方は、最後の最後まで家族で在宅看取りをされて。ご苦労はかなりあったようですが、家族皆晴れやかなお顔でお見送りをされたと、キラキラした笑顔で話されていました。



介護は「する側の自己満だ!」と言うことを聞いたことがあります。そうかもしれません。けれど、言葉もいい方もあるかなと。
きついいい方ならは、やりもしない人が自己防衛に言ったりするんじゃないのかな?と思ったりします。
また、「あんなんは介護じゃない!」と言うような方は、とっても追い詰められていて、「助けて〜」と言ってるのかもしれません。

人それぞれキャパがちがいますもんね。


つらく厳しい日々の向こうには、少し軽やかな心持ちの未来が待ってるかもだし。

ほどほどの苦難の先には、ほどほどに明るい未来がある。

今、頑張らなくていい日々を過ごすと、未来に経験値がたりない。大人な判断がくだせなくて、孤独で不安と過ごさなければならないかも。


森羅万象、全てのことには、いいことも悪いことも、華やかで賑やかな側面もさみびしく孤独な側面もあります。
春夏秋冬はだれにでもあるし。
つらい冬の季節は必ずどっかでやってきます。
いつ、その時期がくるのか?
いつ、受け入れるのか?
は、自分次第かなぁと、介護をしていて、常に思うのです。

全てを理想通りにすることはできません。

だれとどういう形なら、困難を乗り越えられるか?辛さをどういう形なら受け止め流せるのか?
自分の性格と介護受ける側の性格と、周囲の方々との距離感を加味して決めたことならば、どんな選択も全部正解なんだと思うのです。


父には、やりたいだけ出来ていて、父も協力姿勢を取る努力を怠らないので、いつ最後が来ても長生きしても本当にいいと思っています。
笑顔で送れる気がします。

母には、一緒に頑張れなくてごめんね、って思うと思います。万一があっても、いつまでも時々思い出してしまうだろうし。母もそれを願うんじゃないかと思ったりします。

義父は、近くにいてあげれたら…何が違ったかも…とかは思いますが。
まず近しい家族の気持ちがあってのことなので、いろいろ思うところはありますが、遠方から援護射撃ができたらなぁとは思います。

義母は、時々、困ったら空を見上げて相談しています。私にはシュールでチャーミングな人でしたから。デイサービスの批評したり。障害者とわかってやたらと世話を焼きたがる利用者さんを批判していました(笑)
「お母さん、デイサービスどう?」
「あんまりやね。人が静かにクロスワードして楽しんでるのに、ほっといてくれないのよ。できれば行きたくないけど、行く。」


そう、一人が楽しい人もいるし。
周りに囲まれた方が幸せな人もいる。
相性もある。

だから、
介護をしておけば…
介護される側になった時、する人の気持ちに沿うことはできるので…
やっていいとおもうんです。
全部でも一部でも。

また、しないというのも、ありかと。

正解なんか、一つやないのです。
全部が正解なんです。


というのが、私の個人的な意見です。

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