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奇跡の叔母92歳!電話インタビュー

介護から一旦距離ができましたが、義父の介護を一年後に控え、介護や高齢者の生活において興味は尽きることがありません。

父の仏事を重ねていく中で、近しい親族の中でもっぱら話題に上がるのが、母の姉である叔母です。とにかくすごいのです!

父と同級生の92歳ですが、杖こそついていますが、足取りはしっかりしていますし、トークの速度も健在。耳も補聴器なしで、電話の会話も困りません。とにかく脳の回転がすごいのです。
ちょっと挨拶した父方の親戚でもわかるくらいスゴイ👍なので、今、父の仏事を理由に時々お電話をするのですが、たくさんインタビューをさせていただいています。


高齢者の方と会話を重ねるとき、私は(ケアマネさんから教えていただいた素人感覚ですが)認知力がどのあたりかなぁと観察する癖ができました。


私の感覚からすると、
認知力が下がってこられてるなーと思う時、

同じ話を繰り返す
実在しないor盛った話をする
他人の出来なさを攻める
いつもお金や特定のことを気にし続ける
など…
不安な心中から、マイナスな考えにいたり、負のトークを繰り返しされる気がします。


ただ、認知力に対する私の感覚としては、
老若男女、認知力が高かろうが低かろうが、
誰しも高齢になれば老化し、
認知力がさがることは間違いはないと感じていまして。

脳のどこが老いて、能力を落とすか?失うか?どこから傷んで、ブラックアウトしていくか?と言うだけだと今は感じています。


人が生きていくための能力として、
体、足や腕を司るところ、
コミュニケーションを司るところ、
言葉を発する能力、
お金を工面したり管理したりする能力、
キッチンで料理ができる、温めができる脳力
不安と戦えるところなど
脳にはいろんなセクションがあって。

どこから傷つくか?老いるか?で、
人のQOLが下がっていくんだろうと思います。また、QOLが下がってきた途端、違う経過をたどる人がいたら…脳が諦めたくなる人、諦めない人がいるんかなとおもってます。

人それぞれの持ち合わせている元々の性格やその時の生活環境、それまでの人生経験などで、強みや弱みは人それぞれあるわけで。

例えば、感情が豊かで波に幅がある人は、マイナスの心労はすごいものとなるから、認知力を下げて理解を曖昧にしていくことで、LP(ライフポイント)をより長く残していけるんではないかなぁ?なんて、最近感じています。


で、

前述が長くなってしまいましたが、奇跡の叔母について書いてみます。叔母を語る前に、母を少し語らねばなりません。

3歳下の母と叔母は、体格、顔つき雰囲気はすごく似ております。母は、現在、歩行器がなければ歩けず、人の支えがなければ立ち座りができません。ちょっと子供みたいにほわんとしてます😅(元は、負けん気の強いしっかりした人でした。)

私が、まだら認知症で母を介護していた時には、

⚫︎食事の温めができない(トースターにラップの皿を、電子レンジにアルミホイルを入れそうになっていました)
⚫︎ストーブに近づきすぎて両脛に火傷の水膨れを作っていた(水膨れがわかってませんでした)
⚫︎常にお金と携帯の充電が切れる事に不安を感じていた

そんな認知症の初期?で、
自分の思いが通じないと、声を荒立てて人を非難して暴言を吐いたり、お金を要求してきました。


で、今の叔母はというと、、、
母とは雲泥の差、違う暮らしをしています。

いまだに、坂の上の上品な戸建てに一人暮らしだそうです。
毎日の暮らしに必要な買い物は、歩いてカートを押して、坂の下の町まで一人で行くそうで、
買う量はカートに入るだけ。どうしても重い物は遠くに住むお子さんの手配により届けていただくそうです。
週に数回、デイサービスを利用しているそうで、100歳のお友達と並んで数独などをしているみたいです。

驚いたのは、その100歳の彼女に「憧れているの!」といったこと。叔母と10歳も離れているのに、叔母と同じ速度で解答していくらしいのですが、「おばちゃん、あの人みたいになりたいわ〜」と朗らかにいうのです。

これまでの80オーバーな高齢な方で、周りの人に裏なく褒めたり憧れを持てる人に出会う事はありませんでした。どちらかと言うと、人と比べ、自分は劣っていないんだ!という我を押し付けてくるような人が多数だった気がします。


叔母については、母からすごくキツイイメージを植え付けられてきました。性格がキツく、意地悪なイメージ。幼心に、怖い人と思っていて、そばによることをしませんでした。

父の訃報を連絡した時、20年ぶりくらいに会話したくらいです。
話していくと、全然イメージと違っていて衝撃を受けました。話の内容も深く面白くて2時間くらいたっぷり話してしまったくらいです。


叔母は、苦労した方でした。
私の祖父母、舅姑を介護し、ご主人もお子さんを早くに見送った人でした。
今、残る家族には、やりたいことをやってほしいと、同居は望まず、時が来たら施設に入るのだと、自ら一人であちこちの施設見学に行ってるそうです。
たくさんの人を見送ってきたため、いろんな不動産を管理することになっていますが、いまだにご自身で管理運営しています。
不動産ではないですが、母方の墓じまいまでしてくれています。当たり前じゃない頃の英断です。今、そこのお墓に縛られている者はいません。それでも、「あの時あれでよかったのか時々悩む」と言うのです。深い。。。


こんな92歳がいるのか!
と、私は話をしていて、ワクワクが止まりませんでした。

母と比べて、母をどうこういうつもりはありません。持ち合わせてる性格とか、暮らしとか、そーゆー全てがたまたまこういう晩年に繋がっているというだけなんでしょうから。

ただ、明らかに叔母が積み重ねてきた苦労が叔母の強さとなっていることは間違いないなぁーと感じるのです。

叔母は、父の同級生でしたので、訃報を伝えた時、すぐに私に言ってくれました。

「お疲れやったねぇ。最後までAちゃんのそばにおってくれてありがとう。家で最後まで看るんは大変なことやで。本当にご苦労様でした。」

私の直系の家族が誰一人として言わなかった言葉を涙ながらにかけてくださいました。


この言葉を聞いた時、
あー、苦労は買ってでもしろって、こーゆーことかぁ!とわかった気がしました。
自分に徳がある無いは関係なく、頑張った人にいつでも爽やかにこういう声をかけれる人でいたいなぁ!と思いました。


これからも、時々、奇跡の叔母と電話ができたらインタビューnoteを書いてみたいと思います。

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