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クラッシュ&ビルドなんだなぁ…

長いです。

昨日、父の四十九日が無事に終わりました。
家族と…近しい親族(ほぼイトコ)たちが集まってくださいました。

昨日は、まぁ快晴で、暑いくらい。
おとといの庭の鶯がまだ賑やかに鳴いていて、来る人来る人が鶯にふれてお話をしてきました。

7人きょうだいの末っ子だった父は、きょうだいで最後の旅立ち。
私は父が40歳くらいの子だったのもあり、イトコが90歳だったり、すでに病気で介護されていたりで…世代がぐちゃぐちゃ異次元。

はじめてゆっくりお話しをして「ぁあ、◯◯おばさわんの息子さんだったんですか…」とわかることもあり。
あらためてご挨拶をしたりの中…私の知らない父の話をたくさんうかがえて、楽しいひとときもありました。


とにかく、ウチの家族がギスギスだったので、父と同い年の叔母を筆頭に、父方のイトコさんたちが、父の四十九日の空気を作ってくださっていました。


四十九日法要。

父方ルーツのお寺さんは、、、
はじめて入る本堂はびっくりするほどご立派に作られていて、正直引きました。。。
このご時世に、こんなお寺があるのか…と。

お寺さん、イトコ、地域の皆さんから聞いて聞いて準備してきたお布施やお供えを言われるままにお供え?して、法要をしていただきました。

急に、四十九日になって、私が真ん前真ん中席に座らされて💧
頼みの綱の母は、足も頭も不安定。借りてきた猫ちゃん状態で…きょうだいと離れて座っており。もう私は何もわからない…

繁栄ぶりがあちこちに見えるお寺さんは、田舎のフルスペック法要をかなりシステマティックに進められて、説明はほどほどにどんどん進められて…
こちらの集落や風習に慣れてるイトコたちは、フツーにことに沿っていけてはりましたが、ウチの家族だけは。。。カチン🧊

全く訳はわからないし…お経のタイミング、ご焼香のタイミング、全部が???
それを末子の私が先頭を切ってやっている…💧
(本当にきょうだいは他人ごと)
間違えたら、イトコたちから「今じゃない」「今や」の小さな声がかかる、なんとも可笑しな法要でした😅


父は…
家族に、親族やお寺さんとのつながりを伝えきらずにきたから、仕方ない。
父から丸っと家族が笑いものになるのは、御愛嬌。開き直りの精神でなんとかのりきりました。


法要が終わると、食事会。食事処に場所を移して話を父の一族のいろいろを話しました。
父のきょうだい自体が、戦前戦中戦後をまたいで、いろんな想いをそれぞれが持って育ち、いろんなわだかまりもありまして。
私の家族は、叔父叔母との緊張のある関係性にいました。

が、大先輩にあたるイトコたちから昔話を聞いていると、それはそれであったにせよ。
末子の父と歳の近い私のイトコたちは非常に仲良くいいことも悪いこともたのしんでいたようでした。
しかも、なんとなく厳しそうな親族さんの優しい一面も聞けて、「え?え?そうなんですか?え〜!めっちゃいい話や!」みたいなことだったり。


もちろん、話してる人が高齢化していたりしますので、どこまでが本当でどこからが作話かはわかりませんが。
AおばさんとイトコBの話が繋がって一つの話しになったりして、「いや、あん時の人はあなたでしたか!」というようなキュンキュンする話にもなりました。

今でいう、鬱陶しい(なんとかハラと思われがちな)食事会は、思わず楽しいひとときになり…関係性の悪いウチの家族の対話に少しずつ油を垂らしてくれていきました。



その後、親族皆で自宅に戻りまして、
『御詠歌』を唱えましょうとなりまして。

イトコが鐘を持ってきてくれて、西国三十三ヶ所の御詠歌を唱えてくれました。

私の家族以外は、皆、その歌に従って、いい声で唱えはじめられて圧巻の光景。
固まるのは我が家族だけ。
皆さん、仏壇に毎日お供えをし、お線香をあげて来られていて、当たり前のことなんだそうで。

たまたま皆さんが見える位置に座った私に見えるのは、

一番前で補佐に座ったウチの長子が寝ていて…

母は御詠歌の経本の字もページがわからなくなっていて…子供のようで

大柄な親族後ろに座ったきょうだいB家族は、
皆から見えないと思ってるのか、
割と長く続く御詠歌(西国三十三ヶ所分の和歌をうたうので)タイムに、唱え方がわからずか?唱えもせずうんざり顔。

イトコたちの様子との違いに、私は引いてしまいました。。。

私も若い頃ならば、意味もわからずうんざりして座っていたでしょうが。

これまで法要の準備期間があり、いろんな方々から情報をいただいたりして、人がどう日常で仏事に携わってきたかを聞いてきていたからか、この時の流れがまんざらでもなく、
「ぁぁぁぁこれが唱えるってことかぁ」と思えていい時間だなぁと感じはじめてました。



昔とは時代がちがうので、昔ながらの100%の仏事ができなくとも、省略した形であっても、故人やご先祖様と対話したり整えたりという時間が、なんというか心を整えてくれるような、ちょっとした気持ちのゆとりをくれたり、不安に苛まれない感じでいれたり…につながっているような気がしたんです。

とにかく、声色のよいイトコたちの顔は非常に豊かないい顔色で、
ウチの家族の顔色がどす暗く…表情も不機嫌そうでして。
もうなんか、やばい顔やなぁと思いました。




その後、
女性は持ち寄ったお供えをみんなで分け分けし、お供えの数分の袋に入れ分けて…
男性陣は団欒という名の対話タイム。

「ケンカしてもええから、とにかく話をせぇ」
「今日話をしないと、もう話せないよ」
とイトコたちは私たち家族に声をかけてくれ、お供え分け分けを持って帰って行きました。


さー!いざ!
ですが…顔色の悪いチームは相変わらず、互いにそっぽを向き合っていますし、
仕切りを任されたうちの長子は何の口火もきりません。

かと言って…
長子は、私が話をするとまとまるものもまとまらないので、「お前はしゃべるな」と朝から言ってました。けれど、当の本人が喋りません。

例の何にもしない人であり、絶対の失敗と失態をしたくない人です。心の準備ができてないのに、ここで今話したくない!という感じで、何を即しても話をしません。

で、送迎の関係で居残った叔母にも悪いので、結局、私が口火を切りました。
末子の私が口火を切るということは、誰彼気に触る、ここにいる家族には一番気に入らないことでしたけど。


〜相続の云々に関しては、代理人さんがいるんだろうから、それはそれでいいけれども。仏さんがある以上は、最低でも一周忌までのお世話を誰かしなければならない。誰がするのか?を話さないといけない。どうですか?〜

長子にふると「できない」と一言。

すると
「なんでできないんですか!」😡ときょうだい…

ま、ね。
いろいろあるんです。
で、いろいろ話す人、話さない人、つらつらありました。ガセネタを勝手に伝えていたり、事実が捻じ曲げられていたり…

過去に、あー言ったこー言ったという、邪念の応酬にもなりかけたり…しましたが。

で、我々の番になり、
「私たちは、一周忌まで仏さんを見ても手放すことも全然かまわない。けれど、その間、誰が仏さんを見ようと、この家が使えないとかなればそれは難しいでしょう?そうすると、誰がこの家を相続するのか?という相続の話に繋がってしまう。使うとなればライフラインを止めてしまう訳には行かないけれど、契約をスリム化したりするには、代わりに権利を受けた人しかできないわけで。代理人さんがいる状況で、この普通の話と相続につながりそうな話をどう話していいのか困っていた」と話すと…

「ぁあ」と。


長子を置いてけぼりにして。

お寺さんのこと、今後の母のこと。
ついては墓の話も父に関しては近い将来形にしていかねばならない時に、母がどうしたいのか。一緒に入りたいなら一緒に手続きをしないといけないし…

と、調べたネタを全放出したらば…
希望が出てきた。

⚫︎母を父と一緒に最後は入れてやりたい
⚫︎永代供養をしたいと思ってる
⚫︎一周忌までのお寺ごとはお願いしたい
⚫︎そこまで家を使うのに必要な契約のスリム化はやってくれていい
⚫︎一周忌で塗りの位牌になったら、母の近くで仏壇を設けたい

などの希望が出てきて…

「え?」それならそれでよくない?
うちは、仏壇も位牌もこだわりませんけど?って話で。


相続も、
家や宅地はギリギリまで待てるものは持ち帰って検討してくださいな。すぐから対処しないといけない農地は、できるものが相続しすぐに対応でいいんじゃね?etc


じゃ、なんで代理人なんかを頼んだんだ?
やめた方が良くない?


考えます。。。


なんか、何もしたくない長子は、「あれこれ一気に話したところでついていけないはず」と言ってましたが、ついていけないのは何もしていない長子だけで…
長子の憶測があらぬ憶測を呼び、あげた拳をおろしにくくしたようで。。。


ま、互いに過去の言った言わないは、もう受け止め方を変えることはできないし。共感することは難しい。それは、もうそれ。

今、必要なことは未来。母のこと。
すぐ来る未来に最優先すべきことの意思の確認をまず第一に、対話をすることに徹してみました。


きょうだいBと母は、
お供えを分け分けしたものと永代供養のパンフを持ってお寺に見学に行き、帰っていきました。


きょうだいAは慣れないことをしようとして、結局何もできず…と言ったところでしょうか。
(まぁ、トラブルが起きたときに、頼んだのは父と私だったので…貰い事故という感じでかわいそうではありますが。)
でも、できなかったとは認めたくなく…
「ちゃんと話がまとまったら親族には私が報告に行くから」と言い帰っていきました。。。

たぶん、いかないだろうなぁ…
そんなことはこれまでに何度あったかしれない…まぁ、いいや。



人それぞれ、欲しいものが違うんだなぁ…とつくづく思いました。


お寺ごとはできない、したくない。
けど、お位牌や仏壇が欲しい人。


仏壇やお位牌、墓はどんなでもいいけれど。
キリまでは、お祀りやらお世話をしてもいいもの。


とことん関わりを持ちたくないもの。


擦り合わせればピースは埋まるのに…
対話をサボると全く見えてこないピース。


なんかー、ご先祖さんに手を合わせる意味というのは…
お願いごとをかなえてもらうとか、守って欲しいとおもうことではなく。


皆がただ同じ方向を向いて、最良の未来につながりますようにと精進を誓い、先人が人生の中で争ったり抗ったりした中で学んだ心なんかをそっと閉じた目の前に置いてくれるような風習なんかなぁ…という気がしてきたした。


やむおえず、降ってきた仏事の世話係ですが。

一つ一つ経験してみると、なんとなく私には心の平穏やゆとりになってきてる気もします。

クラッシュしないと、ビルドのきっかけはうまれないのですね。


長くなりましたが、とりあえずまずはここまで。

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