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カクヨムの未完結作品置き場

こんばんは、ヨルノです。今回は執筆活動を休止したカクヨムで未完結あるいは出だしだけ書いて放置している作品をまとめておこうと思います。加筆なしでそのまま出すので読みづらさなどはすみません……後日note記事用にルビをふりなおします

LAST JUDGMENT〜エジプト神話と夏休み〜

世界の裏側

この世界は私たちが暮らす表と彼らの暮らす裏で成り立っている。この二つの世界は普段、交わることはないし見ることもできないとされている。

目の前で天秤の皿が揺れている。右側の皿にはふわふわとした手ざわりの良さそうな真っ白な鳥の尾羽根が数本、左側の皿には赤い土色をした小ぶりの壺。それはいい。天秤から視線を地面へと向ける。肝心なモノがいなかった。繋いでいた鎖は引きちぎられ、首輪が丸ごと抜けて落ちていた。

「…………いったいどういうことをしたらアメミトがこの場所から逃げ出すと言うのですか、正直におっしゃいなさい」

明らかに怒気をはらんだ口調で、黒いスーツと手袋を身につけた細身の男が背後にいる主人に向けて言いつつ振り返った。日焼けしたような黒い肌、両耳に付けられた金のピアスが揺れて照明代わりの燭台の炎を鈍く反射する。薄暗く、荒れ果てた廃墟のような部屋だった。

「昼寝から戻ったらいなくなってたんだ。ほ、ホントだよ、信じてよ」

一方で色白で同じく黒いスーツに緑色のシャツを着た少年はまだ眠そうに目をこすりながら、親に叱られた子どものようにしゅんとした表情で肩をすくめ、上目遣いに目の前の男を見上げた。

「いいえ。今度という今度は許しません。この間逃した時にご忠告申し上げたはずですが?」
「うう……でも、あの時はすぐに見つかったし」

主人である少年は男の態度にやや気圧けおされながらも、必死に言葉を探す。そんな主人を壁際へ追い詰めるかのように、男はゆっくりと無言のままにじり寄ってゆく。

「うわ、ちょ、ちょっと待って………謝る、謝るから‼︎」

背中をぴたりと壁に押し付けられ、男の鋭い目に睨まれて身動きが取れなくなった少年はついに音をあげ、小さな声で「ごめんなさい」と言った。

「よろしい。最初から素直にそう言えばよかったのです。で……今回はどうされるおつもりですか」
「え。それはえ、と、この前みたいにほら、死霊犬ジャッカルを使ってあちこち探せばいいんじゃない?」

再び無言の圧力。部屋中に灯された燭台の炎が男の細めた瞳の灰色を照らし出す。しばらくしてため息。男がオールバックにしている自分の黒髪へ片手をやって、大袈裟な仕草オーバーアクションで掻き乱す。

「それでは駄目です。もっと具体的な指示をいただかなくては。吾輩の部下ジャッカルは貴方のペットじゃない。無駄に放つ訳にはいきません」

少年から男が数歩離れる。だが、顔は険しいままだった。こういう時は急いで答えてはいけないことを、少年は身をもってよく知っている。

「じゃあ、誰かに頼むとか」
「ほう、例えば?」

「…………表の世界の人たちにも協力を頼むんだ。もしかしたらあっち側に行ったかもしれないだろ?」
「どうやって?こちら側が表と交わることがないのは、貴方もよくご存知のはず」

男がなおも腑に落ちない様子で首を傾げる。少年は言葉を続ける。

「《ゲーム》だよ。ほら、前に作ったって僕に言ってたじゃないか」
「ああ、アレのことですか。しかし繋がるのは稀ですし、動作もまだ不完全で」
「かまわない。今はそれしかないんだ、お願いだよ……」

男を見上げる少年の目にわずかに涙が滲んだ。男は苦いものを噛み潰したような表情になり、目を逸らす。こういうのに弱いのだ。

「…………承知しました。すぐに準備に取りかかります」
「うん、ありがとう」
「次はありませんからね」



西歴2035年。7月もあっという間にもう後半になり、日に日に暑さが増している気さえする。水樹純みずき じゅんは通っている高校の授業が今日は早く終わったので、暇をもてあましていた。

(授業、早く終わったのはいいんだけど・・・・・・なんかなあ)

校門を一歩出た途端に照りつける太陽と蝉の大合唱に耐えかね、通学路にある公園へ逃げこむ。色の褪せたベンチに腰を下ろすと、肩にかけた通学用に使っているボストンバッグから水筒を取り出して口にふくむ。よく煮出した麦茶の濃い味で暑さがいくらか和らいだ。

(ん?LETTERSかな)

純はズボンのポケットに入れていた自分のスマートフォンの振動を感じ、取り出して画面ロックを解除してみる。メッセージアプリLETTERSレターズの淡い空色のアイコンの右上に青い丸で2という表示。開くと同じクラスの山峰覚やまみねさとる牧原茉莉花まきはらまりかからだった。

サトル:今どこ?
marika:ジュン、ヒマなら遊ばない?

2人も同じく、暇を持てあましているらしい。純はすぐにメッセージを返信した。

純:OK
今、通学路にある公園で休んでるからそっちに来て

そのまま画面を見ていると間をおかずに既読がつく。

marika:オッケー
じゃ、今から行くね
サトル:了解、砂山公園だね。今から行くよ

そのやり取りからそう時間が経たないうちに、公園に通学鞄を下げた覚と茉莉花が揃ってやって来た。

「おーい」
「ジュ〜ン、おまたせ!」

2人は純の姿を見つけると手を振った。ベンチに駆け寄ってきて、隣に座る。蝉の声は相変わらずだが、正午を過ぎて日が少し傾いてきたので暑さはマシになっている。公園には彼らのほかに誰もいなかった。

「早かったね」

覚と茉莉花が隣に座ったことにより、端のほうに追いやられた純がつぶやく。

「え、そうかなあ。そういや純、お昼ご飯食べた?」
「急いできたからね……僕汗かいちゃった」

覚は着ている夏服をばたばたさせながら言った。茉莉花のほうは涼しい顔をして、そう聞いてくる。純は首を横にふる。学校を出た後にそのままこの公園に来たので、コンビニにすら寄っていない。

「じゃ、今から一緒に食べに行かない?最近駅前に出来たばかりのお店、行ってみようよ」

純の反応に茉莉花がぱあっと顔を輝かせ、嬉しそうな表情で提案してくる。覚も「たまにはいいんじゃない?」と乗り気だ。

「うん、いいよ。行こうか」
「オッケー!道案内はアタシに任せて」



茉莉花に案内されて着いた駅前の店、ブルー・ナイルは落ち着いた雰囲気のレストランだった。3人は奥のほうの窓際の席に座る。店員がテーブルに水の入ったコップを置いていき「注文が決まったらそこのボタン押してくださいね」と言った。

「ねえねえ、2人とも何にする?」

店員が去っていくと、茉莉花がおさえた声で早速聞いてきた。手にはメニュー表を持っている。茉莉花の左隣に座った覚と向かいの純は、それぞれ表から1番安そうなオムライスセットにすることにした。

「茉莉花はもう決めたの?」
「うん。アタシはこれ、ハンバーガーとフライドポテトのセット」

茉莉花がメニューの写真付きで出ているのを指差す。

「よし、じゃあ注文決まったしボタンを押そうか」

覚が言うと、茉莉花と純もうなずく。窓際の呼び出しボタンに手を伸ばして押す。店内はそう混んでなかったので、すぐに先ほどの店員が注文を取りに来てくれた。

「……ええと、オムライスセット2つとバーガー&ポテトセットが1つですね」

店員は3人から注文を聞きとると、手にしたメモ帳にボールペンで書きつけた。

「まだかな、アタシもうお腹ぺっこぺこなんだけど」

注文してから30分くらい経ったころ、茉莉花がつぶやいた。午後3時を過ぎて店内には人が増えていた。

「うーん……これだとまだかかりそうだね……。待つしかなさそう」

覚があたりの様子をうかがいながら言う。

「え〜」
「仕方ないじゃない、店員さん忙しそうだし」

リビング・ブレイン あるいは小松透はいかにして殺されたか

ある夜の出来事

金属バットの握りを持つ手が汗ですべってひどく気持ちが悪い。後から念入りに石鹸で手を洗っておこう。そんなことを頭の片隅で考えながら、小松佑こまつ ゆうはバットをしっかり握りなおした。

「……ごめんお父さん……」

声には出さずに口の中だけで呟く。狙いを自分から少しずつ離れていこうと這いずっている父親の《上半身》に定める。廊下の暖色の照明に照らされた外出用の真っ白なシャツはところどころ裂け、何度も殴られて漏れ出した鮮やかなピンク色の液体で汚れている。袖口とシャツの破れたところからのぞいているのは本物と見分けのつかない人工の皮膚と筋肉、それから複雑な配線まみれの金属製の骨格だった。

(逃がしちゃダメだ……早く機能停止させないと)

佑は構えたバットを振り上げかけ、穿いているズボンの後ろのポケットに入っている緊急時に使う鉄串に似た器具のことを思い出す。そうだ、たしか真木さんが「これを使うのは本当に自分の身が危なくなった時だけ」と言っていたが、この際かまうもんか。そう考えたら体が自然に動いた。構えたバットで頭部をさらに殴る。もう殴りすぎてべこべこに歪んできている。これだけ殴っても壊せないのだから、かなり頑丈なんだろう。別の方法を考えるか……?

(いや、時間がない。もうすぐ母さんが帰ってくる)

佑は自分の左の手首にはめている腕時計をちらっと見る。手の甲の噛まれた傷口からまだ血が出ていている。痛い。

(どこかに開けるところとか、スイッチとかないのか)

なお逃げようともがく父親の上半身を上から体重をかけて必死に押さえつける。頭部は白髪の混じった整えられた髪がぐちゃぐちゃに乱れ、他と同じようにピンク色の液体が出ていた。その下の人工皮膚も裂けて金属部分が鈍く光っている。

(あ、これは……)

とめどなく流れる液体を払いながら指先で探っていると、へこみというか妙に引っかかる部分があった。佑はそこをぐっと強く押してみる。何が手のひらの下で開く気配がした。片手の握りこぶし大の穴が開き、中に薄い赤紫色で無数の皺のあるものが見えた。佑はすかさずズボンのポケットから器具を取り出して突き立てる。途端にびくりと大きくのけ反るように父親の体が痙攣し、完全に動きを停止した。



「いやー……これはずいぶん苦労したみたいだね。一人で大丈夫だったかな、怪我とかしてないかい?」

佑があの後、震えがまだおさまらない手で携帯から電話をかけると父の友人でカレル・ロボティクスに勤めている真木友彦まきともひこはすぐに家まで来てくれた。ほとんど滅多打ちに近い状態で完全に機能停止している父親と廊下を汚しているピンク色のペンキをぶちまけたような生体部品維持用疑似血液__通称ピンクブラッドの痕を目で追う。そういえば下半身がない。

「え、と、佑くんだっけ?お父さんの下半分がないみたいなんだけど。どこだい?」
「ああ……それなんですけど、もみ合った時にその、階段から落ちてしまって。まだあると思います」
「じゃあ、さっさと片付けてしまおう。お母さんがまだ帰って来てなくて本当によかった」

真木はそう言うと着ているカーキ色のジャケットの胸ポケットからゴルフボールほどの大きさの黒い球を取り出して床に向かって落とした。球が床に当たると同時にあっという間にふくらみ、人1人が入れそうな長方形の箱になった。真木はまず足下にある上半身を両手で抱えあげ、箱に入れる。続いて血のあとをたどって階段下から下半身を探してくると、同じように箱にしまった。

「これでよし。あとはウチで原因を調べてみるよ。ああそうだった、君の手のケガも治さないと。ほら出して」

そう言われて佑が左手を出すと、今度はジャケットの裾ポケットから500円玉サイズの白いシールを取り出して手の甲に貼ってくれた。

ひまわりの咲く団地

404号室の入居者

花壇で向日葵が咲いている。茶原由布子さはらゆうこはまだ雨粒のはねるビニール傘をちょっと傾けて、目の前の建物を見上げた。山辺やまのべ団地。今日から彼女の新しい家になる場所だ。

(……あ)

見上げた外壁はほとんど緑色で、それが植物のツタだと気づくまでに時間がかかった。視線を下へ移動させると、先ほどの花壇に咲いていた向日葵の花びらの鮮やかな黄色が目にとまった。近づいてみると向日葵のほかに百合や紫陽花などさまざまな花が植えられている。そのどれもが状態から丁寧に育てられているのを感じた。

(いけない、管理人さんに挨拶しなきゃいけないんだった)

花壇の花々に見入っていた由布子はハッとして、片手にぶら下げていた小さな紙袋を見た。傘からはみ出た上のほうが濡れているが、中身は大丈夫そうだ。急いで持って行こう。

「いいんですかこれ、頂いてしまって」

管理人の久世透くぜ とおるが申し訳なさそうな表情でたずねる。7月も後半だというのに淡い青色の長袖のシャツと紺のジーンズ姿、時折手にした近所にあるスーパーの名前がでかでかと入ったうちわで急がしくあおいでいる様子を見るとこちらまで汗が出てきそうだ。

「ええ。つまらないものですけどよかったら召し上がってください」
「すみませんねえ、では有り難く頂戴します。あ、えっとあなたお名前は?」

そのまま管理人室から出ていこうとする由布子を久世が呼び止める。

「え?茶原由布子ですけど」
「ああ、今日から404号室に入られる方ですね。はい、これ部屋の鍵です。失くさないようにしてください」

管理人室の壁にかけられた鍵の中から久世が由布子の手に404と印字された赤いプレートの付いた鍵を手わたす。

「あー……それから、今ってお時間あります茶原さん?いくつかお伝えしたいことがあるんですが」

久世が少し言いにくそうな調子でたずねてくる。視線は由布子の濡れたスーツに注がれている。さっき帰り道で降られたのをすっかり忘れていた。

「あの、すみません。風邪ひく前に服だけ着がえてきます、すぐ戻るので」
「ああそうですね。そうしてください」

濡れたコートを見た久世がうなずく。由布子はもう一度「すみません」とだけ言って管理人室を飛び出し、4階への階段を駆け上がった。



4階の部屋で手早く着がえを済ませた由布子は管理人室にもどるため、再び階段を下りようとしたところで奥のほうにエレベーターが設置されているのに気がついた。さっき外から見上げた時にさらに上のほうにも部屋があったはずだ。上がってきた時に太腿あたりが痛かったので、下りるのはこっちを使おう。

始まりの日

なんでもないような毎日が、ある日突然非日常に変わる……大量発生した《ゾンビ》によって

「……動かないでください、今傷口拭きますから」

ネオンカラーの照明が照らすバーのような雰囲気の部屋の中。白い前髪を左目を隠すように長く伸ばした男が、目の前にうつむいて丸椅子に座っているパステルカラーのパーカー姿の少女に声をかける。市松模様のハンカチを穿いている黒のスラックスのポケットから取り出して水で濡らし、それを上半身のみパーカーを脱がせた少女の肩にくっきりとついた《歯形》の上から押しつけた。

「い……たい」

男がハンカチを押しつけた瞬間、少女がぶるっと身を震わせた。弱々しい声がもれる。傷口につけられた歯形は切られたかまぼこのような形で赤く腫れ上がっていて痛々しい。

「ほら動かない、動くともっと痛むよ」

ハンカチで傷を押さえたまま、少女の肩を動かないように男が空いているほうの手で上から強めに押して椅子に固定させる。さらに男は周囲にある棚や引き出しの中から消毒液、脱脂綿、ピンセット、大きめの絆創膏を取り出してきて手際よく傷の処置を終わらせた。

「ふう。あとは病院に任せましょう……ってもう夜ですけど僕開いているところ知ってますから」
「あ……ありがとう、ございます。助かりました」

男は少女のお礼の言葉を聞きながら、後ろから顔の前にかかってくる白髪をうっとおしそうに掻き上げる。一瞬だけ覗いた右目のあたりは特に傷などがあるわけではなかったが、小さな薔薇のタトゥー(刺青)があった。よく見ると彼の着ているサーモンピンクのシャツの捲った袖から見えている腕にもトゲトゲした模様に見えるトライバルタトゥーがある。

「いやー……それにしても災難でしたね。まさかあのテーマパークに《本物のゾンビ》がいたなんて、誰も予想できませんよ」
「で、ですよね。私も……びっくりしました」

少女は傷の処置のため男に脱がされていたパーカーを再び着直してから立ち上がる。男のほうはすでに店の入り口のドアに手をかけており、少女が来るのを待っていた。

さて。なぜ彼らはこのような状況になっているのかを説明するため、ここで少し時間を巻き戻してみよう。

4時間ほど前ーー大阪市内の有名テーマパーク・通称USJにて

季節は秋、10月も半ばにさしかかろうかという時期。このテーマパークでは季節に合わせたイベントを行なっており、今はちょうどハロウィンシーズンになっていた。
今年で大学1年生の平坂ひろ子は週末の休みを使い、家の近くにあるテーマパークへ遊びに来ていた……たった一人で。なぜか。それはたんに一緒に遊ぶような仲の良い友だちがいなかったから。

「寒っ」

ひろ子は巻いていたチェック柄のマフラーで口のあたりを覆う。吐いた息が白く煙のように残る。手袋もしているがとにかく寒いのですぐにでもこの場から去りたかった。上着のポケットからスマートフォンを取り出して現在時刻を確認する。午後5時30分……あと5分ほどで始まる時間だ。

(やっぱりこのまま帰ろうかな。 怖いの苦手だし)

本当はこの後始まるパーク内で行われるハロウィン限定のショーを見てから帰るつもりだったのだが、今になって怖くなってしまったのだ。自宅には今から帰ると電話しておこう。ショーを待つ人の列に圧倒されながら、ひろ子は着ているパーカーの裾ポケットからスマホを取り出すと自宅の電話番号にかける。

『あ、もしもしお母さん?今から帰るから。え?うん、うん……じゃあね
夕ご飯楽しみにしてる』

弾んだ声で通話を切ったひろ子は裾ポケットにスマホを戻して顔を上げたーーいつの間にか人がさらに増え、壁に厚みが増している。並んだ人々の間から時おり聞こえてくるはしゃいだ声や動画撮影をしている姿から、すでにショーが始まったことを知る。

(ーーせっかくだし、このまま見ていこう)

それから数十分後。ひろ子は周囲の人たちの熱気と歓声に気圧《けお》されてクタクタになっていた。もうダメだ、早く家に帰ろう。母の作る今夜の夕ご飯のメニューはなんだろうかと疲れた頭が勝手に想像を始める。

(今日の夕ご飯、オムライスが食べたいな……外側がふわふわで半熟のやつ。よし、帰ろう)

脳裏に浮かんできたオムライスのイメージに思わず口の中に唾液がたまってきたので慌てて飲み込み、ひろ子はテーマパークの出入り口のゲートへ向かって歩き出した。ゲートを通ろうと回転バーに手を伸ばすーー不意に右肩のあたりに衝撃があり、すぐに全身が熱くなった。

(え、何?何が起こったの……?)

ぐらり、とひろ子の視界が回転した。地面に倒れたのだと一瞬遅れて気づいたが、それ以上は頭の中に霧がかかったようになってきていて考えることができない。ゆっくりと眠りにおちるように、そこで意識が途絶えた。



「良かったですね。どこにも異常がなくて」

男に連れられて行った夜間でも診療を行なっている医院で肩の傷を診てもらった。穏やかそうな顔の医師はひろ子の肩へ貼られた正方形の絆創膏をはがして傷を見てから、いくつか質問をし「怪我をされてからの処置が早かったので問題ないと思います」と言った。その後、念のためと消毒液を塗られ再び新しい絆創膏を貼られた。

「もし何か不安なことや体に異常を感じたらうちに電話してください」
「あ……はい。あの、ありがとうございました!」

会計を済ませ、自動ドアから外へ出ると冷たい風に思わずくしゃみが出た。隣にいる男も着ている黒いコートの襟を立てている。手袋をしていない両手の指先が赤くなってきており、寒そうだ。

「あ、あの。手当ありがとうございました……えっと」

お礼を言ったのはいいが、相手の名前をまだ聞いてなかったことを思い出したひろ子は言葉に詰まってしまう。男はそんなひろ子の様子を見て「安達和美あだちかずみ。なんなら和美で結構ですよ」と助け舟を出す。

「か•ず•みさん……ですね。ありがとうございます。じゃあ私このまま家に帰ります。親が心配するので」
「ええ、ひろ子さんも道中お気をつけて」

男ーー安達和美はひろ子にそう言って小さく片手を振る。ひろ子も手を振り返してその場で別れた。

dream game赤緑


1話 エリア01 雪原

–––これは夢だ。全部夢だ。だから目を覚ませばすぐに消えてなくなる……はずだ。

見渡すかぎりの真っ白な雪が降る中を、2頭の馬(なぜか銀色の金属の装甲と歯車、配線が剥き出しの機械でできた馬だ。生物ではない)が引く馬車が疾走していく。御者(ぎょしゃ)は黒いシルクハットに長めのコートを身につけた小柄な少年で、無表情のまま機械馬の手綱を素早く捌(さば)いている。

『––––ミサキ様、そろそろ指定された目的地に到着します。窓から離れて座席(シート)に深くお座りください』

首に革紐に通して下げていたテニスボール大の銀色の通信機から、外にいる少年御者の声がミサキの行動を見透かすかのようにそう指示してくる。……やだ。私のこと、どこかから見てるのかしら。

「わかったわ。それにしても外はすごい雪ね」
『はい。気温がすでにマイナスになっておりますので、外に出られる際にはそちらの鞄の中のコートと手袋、マフラーとブーツをお使いください』
「鞄?ああ……これね。座席の下にあるやつ。ありがたく使わせてもらうわね」

ミサキが座席下の鞄を取ろうと手を伸ばすと、計ったかのように荷台部分ががくん、と大きく揺れた。

(……舌を噛まなくてよかった。もう、ちょっとスピード出しすぎじゃないこの馬車)

ミサキは口に出さずに今自分を運んでいる馬車の走るスピードに悪態をつきながら、窓の外を見てみる。夕焼けのオレンジ色が消え、うっすらと青みがかかってきた空から舞い落ちてくる雪の量が増していく。

(とても寒そう……)

ここは夢の中なのに、なぜかそう思ってしまう自分がいる。いくら現実離れしているとはいえ、感覚が妙にリアルなせいかもしれない。こんな夢は初めてだった。



数分後。鞄の中の防寒具一式を着こんだミサキは馬車を下り、突然目の前に現れた白い外壁の巨大なアパートに言葉をなくしていた。なんなの、これ。

「ね、ねえ……君。本当にここが目的地?間違ってない?」
「いいえ、確かにここで合っています。もしご不安でしたら、中までご一緒しましょうか?」

御者の申し出に、ミサキはぶんぶんと首を縦に振ってうなずく。さすがに1人で入るのは怖い。

「承知しました。では早速参りましょう、主催者(ゲームマスター)もお待ちですし」
「ゲームマスター?何っていうか誰それ」

ミサキの右手を引いて雪原を歩き出した御者が、くるりと振り返り「ルールに違反するので詳しくはお話できませんが、この【夢の世界】を管理されているお方です」と説明を挟む。

「……へ、へえ。そうなんだ。そういえばここの他にも場所があるの?」
「はい、ございます。ですが……ここから別の場所に向かうには【ゲームクリア】が必要になります
「ゲームクリア?」

ミサキが首をかしげると、御者は「それも僕の口からは申し上げられません」と言うので
それ以上の質問は我慢することにした。

それからしばらくして。203という部屋番号が刻まれた白いプレートのドアを御者が内側に押すと、柔らかい明かりがミサキの視界に溢れてきた。

『––––やあ、こんばんは。外は寒かったろう、中へお入り』



203号室でミサキを出迎えたのは、革張りのソファーにゆったりと座ったボアコート姿の奇妙な人物だった。いや……人ですらないかもしれない。顔の右と左半分が学校の理科準備室の奥のほうに置かれた【あれ】–––おそらく苦手な人が多いであろう骨格と筋肉の標本そのもので、どういうわけか赤と緑にきっちりと色分けがされている。

『––あれ、じっと見ているけれど私の顔に何かついてる?』

どこか一本調子な、抑揚のない声でそう言ってその人物はかくり、と首を傾げる。ミサキは目の前にいる異様な存在に身がすくんで声が出せないでいた。

『ああ、もしかして私の【見た目と声】が気に入らないのかな?』
「おそらくそう思います。……ミサキ様、【この方】がゲームマスターですよ」

御者がそっと、ミサキの耳元で囁く。

「え……えっ?そうなの」
「はい。気分屋ですので、よく外見を変えてらっしゃいます」

夏の庭のアリス

1話「夏の庭のお茶会」

いつの間にか季節は春から少しずつ移り変わり、日は長くなり夏らしくなってきた。大学生の僕はほぼ毎日といっていいほどに受けていた講義がなくなり、学校に登校する必要がなくなって暇を持て余(あま)していた。こうも毎日、部屋にいるのはなんて暇なんだろうか。

(…なにか、面白いことでも起こればいいのに)

そう思った僕は、机の上に置いていたスマートフォンよりもパソコンを開き今日のインターネットニュースをざっと流し見する。別段興味をひくものはない。

(…やっぱり時間の無駄か。やめよう)

開いたパソコンをほんの数分で閉じ、ふかふかの水色のクッションをひいた椅子(いす)の背もたれへ背中をあずける。

(…ああ、暇だ…)



オレンジ色の夕日が沈み、今まで明るさを保っていた庭と屋敷に一気に暗闇と寒さが押しよせてくる。

「––––今日はそろそろお開きにしましょうか【アリス】」

顔の左側に長く伸ばした雪のように真っ白な前髪を垂(た)らし、ダークブルーのスーツに淡い水色のシャツを身につけた中年男性がテーブルについたままの老婦人の耳元にそっと声をかける。

「……ええ、そうね【白うさぎ】さん」

老婦人は白うさぎと呼んだ男性の言葉に顔を上げ、にっこりと微笑む(ほほえむ)。男性は何も言わずにうなずき老婦人の片手を白い手袋をはめた手で取り、ゆっくりと体を支えて席を立たせる。

「…また、今日も誰もお茶会に来なかったわね」
「……そうですね。誠(まこと)に残念です、せっかく用意した紅茶やスコーンが無駄になってしまいました」

白うさぎは老婦人の肩を支えて歩きながら、残念そうに小さくため息をつく。

「大丈夫よ、中に入ったらみんなで一緒に食べましょう。それなら無駄にならないわ」
「…そうですね。では後から持って来るので、アリスは他の皆さんを呼んできてくれますか?」
「ええ、もちろん!」

アリスと呼ばれた老婦人は顔をぱあっと少女のように輝かせ、白うさぎの言葉に大きくうなずく。

「…では、外のテーブルの後片付けは任せましたよ【チェシャ猫】」

白うさぎは主人を抱えているので、後ろを振り返らずに指示を出す。すると、誰もいなくなった庭から「了〜解」とやけに間伸びした声が答えた。どこからともなく焦げ茶色の短髪をあちこちはねさせた虎のような縞模様が入った毛皮のコートを着た青年が庭に現れ、白うさぎに返事を返したのだ。



それからしばらくして。屋敷に戻ったアリス(老婦人)は、焼きたてのスコーンやきゅうりとゆでた卵の入ったサンドイッチが並べられた白いクロスがかけられた長テーブルを囲んで、席についた他の住人たちと一緒に夕食を楽しんでいた。

「…うーん、ほんとに白うさぎさんの作ったスコーンとサンドイッチは絶品ですね‼︎」

頭にぶかぶかな灰色のシルクハットを被(かぶ)り、首に古いアンティーク調の鍵を紐(ひも)に通してぶら下げている少年が口をもぐもぐさせながら言う。

「それなら淹(い)れたての紅茶もだろ?なあみんな」

シルクハットの少年の声をかき消すような豪快な声がする。発言したのは、少年の2つ隣の席に座る赤と黒の市松柄のスーツを着たガタイのいい男性だ。

「…え?ああ…そっ、そうですね」と先ほどのシルクハットの少年が困惑する。
「【トランプ兵】ったらそんなの当然でしょ?」と赤い薔薇をモチーフにした装飾がついたドレスを纏(まと)った女性が高飛車な口調で言う。

「まあまあ。…せっかくの夕食なんですから、ここは和やかにいきましょうよ、ね?」
ふわあ……と向かい側の椅子に座ったパステルカラーの寝巻き姿の栗毛の少女が欠伸まじりにトランプ兵と赤いドレスの女性の間の険悪なムードを中和する。

「そ、そうですよう。ケンカはよくないです。せっかくの美味しい夕食が不味くなります」

廃病院+コミカル(仮)


1話「西暦203*年の心霊スポット」

––僕は病院が嫌いだ。ただでさえ行くのも嫌なのに、どうしてこんな廃病院なんかに来てしまったのだろう。その理由は、創作のネタ探しの過程で【偶然にもこの場所が検索にひっかかった】から。

(……うわ、やっぱり昼間でも雰囲気あるな。やっぱり中に入るの、やめようかな)

僕は内心そう思ったが、せっかくここまで苦労して移動して来たのだからせめて中を見てから帰りたい…。それに、最近別々にインターネット通販で買った【霊の姿が可視化】できるメガネと【霊の声が聴こえる】イヤフォンを試すチャンスだ。

(…これがあれば、【霊感がない】僕でもきっと…)

僕は早速、背中に背負っていたひよこ色の小型リュックから例のメガネとイヤフォン(どちらも見た目はごく普通の品と変わらない)を取り出して今かけていたメタリックな緑色のフレームの眼鏡を外し、装着してみる。イヤフォンは片耳だけにし、メガネに付いたイヤフォンジャック部分に接続する。

(準備はこれでよし…。あとは中に入るだけだ)

僕は自分を鼓舞(こぶ)させるようにうなずき、顔を上げて目の前にそびえ立つ廃病院の屋上あたりを見る。

(…え⁇)

見上げた屋上の落下防止用の柵に誰かが寄りかかり、遠くを眺めている。…もちろん、僕には気がついていない。

(あ、あれ…って、まさか)

突然のことに、僕はあわててメガネを片手で外してから目線を戻す。屋上の人影は消えていた。再びメガネをかける–––やっぱり、【いる】。その瞬間、屋上の人影が僕のほうを見たので目線が合ってしまう。ここからは距離があるので表情は分かりづらいが、相手の唇(くちびる)の両端がつり上がりニヤリと笑ったように見えた。

(…え、今こっち見て笑った?)

まだ昼間だというのに、僕の背中に寒気がはしる。

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